美人局(その2)
三日後。
妾のお艶の使いが、隠居の福太郎の訃報を伝えに来た。
「『万一、腹上死したら泪橋の浮多郎若親分が事情を知っている。真っ先に知らせろ』と言われていたので・・・」
日暮里の正覚寺裏の妾宅で、年増の妾はしょげ返っていた。
「元気だったので、冗談だと笑って聞いていたのに、まさか・・・」
お艶は大粒の涙をこぼした。
元は三味線の師匠で、数ある妾の中の最古参で、五年ほど前に糟糠の妻をなくした福太郎が正妻に直れ、としきりにすすめても頑として首をたてに振らなかった律義者のお艶だった。
さては、極上の媚薬を手に入れたので、年増の妾を久々に喜ばせてやろうと無理をして腹上死したので、と浮多郎が暗にたずねると、
「そうではありません」
お艶は首を振った。
「昼すぎにたずねてきて、『今夜は久々お祭りわっしょいわっしょい、だ』と、子供みたいにはしゃいで、ことの前になにを元気にする媚薬だとかいう薬を一包呑んだら、急に胸をかきむしってそのまま・・・」
やって来た岡埜同心に、お艶は起こったことそのままを言った。
岡埜は、布団に横たわる福太郎をひと通り検分し、呑み残した薬の包みを手に取って日にかざしたり匂いを嗅いだりした。
「年寄の冷や水とはこのことよ」
浮多郎から、蟻地獄のお千と美人局まがいのことがあったことを聞くと、岡埜は鼻先で笑った。
「いい歳こいた年寄が、三日とあげずにことに及んだらどうなるか、分かりそうなもんだぜ」
岡埜は、与太があとをつけたのでお千の居所は分かる、と浮多郎から聞くと、
「いちど、しょっぴいて痛めつけてやれ。江戸の金持ちの隠居がぜんぶ腹上死する前にな」
と、ひねった首を十手でポンと叩いた。
―さっそく下谷に住むお千と情夫を近くの番屋に呼び出し、岡埜が厳しく問いつめたが、「これはひと助けでございます。どれほどお年寄りに喜んでいただけたことか」
と、お千はいけしゃあしゃあと言い逃れをする。
「マムシとスッポンと朝鮮人参やらを調合した強壮薬で、心ノ臓に持病のあるお年寄りにはおすすめしませんでした。ただ、死んでもいいから、女をいまいちどよがらせたい、とお望みのお方にはお断りはいたしません。腹上死されても、それは覚悟の上でございましょう」
初次郎とかいうお千の情夫も、青白いうらなりのような顔でへらへらと屁理屈を申し立てた。
「このままでは、罪には問えねえなあ・・・」
などとぶつぶつ言って、岡埜はふたりを放免した
「蟻地獄のお千は、煮ても焼いても食えねえあばずれなのは、とうに知れている。だが、男のほうは・・・」
手に手を取って番屋をあとにするふたりの背を見ながら、
「怪しさがプンプン匂う野郎だぜ、初次郎ってえのは。素性をとことん当たれ」
と浮多郎の尻を叩いた。
―しかし、ふたりはその夜のうちに入谷の家を引き払い、雲を霞と逃げ去ってしまった。
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