第10話

 

 石段を下りて、大鳥居の前に立った頼光達三人は周りを見回した。

 午前十一時を過ぎて日も高くなり、中高生たちの姿が多く目に付く。

 多くの人が大鳥居をバックに屋台の戦利品を持って記念撮影していた。

「あ、やっぱり美幸ちゃんと香澄ちゃんじゃない?」

 不意に後ろの石段の方から声がした。

 振り向くと、浴衣姿の二人組の女の子が仲良く手を振っていた。

「あ、凛音ちゃん、美波ちゃん。」

 香澄と美幸が手を振り返す。

 鳥居の柱の所で交流した二人はまじまじと頼光を眺めた。

「へぇ、あなたが皆本くんね。おウワサはかねがね。私は西崎高校の藤本美波って言います。」

 紺地に朝顔のプリントされた浴衣の美波は意味深な笑顔を浮かべた。

「あ、どうも。皆本頼光です。どんなウワサかはちょっと気になるけど。」

「悪いウワサじゃないから安心して。私、岡崎凛音。香澄ちゃんと美幸ちゃんとは交流戦の後のクレープ屋さんでお友達になったの。」

 白地にピンクの牡丹柄の浴衣の凛音は頼光の顔を見た後に、美幸と香澄を見て頷いた。

「なるほど。写真より実物の方が、キレイさが判りますね。」

「え? そんな話してたの?」

「ええ。特に香澄ちゃんは入学式の時のうぐっ」

 香澄は凛音の口を塞いで間に割り込んだ。

「それよりっ、美波ちゃんと凛音ちゃんはもう、お詣りとか済ませたの、かなっ?」

 香澄は間近で凛音の目を見据える。凛音は口を塞がれた格好のままうんうんと頷いた。

「ちゃんと皆本くんの舞も見たよ。ちょっと遠かったからスマホで撮るのは断念しちゃった。けど、キレイだったよ。」

 美波は手にしたりんごあめをくるくると回した。

 雑談をしながら五人は鳥居前公園の道路に面した出口へ向かった。

「このまま私と凛音はショッピング・モールへ行こうと思うんだけど、どう? 一緒しない?」

 美波と凛音は香澄たちに振り返る。

「う~ん。私は、あと20分ぐらいはライコウと回る予定。」

「あ、私も。」

 香澄と美幸はお互いをちらりと見てちょっと笑った。

「あ、そうか。邪魔しちゃってゴメ~ン。」

 凛音はぺろりと舌を出して肩をすくめた。

「それじゃ、またLINEするね。」

 美波と凛音は公園出口まで出て来て見送ってくれる頼光達三人に手を振った。


 その時、十字路から鋭いタイヤの軋む音が響いて来た。

 凛音と美波は驚いて振り返る。

 赤い軽ワゴン車がかなりの速度で交差点を曲がり、走って来る。

 その車はセンターラインを割り、こちらへの道を逆走した。

 微細にふらふらと揺れると車道から歩道の縁石に乗り上げ、その車体が大きく跳ね上がった。

 着地した車体がタイヤを軋ませて、こっちへ向かって唸りを上げる。

「きゃあああっ!」

 凛音と美波は悲鳴を上げ、香澄と美幸も恐怖に固まる。


(こっちへ突っ込んで来るっ! かわし切れないっ。)

