4月20日 つぼみ組保育室

 朝8時20分私は職員用入り口から園舎に入る。

 脱いだ靴を靴箱に入れ、職員室横の更衣室に入ると既に何人かの先生がいる。

「おはようございます」とお互いに挨拶をかわし、ロッカーに私物を入れてエプロンをつける。

 つぼみ組と名のついている0歳児クラスに入ると、そこには面会の日にもこの保育室にいた清水先生と、その清水先生におんぶされているのは9月生まれ生後7か月の駿しゅんくん。朝8時から仕事のお母さんが開園1番に連れてくるのだ。

 背中の駿君はまだ慣れないお母さんとの別れに泣き疲れた結果なのか、ウツラウツラとしている。

 そしてバタバタとした音に廊下を振り返ってみると克巳かつみくんを抱っこしたお母さんと河西先生。ちょうど正面の入り口前で出会ったらしい。

 そこからは9時半までの1時間にパラパラと残りの4人がやってくる。


 入園して20日。4月1日から入園した子どもは生後7か月から11か月の6人。母親と離れての生活が初めての子たちばかりだ。もう母親と他人をしっかり区別できる月齢になっているだけに、朝は母親から離れることに全員が必死の抵抗をみせ、母親が去っていったあとには大泣きをする。

「まあ、あと1か月もしたら落ち着くけどね」

と0歳児担当連続5年目ベテランの清水先生は言うけれど…。

 ちなみに0歳児クラス園児の定員は8人。残りの2人は8月と9月に入園してくることが決まっている。


 10時になるとミルク&おやつの時間。

 母親と別れて大泣きしていた子も、ようやく泣き疲れ、仕方ないように大人しくなっている。

 私は悠人ゆうと君をおぶったまま、手を洗い、給食室から保育室へおやつを運ぶ。ゲートで区切られた一角にあるテーブルに準備。生後7か月から11か月まで離乳食の形はそれぞれだ。ミルクは先生たちが用意。

 子ども一人一人を膝に乗せて順番におやつを食べさせ、ミルクを飲ませるのは保育士の先生2人の役目だ。

 保育園に来た順番に食べさせるので、今日は駿くんと克巳くんから。私は残りの4人の子ども達を見守る。

 おやつを食べさせていると主任の山田先生が出欠の確認にくる。

 廊下に面した窓ごしに

「おはようございます。つぼみ組6人全員来てます。みんな元気です」

と私が報告。山田先生は持っていたボードにチェックし、可愛くてたまらないという笑みで子ども達を眺め去っていく。


 駿くんをはじめ、ほとんどの子はおやつの後にミルクを飲ませるとそのまま眠りについてしまう。

 一番のお姉さん、11か月の陽毬ひまりちゃんと10か月の克巳くんだけは哺乳瓶の中身がなくなってもパッチリ目を開けている。

 眠りについている4人はベビーベッド。

「じゃあ田中先生、お願いします」

と清水先生と河西先生はそれぞれ陽毬ちゃんと克巳くんをベランダへ連れて行った。


 お願いされた私は寝ている4人の見守りなのだが…。一応30分ごとに呼吸を確認してチェック表に時間とともに記入することになっているが、あとは特にやる事がない。仕方がないので保育室に併設されている調乳室の流し台でオモチャを消毒薬に浸して洗い、乾燥機に入れてみたりする。

 乾燥機は紫外線殺菌灯付きの優れ物だと清水先生は言ったが、私はその消毒効果をあまり信用していない。

 働いていた病院にもそういう乾燥機はあり、酸素マスクなどを入れていたが、厳密に消毒、滅菌が必要な時には使っていなかった。先輩看護師は言っていた。

「光が当たっているところは消毒されるけど、物の形によっては影になって光が当たらない場所があるから、そういう所は消毒されないよね」

 私も同感で、保育園の先生たちが哺乳瓶の消毒をこの乾燥機の紫外線で済ませるというのはどうなのか…?一度調べてみなければと考えていると、ベビーベッドの方で不穏な気配。

