第4話
小学校に通い始める。バイオームシェルフに住む、いろいろな生態系のなかに建つ家の子どもたち。温帯多雨林や亜寒帯、サバンナやツンドラ。肌にちくちくする制服を着る。だから、わたしがコーヒー色の肌でもオアイエの服を着て家で過ごすことについては、だれもへんだと言わない。小学校は地下にある。からだのおおきい子もちいさい子も、算数ができる子も体育しか得意ではない子も、同じ教室で複数の教師が教える。わたしはちいさな子たちと、金属の板を使ってカリキュラムの最初から学び始める。ペンで首府のことばや数字を書く。
みんなで自分の家のそばのことを作文に書く。環境がことばに変わっていく。涼しい、暑い、寒い。湿っている、乾いている。親たちは首府の公的機関に勤める。エネルギー開発、ということばをなんども聞く。火山が多い大陸の、地熱を発電に利用して、首府は成り立っている。ドームやキューブ、それをつなぐチューブのエネルギーは、火山の力で支えられている。火山帯の向こうに、わたしの故郷――カイがあることをわたしは学ぶ。いまはもう、溶岩に覆われてしまっている故郷。熱帯の環境は維持に莫大なエネルギーが必要で、研究用のキューブしか首府にはない。そこに勤めているのがカリンだ。
バイオームシェルフに暮らすひとびとが求めているのは、故郷、数代前の先祖が住んでいた環境だ。かれらの故郷は世界各地にちらばっている。地球儀を画面のなかでくるくる回しながら、教師が説明する。球形の世界のなかの、北極にちかい地域、南極にちかい地域、赤道にちかい地域。ばらばらな場所にある陸地に、たしかにかれらは昔住んでいたのだ。けれどいま、そこは廃野と呼ばれる。火山活動と、戦争で使われた兵器によって汚染された地域。衛星に逃げたひとびとだけが、首府に集まって生活を始められた。それ以外の、逃げ遅れ廃野にいたひとびとはみな死んでしまった。もともと火山によって閉ざされていた火山諸島と、カリンの故郷であるオアイエだけが、もとのままの環境を残していた。いまはもう、オアイエだけが豊かな自然を持っている。ヒツジとモミの国、首府からみて、廃野をはさんだ大陸の果てにある地域。廃野の地下に通した鉄道だけが、首府とオアイエをつないでいる。
家に帰ってきて、カリンに聞く。どうしてカリンは首府に来たの?
わたしのコート――ヒツジの毛の房のたくさんついたもの――にブラシをかけながら、カリンはわたしをストーブの前に座らせ、温めたプラムのジュースを飲ませる。
汎知性共同体の研究をするためだよ。
ハン、チセイ、キョウドウタイ?
学校でもおいおい学ぶだろうけれど、わたしのほうからさきに説明しよう。
カリンは自分の部屋に行っておおきな古い本を取ってくる。テーブルにそれを開くと、見開きで図が描かれている。
鼻がむずむずするような、古い紙の匂い。
カリンの乾いた指、白っぽく傷のついた爪の先で、かれはキノコの絵を示す。
ツキヨタケだ。
わたしのことばにうなずく。
キノコの本体はキノコじゃない。地面に伸びる菌糸だ。
キノコの絵の付け根、優美な曲線を描いて伸びる菌糸をかれは示す。
菌糸は地面の下、あらゆる場所に伸びていき、キノコとキノコは菌糸をつないで話をする。
話?
キノコのことばだから、人間には聞き取ることができない。けれど、キノコはほかのキノコや、地面に根を張る木々、草、ちいさな虫や菌類、もっとちいさな細菌やアメーバとも会話する。あそこは栄養があるからあっちに根っこを伸ばそう、とか、向こうから火山の溶岩がやってくるから逃げよう、とか。そうやって、生態系――バイオーム全体で、栄養や光、水や空気の状況を調べ、判断し、生長する。人間はひとりの頭のなかに知性――感じて考えるしくみを持っているけれど、キノコや森の生き物は、バイオームひとつで一個の知性だ。その互いに情報や考えを交換するしくみ全体のことを、汎知性共同体と、わたしたちは呼んでいる。
菌糸の絵は地面の四方八方に伸び、かれの言う通り、植物や微生物がそれにつながっている。
わたしは頭をかしげる。
精霊みたいなもの?
かれは微笑む。
カイのひとたちはそう考えていたのだろう。人間以外の、森の生き物すべてをつなぐひとつの知性として、精霊をとらえていた。
カリンはそう思わないの?
どうかな。それはむずかしい問いだ。わたしはまだ答えを持たない。
カリンは精霊を信じていないの?
わたしがおおきい声で聞く。
バイオームシェルフの子どもたちは、それぞれの家庭ごとにさまざまな信仰を持っている。一日五回礼拝をする子もいれば、牛肉を食べない子ども、肉自体を食べない子ども、日曜日教会に行く子どももいる。神さま、という、精霊とはちがうものを、子どもたちは信じている。わたしは朝床に額を当てることがなくなって、でも、モミの木の下に立つと、精霊がわたしを見ているのを感じる。学校の庭にある池の水をすくうと、精霊が笑う。学校では互いの信仰にあれこれ言わず、相手を尊重することをまず学ぶ。けれど、カリンには大声で聞いてしまう。
レット。
かれの静かな声に、わたしは頬を熱くする。
……ごめんなさい。
うつむいたわたしの肩を、かれは撫でる。
わたしはレットが信じていること、たいせつに思っているものを大事にするよ。けれど、自分の信じていることは変えない。だれもがこころにおおきく育つ木を持っていて、それをほかのだれかが切り倒すことはできない。根は世界のすみずみまで広げて、ほかの木と物語を編む。でも、地上にある木は、そのひとだけのものだ。
鳥がとまって歌を歌っても?
虫やクマが住んでも。
わたしはカリンの木に住んでる?
うん。わたしは老いた木だから、根本におおきなうろがあるんだ。そこに落ち葉を敷いて、レットが住んでいる。
ムカデやヘビはいない?
顔を暗くしてわたしが心配するので、カリンは笑う。
来ないようにわたしが守っている。落ち葉を栄養にして、ちゃんと芽が育つようにね。
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