第9話


 翌日の五月五日の子供の日。午前9時40分。

源綴宮の大鳥居が見下ろす鳥居前公園には、わたあめ、金魚すくい、ヨーヨー釣り、かき氷、りんご飴、たこ焼き、牛串、焼きそば、ホルモンうどん、と言ったお祭り定番の屋台が軒を連ねて下準備を行っている。

 気の早い店舗からはソースの焦げる良い匂いが漂ってきていた。

 まだ五月になりたての時期ではあるが、昨今の温暖化もあり浴衣姿が多く目に付く。


 鳥居前公園に浴衣姿の香澄と、ふわふわの表面感のある白いハイネックにベージュのフレアスカートを合わせた美幸が駅方面からやって来た。

 美幸の首からは5センチくらいの楕円形のレジンブローチが揺れていた。

 レジンの中の白い羽根が陽光をまぶしく反射する。

「ほんとだ。鴻池駅の噴水前広場で待ち合わせして良かった。こんな大勢の人じゃ、紛れて判らないね。」

 美幸は隣の香澄に顔を向けた。

 藍を白抜きのグラデーションにした地色に、紫とターコイズの藤柄の香澄の浴衣に山吹色の帯が鮮やかに映えている。

 首後ろの襟ヌキが、普通の着こなしよりも少し大きめに取られていた。

 共生地で出来たかわいらしい巾着を下げ、ショートヘアの香澄の髪には青紫の藤の髪飾りが揺れている。

「へへ。常連さんの情報力はアテになるでしょ。美幸ちゃん、今日は後ろをゆるい三つ編みにまとめてるんだ、かわいい。お家の人にやってもらったの?」

「うん。妹の幸蘭(ゆら)が編んでくれたの。幸蘭もこのお祭りに来るんだって。」

「そうなの? 一緒に来ても良かったんじゃない?」

「ボーイフレンドと一緒に行くからお姉ちゃんはお姉ちゃんで楽しんで来てって言われたの。」

「あら、最近の子は。」

 嬉しそうに微笑む美幸に香澄は肩をすくめた。

 屋台からは客寄せの声とソースや味噌ダレの焦げる良い匂いが漂って来る。

 その横を通り過ぎて香澄と美幸は大鳥居のふもとに立ってずらりと続く石段を見上げた。

 石段の両脇には、一段飛ばしで斜めに切られた真竹が並べられている。

「ここ、来るたびに長いなって思っちゃう。」

 美幸はふうと息を吐いた。

「だね。美幸ちゃんは年始のお詣りに来てるの?」

「うん。でも子供の日の『菖蒲祭』は初めて。」

「そうか、じゃあ常連さんがいろいろと解説してあげよう。」

 香澄は得意げに笑うと、美幸と一緒に二百二十段の石段を昇り始めた。

 石段を昇り終えて、二人は一息ついた。右手側の駐車場から左手側の朱の鳥居までの間にも屋台が並び、BGMとしての篠笛の音が響いている。


「うわ。結構人が来てるのね。」

 屋台でわたあめを買った女子高生らしき浴衣三人組が朱の鳥居の前で撮影会を行っている。

「うん。でも夜の部の方が多いんだよ。主にカップルが。」

「何だかそれ解る。石段のライトアップとか良い感じだもの。香澄ちゃんは毎年浴衣で来てるの?」

 香澄は得意そうに笑うと、くるりと回って見せた。

「うん。ライコウ、毎年奉納舞の後、着替えたらちょっと自由時間があるって一緒に屋台とか回れるんだ。」

「えっ、そうなの? それ教えてくれてたら私も浴衣で来たのに。」

「へへ~。ライバルに壱から十までの情報は渡せなくてよ。」

 むくれる美幸に香澄はいたずらっぽく笑って見せた。


 拝殿の方から横笛や笙、楽太鼓の音が響いて来た。

「もう音楽が鳴ってるわよね。始まってるのかしら?」

「巫女舞は『越天楽』だから曲が違うわね。ライコウの『陵王』とも違うから・・・楽団さんの音合わせだと思う。」

「詳しいのね。」

「まあ、毎年の常連ですから。」

 手水を終えた二人は人だかりの中、神楽壇の前に進んだ。

 拝殿からエプロンステージのように張り出した神楽壇のほぼ正面に陣取った美幸と香澄は、『越天楽』で舞う三人の巫女舞を見ながら、次の頼光の出番を待ちわびた。

「越天楽」が後半に差し掛かったところで、拝殿に緋色が基調の豪奢な装束を纏った人物の姿が垣間見えた。

 金箔貼りの半仮面から、薄紅をさした涼やかな口元が見えた。

「あ、あれ皆本くん?」

「ほんとだ。今年は仮面付けるんだ。なんか勿体ない。」

 香澄が口を尖らせる横で美幸はスマートフォンをタップした。

「えっと、『蘭陵王』だっけ?」

「うん。ライコウは陵王って略して言ってる。」

 美幸は画面をスクロールして行った。

「あ、あった。『北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目。美しい声と優れた美貌を持つ彼は、戦場においても指揮に支障が出る程に部下の兵たちが見惚(みと)れるので、敵に侮られるのを恐れ必ず勇猛な仮面でその顔を覆って戦地へ赴いたと言う。』」

