第3話

 数ヶ月そんなふうに過ごして、わたしは大人に呼び出された。あなたの里親になりたいというひとが来ている、と。ほかの子どもたちも、そうして引き取られ始めていた。

 やあ。

 部屋に入ってきたのはカリンだった。

 目を丸くしているわたしに、老人はにっこりと微笑みかけた。

 老いぼれの里親ですまないが、きみが成人するまでは健康でいるつもりだよ。

 ついていったら、熱帯キューブに入ってもいい?

 わたしがかれの言葉尻にかぶせるように訊く。かれはまた満面に笑みを浮かべる。

 わたしの言うことを守れば、入ってもいいよ。

 そうして、わたしはカリンに引き取られた。

 カリンは熱帯キューブに併設された研究所の研究者で、そのちかくの住居用バイオームシェルフに住んでいた。バイオームシェルフは、外から見ればガラス張りのキューブをいくつも重ねたようなかたちで、簡易なバイオームがそれぞれのキューブに保持され、そのなかに家を建てる。首府の高級役人にしか許されない住まいだ。

 ようこそ、わがオアイエへ。

 カリンが扉を開けるボタンを押すと、内側からつんと清涼な匂いが漂ってくる。

 乾いた草原と、深い緑の葉の木々。樹冠はカリンのスモックの刺繍のようにとんがっていて、清涼な匂いはそこから吹いてくる。わたしはその木に近づく。

 モミの木だ。わたしの国は、モミとヒツジの国と呼ばれている。それを再現したバイオームなんだ。

 幹はまっすぐ、樹皮は荒れてごつごつとしていて、葉は針のように細く、わたしはこんな木を見たことがなかった。落ちている小枝を拾い上げてしげしげと見る。硬く、触るととげとげした葉。実がいくつもついている。

 ネズミやリスが種を食べる。

 カリンはにこにこして言う。

 わたしはあたりを見渡す。

 おおきい木はモミだけ?

 そうだな、あとはナラ。マツ。すこしだけカバ。

 それだけ?

 わたしは目を丸くしてカリンを見つめる。

 老人は青い目でわたしを見つめ返す。

 そう。熱帯とは比べものにならないくらい、ここは樹種のすくないバイオームだ。

 そう言って、かれはわたしを家に案内する。黒ずんだ木の壁、木の板を並べた屋根。家の腰を、回廊がぐるりととりまいて、その手すりには単純な柄の透かし彫りが入っている。

 入って、入って。

 階段を上って、正面の扉から入る。目の前に一枚板のテーブル。奥にストーブ。そばの椅子に座っていた中年の女性が立ち上がり、こちらにやってくる。

 むすめのイリャーナ。もうひとり息子がいるけれど、遠くに住んでいてきょうは来ていない。

 イリャーナが頬をばら色にして微笑む。棒立ちするわたしに近づいてかがみ、抱きしめる。

 よく来たわね。父さんひとりであなたを迎えるのは心配だから、わたしも来たの。

 そう言って、彼女は隣の部屋にわたしを案内する。

 わたしのちいさいころ着ていた服よ。父さんがオアイエ――故郷からはるばる取り寄せたものだから、とっておいていたの。使い道があってよかったわ。

 イリャーナが差し出すのは、白地に華やかな刺繍をびっしり施したブラウスだ。

 わたしは目を丸くして見つめる。

 カリンがおどおどと付け足すように言う。

 気に入らなかったら、首府で生産された服でもいいし、きみの故郷の服を作らせてもいい――ただ、ここではかなり寒いだろうな……。

 わたしは頬が熱くなるのを感じる。

 きれい。触ってもいい?