 咄嗟に頼光が身構える。

 彼の後ろの風景がぐにゃりと歪み、ぱんと泡が弾けるように戻る。

 頼光はその場から弾き飛ばされるように飛び出し、凛音と美波の前に出た。

 目前に赤い軽ワゴン車が迫る。

「はあっ!」

 気合いと共に、頼光は両手を前にかざす。


 その両腕は人の肌色から白磁のように白くなり、明るい栗色の髪が逆立つ。

 眉間が盛り上がり皮膚が裂ける、そこから霧のように血が吹き出して鋭い一角が突き出た。

 かざした両手の前の空間が、水あめ越しの風景のようにぐにゃりと歪んだ

 その歪みは頼光の前面を覆うぐらいに大きくなり、真っ直ぐに突っ込んで来る車体を捉えた。


 空気を震わせる衝撃音が響き、歪んだ空間が波紋のように波打つ。

 圧力が頼光の体をジリッと押し戻す。

「うおおおっ!」

 全身にのしかかる負荷に低く唸ると、頼光はその姿勢のまま誰も居ない木立ちの方へ体をひねった。

 赤い軽ワゴン車は揺らいでいる空間の表面を滑り、その木立ちの中へと突っ込んだ。


 重い物がぶつかる音、ガラスが砕ける音、生木の裂ける音、車輪の空回る音、公園の中からの悲鳴が響いた。

「はあ、はあ・・・咄嗟にやってみたけど、出来るもんだな・・・」

 両手、両膝を突いて肩で息をしながら頼光は呟いた。

 眉間の一角を収納して肌の色も元に戻す。

 額からの出血がアスファルトにポタポタと模様を描く。

「ライコウっ!」

「皆本くんっ!」

 香澄と美幸は、ぐったりと両手を突いている頼光に駆け寄って来た。

「ライコウ! 大丈夫? その額、ケガしたの?」

「皆本くんっ、しっかりしてっ!」

 凛音と美波はへなへなと腰を抜かして、その場にうずくまった。

「はあ、はあ。良かった、みんな無事かい?」

「私の事よりっ、ライコウ、はい、このハンカチ使って。」

 香澄は巾着の中から水色のハンカチを引っ張り出して額に押し付けた。

「ぶつかったの? 折れてない? 大丈夫?」

 泣きそうな香澄と美幸に微笑むと、頼光は荒く息をつきながら立ち上がった。

「はあ、はあ・・・僕は大丈夫だ・・・。香澄、救急車と社務所に連絡を・・・頼む。ふう・・・。美幸ちゃんは美波ちゃんと凛音ちゃんを、大鳥居の所まで誘導してあげて。出来る?」

「う、うん。分かった。皆本くんは?」

 美幸はちょっと震えながら頼光を見上げた。

「僕はあの車を見て来る。運転手さん、引っ張り出さなきゃ。」

 少し体力が回復した頼光は、額の血をぬぐったハンカチを懐に収めて、ラジエーターからの蒸気を吹き出しているこの車に近づいた。


 車は横倒しになってフロントガラスの破片が飛び散っている。

 車のフロント部分はめちゃくちゃに潰れていて衝突の激しさを物語っていた。

「ふう・・・こういう時は、この力があって良かったとつくづく思うよ。」

 独り言を言いながら頼光は割れたフロントガラスから中を覗いた。

 残存しているフロントガラスとハンドルにはピンク色の粘液と赤い血液がこびりついている。

 中には誰も見当たらず、運転席であった所には、サーモンピンクの粘液のような物が散乱していた。

「シートベルトしてなくて飛び出したのかな。」

 頼光は視線を動かす。

 少し離れた茂みに白っぽいフード付きのウインドブレーカーとジーンズを履いた人物がうつ伏せに倒れている。

 その体は力なく伸びて、意識は無いものであろうことが予想できた。

 下生えには、じわりと赤い水溜まりが広がって行く。

 そのすぐ傍らには黒づくめの人物が立っていて、白いウインドブレーカーに手を伸ばそうとしていた。

「あ、その人、ケガの具合はどうです? 出血がひどいみたいなので止血をしないと。」

 その声に黒づくめの人物はビクッとなってこちらを振り向いた。


 黒のボーラーハット(山高帽子)に腰まである黒いシルクのマント、細身な黒のスーツのいでたちのこの人物は、その顔に大きなクチバシの付いた白い「ペスト・マスク」を被り、左手には金色のガーゴイルが彫刻された、曲がりハンドルの黒檀のステッキを持っている。