「へえ。由来とかは知らなかった。でも、何かライコウにぴったりの演目。」

 香澄は美幸のスマートフォンを覗き込んで短く頷いた。

「それと、『美しい面持ちという伝承により、女性や少年が舞う際は、仮面は用いずに化粧で舞うこともある。』だって。」

「ここのご祭神は『美の女神』様だからその方が良いよね。」

 「越天楽」が奏で終わり、巫女たちが舞の最初の形に片膝を突いて首(こうべ)を垂れる。


 本来は不作法なのだが、外国人観光客の拍手に観衆はつられて拍手を送る。

 巫女たちが神楽壇から下がると横笛と楽太鼓が奏でられ始めた。

 烏帽子ほどある高い緋色の頭巾を、絢爛錦の細帯を鉢に巻いて被り、金箔の半仮面を着けた人物が半歩ずつ神楽壇へのエプロンステージを歩んで行く。

 右手にしている真鍮色のバチが陽光に煌めく。

 神楽壇中央に進んだ彼は、ふわりと体を起こすと右足を踏み鳴らした。

 体を起こした彼は左手を当てがって半仮面を外した。

 鼻筋の通った丹精な顔には白系のファンデーションがはたかれて、目元にも切れ長に紅がさされたその姿は、性別を超えた美しさを感じさせた。

 アイホールにもイエロー系のグラデーションが施され、すっと目を開いたその赤い瞳が、さらに妖艶さを際立たせた。

 付けまつ毛とアイラインで、目元の魅力をさらに強化した頼光の顔が陽光に光って見えた。

「うわぁ・・・」

 香澄と美幸は短く嘆息して固まった。

 隣に居た外国人観光客が上げた歓声に我に返った二人は、少し気まずそうにお互いをちらりと見た。

「き、きれいだね・・・皆本くん。」

「うん・・・今年は去年より、何か色っぽい感じがする。」

「えっと、陵王の部下が見惚(みと)れた感じって、こんな感じなのかなって思った。」

「うん・・・私も。」

 外した金色の仮面を胸に下げた頼光は真鍮のバチをかざして勇壮に舞う。

 神楽壇の前方に進んで来た頼光は香澄と美幸の方へと舞いながら近寄って来た。


 通常より腰を落として大きく構えた頼光は二人と目を合わせてにっこりとほほ笑み、正臣のように艶な感じでウインクを送った。

 頼光はふわりと状態を起こし、くるりと舞ながら神楽壇の中央に戻った。

「ちょ、ちょっとびっくりしちゃった。固まって動けなかったよ。」

 照れ笑いしながら美幸は隣の香澄を覗き込んだ。

「・・・・」

「? 香澄ちゃん。」

「・・・へ? ふぁい?」

 赤い顔の香澄は慌てて居住まいを正した。

「何よ、香澄ちゃん。毎年の常連さんがそんなに見惚(みと)れてるの?」

「いっいや。いつもはライコウこんなことしないから、その・・・」

 香澄はしきりに浴衣の衿元をこすった。

「香澄ちゃん、ホントに好きなのね。」

「うぅ・・・み、美幸ちゃんも見惚れてて撮影出来てないじゃん。」

「あっ。」

 二人はお互いを見合わせてふふっと笑った。

「ねえ、香澄ちゃん。もうしばらくは、抜け駆け無しでね。」

 美幸は動画撮影を諦めて数枚写真を撮ると、スマートフォンのカバーを畳んで微笑んだ。

「ふふ。そうだね。でも、ライコウが告って来たら話は別ってことで。」

「なぁに? その自信?」

「へへへ。」

 二人はにっこりと笑い合うと神楽壇に目をやった。

 ふわりと風が吹き抜け、緋色の装束が優雅になびいていた。


 壇上の舞手が拝殿の方を向き、右足の踏み、摺り戻しを行い、腰を落とす。雅楽の音が『乱上』を呈し、笛の音が鳥のさえずりの様に鳴き騒ぐ。

 舞手は登場の時と同じ様に半歩ずつ進み、やがて拝殿の中に消えて行った。

 雅楽器が静まる前に観光客たちから拍手が上がる。


 そしてざわざわし始めた観衆は、神楽壇から社務所や拝殿、摂社へと流れ始めた。

 香澄と美幸は拝殿でお詣りを終えると、社務所の前で頼光を待っていた。

 境内の社務所前ではバイトの巫女さん達がお守りや破魔矢の下賜、ご祈祷受付を行っていて結構賑わっている。


 しばらくすると白の小袖に紺の袴姿の頼光が姿を現した。

「やあ。香澄、美幸ちゃん。早くから来てくれてありがと。」

 頼光は社務所の脇の引き戸を開けて、足袋履きの足に草履を履いてやって来た。

「香澄、その浴衣似合ってるな。藤の髪飾りも良い感じ。」

「へへへ。ありがと。どう? ライコウの好きな襟ヌキからのうなじだよ♪」

 それを聞いた美幸は、ゆるく編んだ後ろ髪を慌てて肩に回した。

