第三章 陳麗華の物語 ある日の喫茶室での会話
夢に見るのは幻か…… 其の一
陳麗華さん、趙帝国前皇帝の正妃でした。
今は東岳泰山碧霞宮の天仙娘娘に仕える女婢です。
彼女は毎夜みる夢に悩まされていました。
趙の都、陽城が陥落し、我が身が遊牧民の族長たちの前で全裸にされ、あざけりを受けるという夢です。
しかし陽城は陥落などしていません。
……遊牧民とは大同盟約で和平が結ばれているはず……なぜ、ありもしない夢をみるのか……
ある日、喫茶室で陳麗華さんはそんな夢の話しをすると、夏香玉さんと申容姫さんも似たような話を持ち出しました。
三人はお茶を飲みながら、不思議な夢の意味を考えはじめる……
* * * * *
東岳泰山碧霞宮の天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)さんに仕える女婢、陳麗華さんは元趙帝国前皇帝の正妃でした。
皇帝崩御の後、北の遊牧民の大攻勢があり、国境の要衝、大同が包囲され城将は戦死しました。
救出に向かった禁軍の一つ、殿前諸班を束ねる父はあっけなく戦死、残りの禁軍も蹴散らされたのです。
大敗北の混乱の中、即位した趙文悦さんは高文帝と称し、遊牧民との間に大同盟約を成立させ、なんとか趙帝国滅亡を回避したのです。
前帝の後宮の女たちはあと腐れないように天仙娘娘さんに献上され、陳麗華さんは東岳泰山碧霞宮の女婢となっているのです。
そもそも前皇帝は天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)さんの不興を買い、無残な死に方をしたのは、当時の後宮の女たちと趙帝国の上層部しか知らない秘事、趙帝国では心の病と公表されています。
この中原世界の三柱の女神、ウマイ女神さん、王母娘娘(わんむーにゃんにゃん)さん、天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)さん、は全て同一の存在で、見え方により呼び名が変わると今では信じられています。
趙帝国中央を流れる図南江(ずなんこう)より北の、『北岸』とよばれる地域で信仰されているのが天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)さん。
『江南』の王母娘娘(わんむーにゃんにゃん)さんが生死を司る女神であり、どこか厳しいのに対して、天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)さんはどこまでも優しく、信仰薄き者でも願えば聞き届けてくれるといわれています。
東岳泰山碧霞宮の女たちは前帝の後宮、長楽宮で醜い権力闘争を繰り広げていました。
長楽宮は伏魔殿、そこに住まうは夜叉ばかりとまで、あざけられたほどです。
きわめて美しい女たちではありますが、きわめて危険な女たちでした。
そんな女たちが天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)さんに出会い、しおらしい女になったのです。
いまでは激烈な権力闘争も嘘のよう、仲よくお茶などをしています。
天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)さんは優しい女神ではありますが、一線を越えると冷酷なのです。
当初陳麗華さんは、天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)の側近くに仕えられるとは思っていませんでした。
陳麗華さんは幼くして養父に犯され身ごもっていたのですが、前皇帝はそれを知りながら、当時十三歳の陳麗華さんを奪ったのです。
お腹の子は男なら陳麗華さんと共に殺し、女なら並べて欲望の対象にしようと考えたようです。
そんな穢れた身の上の陳麗華さんを、何もいわずに天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)さんは抱いたのです。
陳麗華さんは幾度も絶頂を迎え、骨抜きとなり、身も心も天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)さんに捧げると誓ったのです。
長楽宮で醜い権力争いをした残りの二人、貴妃であった夏香玉さんと皇太后であった申容姫さんも同じような気持ちのようです。
ある日、東岳泰山碧霞宮の喫茶室で、三人は仲よくジャスミン茶を飲んでいました。
「すこし前なら仲よくお茶など飲んでいるとは、想像も出来なかったわね」
申容姫さんがしみじみといいました。
彼女はいまでは東岳泰山碧霞宮の『ウェイティングメイド』、夏香玉さんも陳麗華さんもそれを認めています。
「そうですね、あの頃どうしてあんなに醜くいがみ合っていたのか……」
夏香玉さんが相槌を打ちます。
陳麗華さんが、
「思うに生きるために必死だったのではありませんか?」
「私なんてご存知のように皇帝ではない男、しかも養父の子を身ごもり、いつ死を命じられるかとビクビクしていました」
「前皇帝が崩御され、ますます状況が悪くなり夜叉になってしまいました……」
「二人とも、私もだけどもう過ぎたこと、それよりこれからも仲よく力を合わせて、東岳泰山碧霞宮に尽くしましょう」
「天仙娘娘(てんせんにゃんにゃん)様に、良き娘を献上いたしましょう」
三人は和気藹々とお喋りなんてしています。
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