第2話
第三闘技場は、茶色い組みタイル風窯業型サイディングの外壁で、ちょっと大正レトロな感じの外観の施設。
建物の脇のコンクリート道に、救急車が一台停車していて、これから発生するであろうケガ人に備えていた。
総板張りの床にコートを仕切る黄色いラインとコート内を示す青いライン、選手同士の最初の立ち位置の赤い二本のラインがワンセットで中央に四面しつらえてある。
そのコートを取り囲むようぐるりと壁側に、道着を着込んだ出場校の選手たちが、あぐらを組んで座っている。
黄色のコート線の後ろに現在闘っている団体戦の選手たちが向き合って座り、メンバーの戦いぶりに声援を送っている。
コートの中に主審が一人、四隅には副審がパイプ椅子に腰掛けて、紅白の旗で技の有効、無効、反則の有無の判定を下している。
美幸と椎名は二階の観客席への入り口へたどり着いた。
「ねえねえ、美幸。」
「うん、なあに?」
「さっきのバスケ会場と観客の雰囲気も何か違(ちが)くない?」
「う・・・それは言っちゃいけないヤツじゃあ・・・」
苦笑いを浮かべた美幸はテラス席の前の方へと歩いて行った。
上からきょろきょろと一階フロアの選手を眺める。
会場の西側の端にお目当ての皆本頼光(みなもと よりみつ)の姿を見つけた。
彼の隣にはさらさらのボブヘアの篠崎正臣(しのざき まさおみ)も居て、二人で何やら話しているようだ。
「あ、早速皆本くんみつけたのね。美幸。」
「うん。やっぱり皆本くん、目立つね。この中でも飛び抜けて色白だし髪の色も明るいし。」
「それに美幸ちゃん、ほの字だし?」
椎名はにやにやして美幸を覗き込んだ。
「なによお。」
「きっと長髪の篠崎くんより先に皆本くん見つけたんでしょ?」
「う・・・」
「はいはい。今更からかった所でどうにもならないけど。で、どうする? まだ皆本くんの出番は先っぽいけど。」
じっとその方向を見ている美幸に椎名は声を掛ける。
その時、視線に気づいた頼光はふっと顔を上げてにこやかに手を振った。
すっと通った鼻筋に抜けるような白い肌。
栗色の髪に珍しい紅い色の瞳の頼光は、どこか異国の人のようにも見えた。
「あ・・・」
美幸は恥ずかしそうにひらひらと手を振り返す。
「はいはい、ここで見てるのね。」
椎名はちょっと肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
明芳ウイングスは順調に勝ち進み、準決勝戦にコマを進めた。
チームメンバーはトーナメント表の表示されているボードを眺めていた。
「うわっ。次当たるの西崎じゃん。」
「前の試合見てたけど、圧倒してたよ。メンバー全員レベル高い。」
西崎高等学校。
県南に位置し、普通科と商業科を持つ高校。
進学校としてのレベルはそれほど高くは無いが、「スポーツ推薦入学」「スポーツ特待生制度」を設けたスポーツ校である。
その特色で県内から運動能力に長けた学生が集まり、プロのスカウトも毎年のように訪れている。
「特待生」は「スポーツ推薦」よりも上位に属し、学費の減免、遠征費・備品用具費の優遇が図られる。
ただ、著しい業績や学業の不振、または病気やケガなどで「特待生認定」されたスポーツの継続が難しいと判断された場合は「特待生」の権利が剥奪され、「一般学生」の枠に入り直す「再試験」に合格して在学するか、退学になる厳しい制度である。
「なんかついに当たったか、な感じね。ここ、このところ五年連続優勝してるトコだよね。」
香澄もチームメイトと顔を見合わせた。
「なあに? 試合前から暗いわよ。」
トーナメント表を眺めている香澄達の後ろから三年生のキャプテン緒川沙央梨(おがわ さおり)が声を掛けて来た。
「西崎のコたちは結果出さなきゃならないから必死なのよ。それにウチがここまで来たのは七年ぶりだそうだから、このチーム誇っても良いんじゃない? 強豪の胸借りるつもりで楽しんで行きなさい。」
