初めての0歳児保育室での出来事

 面接の日。

 3月の中旬、私は少し悩んでパンツスーツを着た。実際に働くとなったら自転車で15分くらいを通勤することになる。

 運動不足の私でもなんとか行ける!と自分に暗示をかけて早めに出発。

 

 思ったより早く面接予定の10時より15分ほど早めに保育園に着いてしまった。

 約束の時間より早く行くのは非常識かと少し迷ったが、スーツ姿で門の前に立っているといぶかしげな顔をして親子が横を通っていく。

あやしいひと認定されても困るので思い切って園庭に続く門を開ける。するとほぼ同時に音楽がなりだし、それが合図だったのか園庭で遊んでいた子ども達が園舎に向かいだした。たくさんの小さな後ろ姿が駆けていく。


 子ども達がほぼ園舎に入ったのを見て、その後に続いて園舎に入る。

 年少さんらしい小さな子どもの手を引いている若い保育士らしい女性にまずは挨拶

「おはようございます。あの、面接に来た田中と申しますが…」

 保育士は"あぁ…"という顔をすると

「少しお待ちください。主任の先生を呼んできますね。」

と言い、手をつないでいた子どもを抱き抱えると左手廊下へきえていった。

 園舎のあちこちから子ども達の賑やかな声や音楽が聞こえる。

少しすると主任らしき女性がきた。

「お待たせしました。すいません、園長先生がまだ来てないんですよ」

と困ったように言う。私はしまったなと思いながら、

「いえ、予定より早くお邪魔してしまったのはこちらで…すみません。」

とかえし、少しの沈黙のあと

「あの、もしよろしければ園長先生がみえるまで保育室の様子を見学させていただくわけには?」

と聞いてみると、主任は笑顔になり

「ああ、そうですね。そうしましょう。どうぞこちらへ」

とスリッパを出した。先ほどやって来たのとは逆方向のへ廊下を案内するように歩き出した。私はスリッパを履いて後についた。

 2つほどのにぎやかな保育室の前を通って突き当たり手前の部屋。廊下に面して出入り口の横から廊下の先まで大きな窓が並んでいる。部屋の中、窓のすぐ向こうでは保育士らしき女性が2人、それぞれ子どもがおやつを食べる様子を見守っていた。

「清水先生、4月からの…看護師の先生。少し見学してもらってもいいかしら」

と主任は手前の少し年配の保育士に声をかけた。

「あぁ、大丈夫ですよ。林先生もいるから、よかったら話しを聞いてもらって。」

女性は私の方を見て軽く頭を下げると視線を保育室の奥へ移した。

 視線の先には先日電話で話した彼女がいた。顔をあわせるのは久しぶりだ。

 チョコチョコと歩き回る数人の幼児のなかで横座りのまま、こちらを向き小さく手を振った。

「じゃあ、園長先生が見えたら呼びにきますね。」

と主任は来た廊下を戻っていく。

「失礼します」

と私は緊張しつつ出入り口の引き戸を開けて入ろうとした

「あー、スリッパ、脱いでくださいね。」

慌てたように先ほどの清水先生と呼ばれた保育士に言われ、慌ててスリッパを脱いで廊下に並べる。

 清水先生は安心したように再びおやつを食べる児の方にむいた。テーブルの上に落ちたクッキーのカスを拾ってやる。

 私は林さんの近くまで行き腰をおろす。

「久しぶり。」

 彼女は一人の女児にミルク缶でできたオモチャらしき物を与えこちらを見た。缶の蓋部分に小さな穴が開けてあり、児は穴から出てくるスカーフのような布を引っ張り出している。ズルズルズルズル…たくさんの布が結んで長い帯になり缶から…ズルズルズルズル…

「うん…とりあえず、子どもの様子でもみて、テキトーに遊んでみていいわよ」

と言うので、まずは座ったまま子ども達の様子をうかがう。

 おやつを食べている子どもを除いて6人がチョコチョコと動き回っている。

 普通にしっかりとした足どりの子もいれば、今にも尻もちをつきそうな子もいるが、一応はみな二足歩行への進化は終わっているようだった。

「けっこう大きな子たちだね。」

と私が言うと林さんは

「この部屋は0歳児用の部屋なんだけど、もう3月だからね。みんな満1歳にはなってるのよ。来月には全員が隣の部屋、1歳児クラスの保育室に移動するの。この部屋にはまた小さいのが入ってくるよ。もう8人の定員いっぱい予約が入ってるって」

1歳になってるけど、0歳児クラスという保育園独特の数え方に少し驚く。

 横にあった布製のボールを何気なにげに転がしてみると少し向こうにいた一番大きい男児がそれを取りに歩いた。1歳にしてはもう動きもしっかりしている。4月とか5月生まれか、もう2歳の誕生日も近いのかなと思って見ていると、突然ポテっと尻もちをつく。

そして、チラッとおやつを与えている保育士の方をみると

「う…うわ〜ん」

と泣き出した。

おっとっと…どうした?どっかぶつけたか?と私は立ち上がり近寄る。

仰向けになって力いっぱいに泣き出した児を抱き上げようとしたとき、それをするどさえぎる声がした。

「やめてください。クセになりますから」

声の主は先ほどのおやつを与えている保育士。

「え?でも…」

と、まさかの静止に私が戸惑っていると

「その子、わかってやってるんです。泣けば抱いてもらえると。くせになると困るので、そのまま泣かせといてください」

それは絶対に反論を許さない口調で…

泣き続ける児のかたわらに立ったまま呆然としていると廊下から声が聞こえた。

「田中さん、園長先生がみえたので、こちらへどうぞ」

「あ、はい。じゃあ…」

 私は泣いている児をそのままにに落ちない気持ちで0歳児の保育室をでたのだった。

 後ろに泣き声を聞きながら。









 

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