 もちろん。

 わたしはブラウスを手に取る。首府で与えられた、ちくちくする服とは違い、洗い込まれてくったりとして柔らかい。白だと思っていた生地はよく見ると黄みがかっていて、ところどころ黒っぽい点が入っている。生成の亜麻。赤や緑、黄の木綿の刺繍で、花や葉を縫い込んである。目にちかづけて見つめる。ぴしりと整った糸の膨らみが盛り上がり、布の上に輝く。風にそよぐさま、花の香り、ミツバチのうなり。それを感じ取り、わたしはうっとりと息を吐く。

 イリャーナにもういちどぎゅっと抱きしめられる。

 気に入った?

 うなずくわたしの頭を、彼女はなんども撫でる。

 うれしいわ。かわいらしい子。

 そう言ってわたしの頬に口づけする。故郷になかった習慣をされて、わたしは震える。母さんの恋人がこっそり母さんにしているのを見たことがあるだけで、それは子どもが受けてはいけないもののような気がする。わたしが顔を真っ赤にして身を硬くするのに気づいて、イリャーナはぱっと離れる。

 ごめんなさい。べたべたしすぎたわ。

 カリンがイリャーナを引き寄せ、そうだ、火山諸島ではあまりキスはしないそうだよ。とささやく。

 わたしはイリャーナが離れてしまったのでさみしくなり、彼女の豊かな腰を覆うふかふかしたスカートにすがりつく。こんどはイリャーナがびっくりし、それから微笑んでまたわたしを抱きしめる。次々にブラウスやスカート、横縞模様のエプロン、ヒツジの毛の房で外側をもこもこさせたコート、刺繍の入った革の靴を出しては、わたしのからだにあてて、これはちいさい、あれはおおきい、と首をひねる。ちょうどよさそうなものを集めて、カリンを部屋から追い出し、わたしに服の着方を教えながら着替えさせる。髪を梳かし、スカーフを頭にかぶせ、にっこりと微笑んで鏡の前に立たせる。

 うららかな衣服を着た、肌の黒い女の子が所在なげにそこに立っている。

 へんだよ。

 わたしはつぶやき、イリャーナを慌てさせる。

 なにを言っているの。

 だって、こういうのはイリャーナみたいな、白いひとが着るものでしょう。

 イリャーナを見つめる。彼女もブラウスとエプロン、スカートを身につけている。

 そうかしら。レットの肌の色も、ブラウスに映えてきれいだわ。

 イリャーナはカリンを部屋に入れ、かれもわたしのすがたを誉める。ちやほやされて、わたしは恥ずかしくなってイリャーナのスカートの陰に隠れる。

 カリンは声を立てて笑い、

 ちびさん、あれこれ言ってびっくりしたね。おなかが空いただろう。食事にしよう。

 と言ってわたしを居間に戻した。 



 オアイエでは、こころばえの優れたひとを「焼きたてのパンのようなひと」と言う。

 そう言いながら、カリンはストーブで温めたパンをわたしに差し出し、スープやヒツジの肉を煮込んだものをテーブルに並べる。カリンの言っていることはよくわからないけれど、焼きたてのパンのようなのはイリャーナだとわたしは思う。ふたりに見つめられながらわたしは食事をする。夜になれば、ストーブの煙を床下に通した部屋で、ふかふかの藁を詰めたベッドに入り、行火をフェルトでくるんだものと一緒に眠る。自分ひとりの部屋だという。わたしはイリャーナにお話をねだる。イリャーナはベッドのそばの三本足の椅子に腰掛け、遠い山に出かけていくヒツジ飼いの夏の話をする。ヒツジの乳からチーズをつくる小屋についてのところで眠ってしまう。

 人間はどうしてこんなにちがうんだろう、とわたしは夢のなかで考える。カイの山のなかの暮らし、首府の高いビルの暮らし、バイオームシェルフのモミの木のそばの家の暮らし。カイの鳥がさえずり、窓の向こうで黒いもやのなかにロープウェイの灯りが見え、イリャーナがばら色の頬で笑う。なにかをつかみたくて手を動かす。それを、だれかが握る。あたたくてつよい手。

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