「はい、先輩。」
「そうだ、吉田はこの西崎戦では交代メンツで出てもらおうと思うんだ。ちょっと連中のペースをかき回そうと思うから。みんなも、吉田が出たらフォーメーション「E」から「A」へ移行でお願い。」
大きな目をにっこりと細めて沙央梨はみんなを眺め、明芳ウイングスのメンバーは元気よく答えた。
空手試合会場では団体戦の半分が終わり、南側二面のコートを使っての個人戦が開催された。
美幸は椎名を促して、黒エナメルの小ぶりなバックからオペラグラスを取り出し南側のテラスに移動する。
「それじゃ、ライコウ。早速出番だから行ってくるねぇ。」
赤い布紐を自身の黒帯に巻き付けると、サラサラ髪をなびかせて、正臣は頼光に可愛らしく手を振る。
拳に通称「拳サポ」と呼ばれる「グローブ」のような防具を付け、マウスピースを咥えて赤い線の前に立った。
対戦相手は正臣のオネェな様子に多少なりとも戸惑っている。
主審の「始めっ」の号令で、礼を交わした二人はお互いに「右手刀構え」に身構えた。
先ずはお互いに、前に構えた左手で「キザミ」突きを入れつつ、じわりと相手のガードの甘い所を探る。
数度の中段突きの攻防で、少し正臣の右手が下がった。
そこへ左上段をフェイントに右中段突きを相手が仕掛ける。
正臣は半歩前進して右中段突きを左掌で流し、左耳の横で握った右拳を相手のこめかみへと振る。
「パチンッ」と鋭い音、正臣の「はぁっ!」の気合いが響き、「裏拳」がキまる。
基本、学生空手は「タテマエ」上は「寸止め」と言うことになっている。
止める輩などほとんどいないが、KOしてしまうと「反則負け」になる。
金的と顔面への攻撃は禁止ではあるが、側面、顎への「軽い」ヒットはカウントされる。
「赤 一本!」
笛の鋭い音と共に「赤」の正臣の方に審判の旗が上がった。
頼光は声援で称え、正臣はにっこりと笑む。
二階テラス席の正臣のファンクラブの女の子たちがきゃあきゃあ言って手を振っている。
主審の号令でコート内の二人は再び向き合って構えを執った。
「わぁ、篠崎くんて強いんだね。」
椎名が目を丸くする。
「ほんと。服飾科で、普段があんな感じだからギャップがすごいわね。」
美幸も短く頷いた。
流し三分間の試合が終わり、正臣の優勢勝ちに試合が終わった。
二人は礼の後、握手を交わしてコートから下がる。
「うっふふ。勝っちゃった。」
ゴキゲンで軽く飛び跳ねて、正臣は頼光の所に戻って来た。
二階のテラス席からの声援に大きく手を振り返して頼光の隣にあぐらをかいた。
「オミ。だいぶ手加減してたな。」
「あら、判った? やっぱりこういう雰囲気を楽しむのも他流試合? じゃないわね。交流戦? の醍醐味ってもんじゃない?」
正臣はくりくりと右肩を回す。
「ま、相手をバカにしてとかそう言うんじゃないのは判るから。でも気抜いてるとケガするぞ。」
「大丈夫よぉ。そこまでおバカさんじゃないもの。ライコウの順番ももうすぐよね。美幸ちゃん観に来てるんだからカッコ良いトコみせなきゃね。」
正臣はいたずらっぽく笑うと、親指をたてて二階席を指さした。
「そうだな、香澄からも『早くに敗退したら承知しないから』って言われてるし。」
そう言って頼光は白い布紐を自身の黒帯に巻き付け、軽く屈伸運動をした。
「次の試合。白、皆本選手。赤、大橋選手。前へ。」
「はいっ。」
頼光は返事をしてコートに向かう。
相手選手も同様に、コート内の立ち位置に就いた。
「あ、皆本くんだよ。美幸。」
「うん。」
美幸はオペラグラスを構えた。
コート内では頼光と対戦相手が向き合って立っている。
美幸の隣で正臣のファンクラブの子たちが話はじめた。
「オミくんが言ってたライコウくんて彼じゃない?」
「そうそう、色白で赤い目の子だって。」
「でも小さくない? 相手と頭一つ分は違うよ。」
