片時雨〈祓えや謡え、花守よ異聞〉
AG
第1話 花
司暮は曖昧に微笑むばかりで、目の前に差し出された見合い写真に興味を示さなかった。
痺れを切らした古株の女中が「失礼して」とそれを開き、わざとらしく「まあ素敵」と言っては司暮を見た。
結局それは当事者の目に触れることなく、それらの小山を一段高くするに留まる。
(坊ちゃんは高山に咲く花がお好みなのかしら)と女中は嘆息した。
しかし、縁側で空を見る坊ちゃんを見れば(それもそうよね)と。
本当の兄妹のように寄り添っていた、桂司暮と星野もろはを女中は覚えている。
それは他の古株の家人たちも同じで、司暮の気落ちした様子に胸を痛めながら、どうする事も出来ずにただ眺めていた。
ーーーーーー
ともあれ、桂という家が花守としてそれなりの家格を備えているお陰で、かの事件の顛末が程度の差こそあれ周知されているにも関わらず、こうして見合い写真が送られてくるという次第であった。
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桂司暮は桂家の当主となって以降、必要最低限の事務的なやりとりを除いて星野もろはとの連絡を絶ち、桂家の地盤固めと剣の研鑽に明け暮れていた。
星野家当主にその長女との婚約関係を結ぶ許しをもらう為に持ちかけたのが“桂家の当主になる”という条件であるが、“名実ともにそうなってこそ”いうのが司暮の考えであった。
また、それ以前に決まっていた星野もろはの縁談を、己の申し出によって破談にした真意がただの情欲によるものではないことを、周囲に対して暗に示していたのかも知れない。
そういった理由から桂家の内弟子たちは、桂司暮に星野もろはという許婚がいるという話を耳に挟んだことはあっても、それを実感として得られたことはなかった。
中には元々星野家に預けられていて星野もろはと面識のある内弟子もいたが、その時分にはすでに当事者同士の連絡は絶たれていて、やはりその話の真偽に疑問符を浮かべざるを得なかったのだが―
許婚を喪った後の司暮の様子を見れば、彼なりに彼女のことを大切に想っていたのだと内弟子の誰もが理解した。
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かの事件により、桂司暮と星野もろはの肉親などの個人間で少なからず苦手意識は生じたものの、桂家と星野家の関係は別段悪化することなく続いていた。
事件の顛末をよく知る、“星野家当主の懐刀とも言うべき人物”が司暮を擁護した事で両家の決別は免れたのである。
桂家と星野家と東堂家の三家が互いに一族の子息を内弟子に入れるという慣習もまた、変わらずに続いている。
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大霊災が起きてからというもの、司暮の元に見合い写真が送られて来ることはなくなった。
夕京の花守家はそれどころではないし、他所の花守家としてもいつ殉死するとも知れない男に娘をくれてやる訳にはいかないのだろう。
こうなった以上、高く積まれた見合い写真は一度として当事者の目に触れることはないものと誰もが確信していた。
そんなある日、公務から帰ってきた司暮が突如として見合い写真を開き始め、女中は何事かと思い、隠れて成り行きを見守った。
司暮は最後の写真を躊躇った後に開き、意気消沈した様子で静かにそれを閉じた。
本来ならば写真の片付けを買って出る所であるが、女中は司暮を気遣ってその場を離れた。
女中の胸は高鳴っていた。
司暮に意中の人が出来たことに気付いたのである。
ーーーーー
道場では
体調の悪い日が続いているのかと内弟子たちは心配したが、急に何かを思い出したように微笑んだり、放心したりといった症状が追加されたことにより、いよいよそれが恋煩いではと疑い始めた。
しかし星野もろはの存命中に司暮がそういった一面を一切見せなかったことを思い返せば、事件を機に司暮に心境の変化があっただとか、或いはそれはもう相当に魅力的な女性に惹かれているのではないか、などの憶測が内弟子内で飛び交うに至った。
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そんな折、早朝に百鬼家の当主を尋ねると言って出て行った司暮が、夜になって綺麗な柄の包みを一つ大切そうに抱えて帰って来た。
神棚の前に包みを置いて熱心に祈る様子を見た女中は、それが意中の人への贈り物であると直感する。
翌日、女中は玄関前で包みを抱えたまま行ったり戻ったりを繰り返す司暮の背中を、「行ってらっしゃいませ、当主様」と言って押した。
帰って来た桂家当主は嬉しそうな顔をしていた。
「どうでした」と聞けば、司暮は喜びの余り隠すを忘れていたのか、元々隠すつもりがなかったのか定かではないが、「受け取っていただけました」と言ってはにかんだ。
「それだけですか」と聞き返せば、「そうです」と。
神棚の前での願掛けや玄関での躊躇い様から、てっきり交際を申し込みに赴いたものと思っていた女中は拍子抜けした。
(坊ちゃんは意外に奥手なのかしら)
この一件に出くわした女中は、司暮の恋が成就するとしても、それはまだまだ当分先のことであろうとたかを括っていた。
ーーーーー
数日と経たぬ内に、桂家当主は再び嬉しそうな顔をして帰って来た。
「どうなさったんです」と女中が聞けば、司暮は「一緒にお買い物をしました」と言ってはにかんだ。
「そうですか、それはようございましたね」
(まあ、そんなところでしょうね。坊ちゃんにしては上出来かしら)
女中が微笑ましく思っていると、司暮は「それだけではないのですが、それはまた近い内にお話しますね」と。
司暮が珍しく自分の居室へ向かわないので目で追っていると、彼は実父である先代当主の居室前に立った。
えもいわれぬ緊張感を漂わせた司暮は「折り入ってお話がございます」と襖越しに、部屋の主に向けて告げた。
女中は只ならぬ気配を感じ、一礼してその場を離れた。
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廊下で会釈を交わしてすれ違った司暮は、神妙な面持ちの中に僅かな安堵を湛えていた。
(ああ、お話が終わったのね…。坊ちゃんを労う為にお茶でもお出ししましょうか)
台所に立つ女中の元へ、目を丸くした先代当主がいそいそと駆け寄って来て耳打ちする。
「司暮のやつ、意中のお嬢さんと結婚の約束を取り付けてきた」
女中もまた目を丸くし、思わず労いの為に用意した茶に口を付けて心中の平静を図った。
女中から司暮の様子や体調を心配する趣旨の相談を受けていた先代当主は、その流れで自然と息子の恋愛事情について彼女らと情報交換するに至っていた。
「まあ、もろは嬢の時も突然だったからな」
司暮は齢16の時分、実父も
ともあれ、婚約ともなれば遅かれ早かれ他家に知れ渡るというもの。
そのもろは嬢が亡くなって1年経つかどうかといった時宜では、星野家は当然として東堂家にも婚約を快く思わぬ者が出てきてもおかしくは無い。
気落ちした司暮を心配する余り見合いを勧めていた女中でさえ、いざこうなってみると気が気ではなかった。
しかし婚約を容認するかのような先代当主の口ぶりに、彼女は
「そもそも司暮が当主になろうと努力してきたのも、もろは嬢との結婚の為だからなあ。あいつが結婚を申し出るというなら、そういう覚悟があっての事だろう」
息子の血の滲むような努力を長い間見てきた彼は、頷くしかなかったのだ。
「もろは嬢の時も、なかなか風当たりが強かったからなあ」
退屈しないな、と先代当主は父親の顔を見せた。
ーーーーー
後日、桂司暮の新たな婚約者が菱家という西で有名な花守の家柄で資産家のご令嬢だと知った女中は、(坊ちゃんはやはり、高嶺の花を手にされたのね)と
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