 そこで自分がハイネックを着ているのに気が付いて、思わず衿元に手を当てて眉をしかめた。

 香澄はくるりと後ろを向いて見返りに頼光を眺める。

 すらりとした首筋に、広めに取った襟ヌキからちらりと背中に続くラインが見えた。

「おお、いいね。香澄、去年より色っぽいな。」

「みっ、皆本くん。メイクすごく凝ってたわね」

 美幸が香澄の前に割って入り、香澄はちょっと顔をしかめた。

「ああ、今回は楽団員さんのお姉さんがメイクしてくれたんだ。巫女の皆さんや、父さん、崇弘さんや博通さんからも結構好評。」

 頼光は軽く髪を掻き上げて笑った。

「美幸ちゃんも楽しんでる? 美幸ちゃん、今日はぽわぽわした感じだね、かわいらしい。あ、そのブローチ?」

「うふふ。皆本くんとお出かけした時に手にしたあの羽根。レジンでペンダント・トップにしてみたの。」

 美幸は嬉しそうにひょいとかざして、ちらりと香澄を見た。

 香澄はちょっと悔しそうに口を結んだ。

「う、うん。キレイに出来てるね。美幸ちゃんの雰囲気にも合ってるし。それに今日のその髪型も似合うね。」

「うふふ、ありがと。これ幸蘭(ゆら)にやってもらったの。幸蘭も後からボーイフレンドと一緒にお祭りに来るって言ってたわ。」

「へぇ、幸蘭ちゃん、もうカレがいるんだ。最近の小学生はおませさんだね。一緒に来ても良かったのに。」

「そうね。でも、雅楽の舞は見ないのかって聞いたら、『お祭りは、屋台を回るのが楽しいんじゃない。』だって。それに浴衣の着付けに時間かかってるし。」

「そうか、カレにオシャレを見せつける方が大事だよな。」

 頼光はうんうんと頷いた。

「浴衣と言えば、私も今日、皆本くんと舞の後にお話し出来るんだったら、浴衣で来たかったかな。」

 美幸はひょいと肩をすくめた。

「美幸ちゃんの浴衣姿か。また人気が上がるんじゃない?」

 にこやかに話しをしている二人の間に香澄が割って入った。

「ねぇねぇ、ライコウは自由時間どのくらい取れるの?」

「うん、だいたい30分ぐらいかな? 屋台の見回りも兼ねてだから、そこまでのんびりは出来なくてゴメンだけど。」

 頼光は済まなそうに頭を掻いた。

「ううん。運営側だもの。私たちも一緒して良いかな?」

 美幸が香澄の隣に立ってにっこりと笑った。

「うん、喜んで。」

 朱の鳥居から駐車場にかけてのルートを巡る。

 屋台のおっちゃんたちは神職衣装の頼光に愛想よく声を掛けてくれる。

 ここの屋台群の中程にあるひと回り大きい屋台テントの中へと頼光は顔を覗かせた。


 店頭には、わたあめ、りんごあめ、串に刺さったバナナ・チョコレートが並んであり、バンダナを巻いたお兄ちゃんがクレープを焼いている。

「おはようございます、佐々木さん、どんな具合ですか?」

「やあ、皆本さんの息子さんだね。見回りかい? ごくろうさん。今のトコロ、ここのブロックは順調だね。」

 体格の良い、青いポロシャツを着た中年の男性はにこやかに答えた。

「お、今年は両手に花だね。うらやましい。」

「ええ、かわいい娘と一緒してもらって嬉しい限りですよ。」

 かわいい娘という言葉に香澄と美幸はにっこりとした後、お互いをちらりと見た。

「どうだい、ウチの店ので良かったら、何かサービスするよ。お嬢さんたち、何が良いかい?」

「えっ、いいんですか?」

「すみません。ありがとうございます。」

 香澄と美幸が、巻いてもらった わたあめを手に佐々木のおじさんと話をしていた頼光の後ろに並んだ。

「・・・では、何か困ったコトがあったらすぐに社務所にご連絡ください。」

「ああ、去年は店の前で喧嘩してるヤローを二人ともぶっ飛ばしてくれたっけな。今年も期待してるよ。」

「あ・・・それは言わないでくださいよ。」

 ちらりと後ろを気にした頼光はバツの悪そうな顔をした。

「そんなことしたの?」

「いや、夜の部に、ほろ酔いのヤツが騒動おこしてね。」

 詰め寄る香澄に頼光は手をかざした。

「ああ、両方KOさせてから『で、どっちが悪いヤツですか?』て平然と聞くから笑ったよ。」

 愉快そうに佐々木のおじさんはその体を揺らした。

「このヒト、鉢合わせしたコンビニ強盗にあつあつのおでん汁ぶっかける人ですから。」

「そりゃあ、ますます頼もしい。」

 

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