第2話

 暗い、たくさんの通路を歩かされて、なんども同じこと――名前、親の名前、村の名前、年齢――を聞かれたあと、聞き取れないことばを話す、白い長袖の服を着たひとたちがわたしの服を剥ぎ、たくさん着けていた、竹や木を曲げて漆や樹液で色を塗った腕輪や首輪をむしり取り、つるつるした床や壁の部屋に連れて行かれて、わたしはぶくぶく泡立つお湯に入れられた。じっとしていなさい、と身振りで言われて、わたしはじっと待つ。そのうちに、からだや髪にこびりついていた土や灰が、泡に吸い取られるように剥がれていく。わたしは急に不安になった。カイの地と自分を結びつけていたものが、どんどん消えていく。わたしは泣く。母さん、姉さん、兄さん、ちいさな妹のトウチェ、白ヤギのペフ。白い服のひとたちがわたしの手を引き、わたしのからだを拭く。みんなはどこにいるの。みんなに会いたい。白い服のひとたちは首を振る。腕輪と首輪は返してもらう。それも洗われてしまったのか、目に痛いほど色が鮮やかだ。鼻になじんでいた匂いもしない。

 同じように親から離れた子どもたちと一緒に、広い部屋に連れて行かれる。ほかの子どもとはことばが通じない。大人がやってきて、並べられた寝台の使い方、シャワーの浴び方、食堂へ行って食事をもらう方法を教える。硬いパンとしょっぱいバター、甘いジャムを初めて食べる。不思議な匂いのするスープを飲む。餅米は出てこない。

 ひとり一台与えられた寝台ではなく、ちかくの子どもの寝台に、みんなで一緒に眠る。最初の晩は寝ているあいだに地面に落ちる。痛くて目が覚める。みんながくすくす笑う。わたしも笑う。毛布を床に敷いて、そこで寝る。

 昼間は机の前の椅子に座らされる。足が浮いてぷらぷらする。ひとりに一台、金属の板を与えられて、そこに映し出される鮮やかな絵を見ながら、首府のことばを、文字を習う。

 カイに帰りたい。

 そう言っても、大人たちは首を振る。火山諸島は危険度五、立ち入り禁止区域です。

 窓から外を見る。高いビルの上だから、薄暗い目の前を橙色の灯りをつけたロープウェイのゴンドラが渡る。黒い雲が下に浮かんでいる。その切れ間からは、ガラス張りのバイオームドームが覗く。首府では、なにかに覆われていないものは外に出ることができず、野菜も穀物も、公園も、すべて透明なドームに覆われている。緑色がわずかに見える。いままで毎日見ていた色。

 今度熱帯キューブを見学に行きましょう、と大人たちは言う。



 熱帯のキューブ――バイオームドームの四角いもの――は、チューブと呼ばれる、管のなかの列車に乗ってたどり着く。三重の扉を通と、むっとする湿気と熱気が押し寄せる。子どもたちはみんな歓声を上げる。まぶしい太陽光に似せた照明、フタバガキの大木、ヤシやシダ、ブーゲンビリア、無数の羽虫、勝手気ままに鳴き交わす鳥の声。カイのある火山諸島を再現したキューブ。

 木の板を張った通路があるけれど、両脇には柵があって、木々のなかに分け入ることはできない。ある子どもはよじ登ろうとして大人に止められる。もうひとりは泣き出す。わたしもつられて泣く。連れてきた大人たちが互いに顔を見合わせるなか、柵の向こうから茶色のスモックを着た老人がやってきた。柵に付いた通用口の扉を開けて入ってきて、大人たちに挨拶すると、わたしたちに向けてにっこりとほほえんだ。

 やあ、ちびさんたち。わたしはカリンという。きみたちの国の精霊に会わせてあげよう。

 老人のスモックには裾にびっしりと生地と同じ色の糸で刺繍がされていて、それは奇妙にとんがった木の模様だった。

 わたしたちは互いに手をつなぎ、老人のあとについて行った。

 靴は蒸れて、裸足になりたくなる。長袖の服も脱ぎ捨て、あたりを駆け回りたい。けれどわたしたちは我慢して歩く。大人たちが見ているから。

 道を進むと、だんだん暗くなっていく。照明を調整しているのだ。ひときわじめじめした枯れ木の積まれたなかに入っていく。先頭のカリンがカンテラをつける。子どもたちは慣れているが、大勢の子どもと歩くことにきゃっきゃと笑う。

 さあ、止まって。灯りを消すよ。

 老人が言って、息を吹きかけることでセンサーによって消える電灯を消す。すると、闇のなかに、ぽつぽつと青白い点が浮かぶ。

 ツキヨタケ、精霊のきのこと、きみたちは呼ぶのだろう。

 死んだひとの魂が……精霊になって……ツキヨタケに宿るんだって……

 子どものひとりが言う。

 そうだね。ツキヨタケは、菌糸も光る。

 そう言って、老人はひとつのきのこを手に取る。傘も柄も、透き通って、青白く発光している。柄の下から、菌糸の束がずるずると引き出される。それも光っている。

 みんな、歌って。

 老人は静かに言う。子どもたちは互いに顔を見合わせる。火山諸島のひとびとが、ツキヨタケに向かって歌う歌――それぞれの部族のことばで、でも意味は同じだ。


 隠れてしまったあなたよ

 わたしは見ています

 あなたが出てくるのを

 わたしは望みます

 あなたが現れるのを


 まわりじゅうのツキヨタケが、菌糸をふわりと浮き上がらせる。繰り返し繰り返し子どもたちが歌うのを、それぞれの高音、それぞれの低音を響かせ、荘厳な和声を響かせるのを聞いて、山の向こうの霞のように、ふわふわと震わせる。菌糸の束に、波が走るように赤や黄、青の光が列をなして伝わっていく。わたしは小鳥の声のような高音を歌う。ほかの子どもが猿の吠え声のような低音を歌う。のどの奥を震わせ、カエルのように歌う子もいる。それに合わせて、菌糸はゆらゆらと揺れ、ときにきゅっと止まり、和声が斉唱になったとき、びんと伸び上がる。それは祭の夜の篝火のように鮮やかで、あの日みた朝焼けのように目を貫く。母さんの手を、自分の手に感じる。実際に握っているのは隣の子どもだけれど、それは母さんの手の温かさだ。母さんが織る、複雑で美しい布の模様が、菌糸の光で表される。子どもたちの声のなかに、姉さんと兄さんの声を聞く。妹が後ろでころころと笑う声が聞こえる。白ヤギのペフがべえ、と鳴き、わたしはそれに歌声で応える。

 あなたたちが好き。あなたたちに会いたい。

 歌に思いを乗せて歌う。

 わたしも。ぼくも。

 みなが声を重ねる。

 ツキヨタケが発光する胞子を飛ばす。そこから出る微細な匂いが、鼻をくすぐる。温かい、甘い、餅米の匂い。

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