『お前、なぜ私が視える?』

 ペスト・マスクの丸いレンズが光り、くぐもった声が聞こえた。

 黒色の装いに白のマスクが死神をイメージさせる。

「そんな厨二なコト言ってる場合じゃないでしょ。息があるなら助けないと。」

 頼光がずかずかと近づく。

『邪魔するな。』

 ペスト・マスクの人物が右掌をかざす。

 頼光の足元の地面が下生えごとめくれ上がり、その黒いマットは上から抱え込むように頼光になだれ落ちた。

 黒ずくめの人物は何事も無かったかのように白いウインドブレーカーの方に顔を向け、右手を伸ばした。

 その時、右脇腹に強烈な衝撃を受けたこのペスト・マスクの人物は左膝を突いて地面に倒れた伏した。

 驚いて顔を上げるとそこには半身で後屈に身構えた小袖、袴姿の頼光が睨みつけていた。

「只(ただ)のこじらせコスプレイヤーじゃないな。どこのモノだ?」

 ペスト・マスクの人物は跳ね起きると、マントを払って大きく両腕を広げた。


 スーツの右袖が裂けて、右内腕から恐竜の様な三本爪の腕が弧を描いて飛び出す。

 巨大な爪が唸りを上げて、後ろの木立ちごと頼光を捉えた。

 木の幹がえぐれる様に砕ける。

 その前に立っていた頼光の姿が霧のように揺らいで崩れて消えた。

『!』

 目の前の出来事に一瞬の隙が出来る。

 突然にペスト・マスクの人物の右肩口がマントごと切裂かれた。

 ステッキを握った左手で傷口を押さえて身を翻す。

 さっきまで居た場所の風景がじわりと人型に透明度を落とし、実体を現した。

 そこには有機的なデザインの大きな二本爪を手の甲から生やした頼光が身構えていた。

 両腕には鎧籠手のような角質が覆い、手の甲の大爪は白く光っている。

「どこの妖だ。蒼月派の手の者か?」

 頼光の髪がざわざわと逆立ちはじめ、皮膚の色が白磁のように白く変わって行く。

 両手の爪から高周波の音叉のような音が響き始めた。

 額には血管模様が浮き出し、眉間に縦の溝が走り、鋭い一角が顔をのぞかせる。


 木立ちの向こうから多くの人が集まって来る気配がした。

 足音、話し声も近づいて来る。

 ペスト・マスクの人物は舌打ちをするとマントを被るようにバサリと振る。

 その姿は蜃気楼が晴れる様にすうっと掻き消えてしまった。

「おい! 大丈夫か?」

 茂みを掻き分けて、ホルモンうどん屋台の田中のおじさんが顔を覗かせた。

「あ、田中さん。良い所へ。ちょっと手伝ってもらって良いですか?」

 変化を解いた頼光が白いウインドブレーカーの人物の脇に立って手招きした。

 すぐその後を香澄が続いた。

 頼光がそっとうつ伏せになっている体をひっくり返す。顔はフードがすっぽりと被さっていた。

 白い生地がサーモンピンクの粘液と赤い血液で染まっている。

 頼光がフードをめくって顔を顕わにした。


「うわあっ!」

「きゃああっ!」

 覗き込んでいた田中のおじさんと香澄が悲鳴を上げた。

 田中のおじさんは尻もちをついて倒れ、香澄は頼光の胸にしがみ付いた。

「こ・・・これは?」

 顔面の皮膚は皮下組織まで粘液状態になっていて、白い骨があちこち剥き出しになっている。

 フードにはピンク色の粘液にまみれた頭髪がべったりとくっついていて、頭骨剥き出しの頭からは、粘液の下から湧き出る様に、じくじくと赤い血液が滲みだしていた。

 首ががくりとこちらに振れると、右眼窩から生白い眼球がどろりとこぼれ出た。

「い、いやあああぁっ。」

 香澄は壮絶な光景に叫び、頼光の小袖の胸元を掴んで目を固く閉じた。


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