ヤリュート・チルクの憂鬱


 契丹族は祭典クリルタイが終了すると、最初に引き上げ始めました。

 最下位になったので、エルゲネコンにいずらかった、というのが本音なのでしょうね。


 途中で各々の故郷に向かって分かれていきます。

 祭典クリルタイで契丹舞踊団が優勝、首席巫女となったゲレルトヤーは、ヤリュート・チルク自ら率いていた阿大何部の約二千名とともにし、契丹の故郷、遼河源流に向かっていました。


 一行はあまり元気がありません。

「それにしても我らは一つも勝てなかった……面目が立たない……」

 ヤリュート・チルクの嘆きが全てを物語っているようです。


「おじ様、次のクリルタイのために今から準備すればいいのです、ウマイ様はお怒りではないはずです」

「それは分かっているのだが……」

 遊牧の民にとって、戦いに全敗なんてのは屈辱以外の何者でもないでしょう。


 契丹族阿大何部の約二千名の足取りは重く、空もつられて低く垂れ込みはじめます。


「もうすぐ柔然の集落が見える頃か、先ごろまでは争いばかりだったな……」

「ウマイ様のお蔭で四部族の争いは影を潜めた……」

 ゲレルトヤーは黙って聞いていました。


 ……ウマイ様のお力……契丹族は最初の頃、恐怖で従っていたけど、いまでは争うことの愚かさを知り、遊牧四部族はまとまった……


 ウマイ様の権威だけがそれを可能にしている……

 その象徴がこの『魔鏡』、これを預かる私たち巫女は、ウマイ様の御遣いと云うべき立場……


 神聖不可侵、それを部族が守るなら、『魔鏡』を通じてウマイ様のお力を部族のために揮える……

 ゲレルトヤーはこのように考えていたのです。


 巫女がもつ『魔鏡』というのは、ウマイ女神の力がこもっているもので、部族を守る力があるといわれています、また神聖不可侵の巫女を守ってもいます。


 事実、ゲレルトヤーに、酔っぱらって夜這いなどをかけてきた男がいましたが、『魔鏡』がギラッと輝くと、その男は四肢があらぬほうに折れ曲がり、無残な死を迎えたのです。


 この死んだ男というのが、契丹随一の勇猛な戦士、祭典クリルタイに出場と目されていたのですが……契丹の最下位はこれが原因……


 ただ部族の巫女への不埒な行い、ゲレルトヤーの中では、ウマイ女神さまの神罰、最下位は当然と思えるのです。

 多分ヤリュート・チルクも理解はしているのでしょうが……


 先頭を行く物見から報告がありました。

「前方の柔然の村から土煙が見えます、盗賊か何かに襲われているようです」


「このあたりの柔然は、皆エルゲネコンに参集している、残っているのは女子供や年寄りばかり」

「これはいかん!昔はどうあれ今では仲間、助けに行くぞ!」


 族長ヤリュート・チルクは、自ら率いていた阿大何部のそれも一部、約二千名で柔然の村を救出のために急行したのですが……


「趙帝国の廂軍――宋の軍政によれば地方軍、地方政府直轄の傭兵、郷軍とは違う、犯罪者や正規軍からの脱落者よりなる――です!大軍です!」


 ヤリュート・チルクは、新たに大可汗になったビルゲに緊急の伝令を送ると、

「皆聞け!我ら契丹族は先のクリルタイで惨敗、面目を失ったが、これはウマイ様に我らの勇猛さを示す良き機会である」


「相手は大軍といえどたかだか趙の廂軍、烏合の衆である!契丹族の力をウマイ様に示すのだ!」

 ヤリュート・チルクの檄に二千名の契丹兵は奮い立ち、突撃を始めたのです。


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