 駿くんの目がパッチリと開いた。"やばい!"と、慌てて駿くんを抱き抱えベランダに連れて行く。

「清水先生、駿くん起きました〜」

まだボーっとした表情の駿くんを清水先生に渡しドアを閉める。

 間一髪、閉めたドアの向こうから駿くんの泣き声が聞こえ出した。ドアごしだと直接耳にするよりは、ずっと小さく聞こえる。保育室で泣かれれば他の3人も目を覚まし、誰から抱っこしたらいいのか分からず面倒な状態になる。


 11時45分ベランダにいる先生たちに声をかけ、子どもたちの給食を取りにいく。

「誰から食べさせます?」

と確認し、テーブルに2人分をセッティング。

とりあえず起きている子からお昼ご飯だ。

 先生たちはそれぞれ陽毬ちゃんと克巳ちゃんを抱っこして保育室に入ってきた。入れ替わりに私がベランダに出る。そこにはご機嫌の直った駿くんが座ってぬいぐるみを相手にしていたが、私の姿を見るとハイハイで寄ってきてくれた。かわいい。

 思わず膝に乗せて「お馬はみんな♬」と歌いながら揺すってやる。駿くんがキャッキャと喜ぶ。その笑顔に"幸せだぁ"とこちらも喜んで15分ほど遊んでいると、ガラッとドアが開いた。

「田中先生、お願い〜」

華恋かれんちゃんと悠人ゆうとくんがベランダに運ばれてきた。そして駿くんが保育室へ。

 ここからはベランダと保育室の間を随時子どもが行き来する。

 最終的に最初にご飯を食べた陽毬ちゃんと克巳くんがベビーベッドで眠り、残りの4人がお昼のご飯とミルクが終わってベランダで遊んでいる状態になった。時間は13時近い。こちらの腹も減ってくる。

「仕方ない…交代で食べましょう」

という事で1人づつ保育室に入って給食を食べる。寝入っている子どもしかいない保育室はウソのように静かで1人で慌てて食べる昼ご飯は少し寂しい。


 14時、ベランダで春の暖かい日差しを気持ちよく浴び、でも意外と日焼け対策も必要だぞと思いながら子ども達の相手をしている。

 横では清水先生が背中に華恋ちゃんをおんぶして保育日誌を書いている。子ども1人に一冊の保育日誌には保育中の排泄の回数や状態、食べた離乳食の量、その日の子どもの様子が書かれる。お母さんたちは、これを見て保育園での我が子の様子を知り、安心したり保育士とコミニュケーションをとったりするのだ。

 

 15時おやつの時間。清水先生とベランダの4人を保育室に入れ、私がおやつを運んでくる頃には眠っていた陽毬ちゃんと克巳くんも目を覚ましたようだ。ベッドから下ろされハイハイをしている。短い時間でもぐっすり寝たのか、泣かずに起きられたようだ。

 先生2人が順番におやつを与えていく。私の終業時間まで、あとわずか。清水先生が棚の上に私の分のおやつを置いてくれた。

「田中先生、食べてね。」

私は礼を言って子ども達を見守りながら、いただく。保育園がうりにしている手作りのおやつはちゃんと職員の分もある。昼の給食と合わせて日額300円はけっこう嬉しい。


15時30分 私の終業時間だ。保育室は最後の2人がおやつを食べ終わりミルクをもらっている。

「田中先生、もう30分ですよ。どうぞ…お疲れ様でした。」

と華恋ちゃんにミルクを飲ませながら清水先生。しかし私の膝にはご機嫌の翔太しょうたくん。そして保育室の床にはあと3人の子ども達。

立ち上がっていいものか…と少し迷う。もともと自分で決めた終業時間だ。1〜2分を急いで帰らなくてはならない理由もない。

「大丈夫です。その子達が終わるまでいますよ。」

と言うやいなや河西先生が立ち上がった。

「はい、終わり。大丈夫ですよ、安田先生、お疲れ様でした〜」

ミルクを与え終わった悠人くんを床におき、私の膝から翔太くんを抱き上げる。

河西先生の素早さと突然軽くなった膝に違和感と寂しさを感じながら

「じゃあ…」

と私は保育室を出たのだった。

 

 






 

 








 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る