「これは負けちゃうねぇ。」
美幸は内心ムッとしながらオペラグラスを覗いた。
主審の「始めっ!」の号令で二人は身構える。
相手は一般的な「右手刀構え」、頼光はサウスポーの「左手刀構え」を執る。
相手は一瞬嫌な顔を浮かべた。
一般的にも、サウスポーの構えを執る空手門下生は多くはない。
実戦経験数がモノを言う組手では、少しやっかいなタイプである。
上段・中段のワン・ツーで繰り出される突きを頼光は前に構えた右手で叩く、右手が下がった所へ相手、大橋選手の左脚が頼光を狙う。
その時頼光の姿が視界から消えた。
大きく腰を落とし右腕をガードで立てた格好の頼光は、その低い位置から伸び上がるように「左足刀蹴り」を胸元に打ち込んだ。
「ぱんっ」と道着の弾く音、「てぇあっ!」と頼光の気合いが響く。
胸元に蹴りを喰らった相手はバランスを欠いて尻もちを突いた。
主審、副審の「白」旗がぱっと掲げられる。
「きゃあ、すごいっ。」
美幸は自分の事のように歓声を上げた。
ちらりと隣を見る。
「わ、倒しちゃった。」
「小っちゃいのにすごい。」
「さすが、オミくんの友達ね。」
最後のセリフは関係ないだろと思いつつ美幸は視線を戻した。
今度は頼光が積極的にラッシュを仕掛ける。
相手が少し下がった所へ近距離の左回し蹴りを打つ。
当然攻撃が浅いのでポイントとはならず、そのまま試合は続行。
頼光が少し間合いを取るように下がった所へ、大橋選手は右回し蹴りを放つ。
腰を落とした頼光は左下段払いで半身になり、前に構えていた右脚を内回しに蹴り上げ、相手の右頬を打った。
「ぱちんっ」と皮膚をはたく音、道着の脚衣の弾く音、「はいぃやっ!」と頼光の気合いが響く。
「白、一本!」
主審、副審の旗が高く上げられ、再び二人は赤い線に向かい合う。
「うわ、鮮やか。」
椎名が感嘆を漏らす。
その横で美幸はオペラグラスを真剣に覗き込んでいる。
「私さ、あんまり格闘技って興味無かったけど、知り合いがこういう風にやってるの観るって面白いね。美幸。」
椎名は美幸の傍に寄り添って囁いた。
「みゆき?」
「・・・かっこいい・・・」
「はいはい、邪魔してすみませんでした~。」
肩をすくめて、椎名はちょっと周りを見回した。
テラスから少し離れた所に、金髪碧眼の少女が頼光の試合コートをにこやかに見つめて立っていた。
ストレートのブロンドヘアを肩口で揃えてカットしている彼女は、ブラウン地にグレーのオーガンジーを重ねたキャミソールドレスを纏って、淡い暖色系の薄手のストールを肩にふわりと掛けていた。
(外人さんだ。私服だから参加地区の高校生じゃないよね。 誰かの知り合いかな?)
コートから下がって来た頼光に正臣が指拍手で迎える。
「ライコウ、最初から飛ばしてるわね。」
「まあね、相手との駆け引きの感覚も試したいし。」
「だからって、一本狙いが多かったわよ。大技最初から見せちゃってたら、後々対策練られるわよ。」
「あ、そうだな。反省だ。でも、三本獲ったら早く切り上げられるから。」
「どこかのホームラン王がそんなコト言ってたわね。ヒット打つと走り回ってつらいからホームラン打つんだって。」
テラス席で目が合った美幸が頼光に手を振った。
頼光も振り返す。
その時、ブロンドの少女の姿がちらりと目に映った。
「ん、どうしたの? ライコウ。顔固まってるわよ。」
「あ、いや、ちょっと知り合いが居たように見えたから・・・ま、きっと気のせいだよ。」
「そう? 気が散ってケガでもしたらつまんないしさ。そこは切り離して試合に当たりましょ。」
「うん、ありがとオミ。金髪なんて今どき珍しくもないしな。」
頼光は少し力無く笑うと大きく伸びをした。
「香澄の姿はまだ見えないから、結構勝ち進んでるみたいだな。」
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