第83話 はりこみ

 マリーが閉店作業を終えた頃。

 突然店の扉が勢いよく開かれた。


「申し訳ありません。本日の営業は終了――」

「マリーさんっ!!」


 声を上げた人物を見て、マリーはおやっと目を見開く。

 現われたのは、ユートのパーティメンバーであるエリスだった。


「どうしたのよこんな時間に」

「大変です、マリーさん。ユートさんが、食べ物にされているです!!」

「…………ん?」


 必死な様子のエリスの言葉に、マリーはかちんと固まった。


(ユートが食べ物……?)


 その言葉に、様々な想像が膨らみ始めた。

 ユート、食べ物、50ガルドパン、不味い。

 いくつかの言葉が絡み合い、キメラになって得体の知れない妄想に発展していく。


『二足歩行するパンのユートが不味くて大変』というところまで妄想を発展させたマリーは、眉間を指で押さえながら頭を振った。


(ダメねアタシ、疲れてるわ……)


 一日働いた疲労が、頭に達している。

 さっさとゴールドロックで食事を摂り、家に帰って眠らなければ。

 無視しようとしたマリーの耳に、エリスの必死の叫びが響いた。


「ユートさん、綺麗な女の人にお金を貢いでた、です!!」


 その言葉を聞いた瞬間、マリーは、音速を超えた。

 恐るべき速度でエリスに接近し、彼女の肩をガシッと力いっぱい掴んだ。


「……その話、詳しく」

「ひゃ、ひゃいっ」


          ○


 エリスとマリーの話し合いがもたれてから、五日後のことだった。

 店番をしていたマリーの耳が、鈴の音を捕らえた。


 カウンターに置かれた小さな鈴が、リンリンと鳴っている。

 その鈴をポケットに入れて、マリーは静かに立ち上がる。


「ごめん。ちょっと急用が出来たから、お店のことは任せるわ」

「あ、はい。行ってらっしゃい」


 マリーとともに働く丁稚の店員に店を任せ、マリーは足早にプルートスを出た。


 ポケットに入れた鈴は、いまもリンリンと鳴り続けている。

 この鈴は、離れた人物に合図を送るための魔道具『共鳴鈴』だ。

 片方の鈴を鳴らすと、対になっている鈴が共鳴する。


 二手に分かれた戦場で、同時に攻撃を行う場合など、この鈴が用いられる。

 ダンジョンではあまり用いられないが、かなり昔から作り続けられている魔道具である。


 現在マリーが手にしている鈴と、対になる鈴を持っているのはエリスである。

 エリスはここ数日間、夕方になるとユートを尾行していた。


 尾行していたのは、ユートが再び女の下に向かうかどうか確かめるためだ。


 出来るならばマリーもエリスとともに尾行を行いたかった。

 だがマリーはダグラから、プルートスを任されている。

 何度も店を抜けられない。


 そのためマリーは泣く泣く尾行はエリスに任せ、店の中で連絡を待ち続けていたのだった。


 ユートが女の下に向かう気配を感じたら、エリスが鈴を鳴らす手はずになっていた。

 そうして、鈴が鳴った。


 マリーは急ぎ、予めエリスと打ち合わせていた待ち合わせ場所に向かった。


「エリス。ユートはどう?」

「間違いなく、あの女の下にいるです」

「……そう」


 エリスの言葉に、マリーは胸がぽかんと空いてしまったような気分になった。

 マリーはユートを信じていた。

 女性にお金を貢ぐような人ではないと……。


 ユートは貧乏だ。

 他人に渡すガルドはない……はずだった。


(Cランクの冒険者になったから……かしらね)


 マリーの中でいまも息づく、木剣を振るっていた頃のまっすぐなユートの姿が、がらがらと崩れ去っていく。

 マリーは寂しい気持ちに唇を噛みしめる。


「マリーさん、遅くなると現行犯で捕らえられないです! もう行くです!」

「あ、う、うん、そうね」


 エリスの異様な熱意に圧されつつ、マリーは件の現場へと向かう。


「ここがあの女のハウス、です!」


 興奮するエリスが案内したのは、現場は酷くみすぼらしい建物だった。

 建物の外側には、塀が設けられている。

 その塀に取り付けられたプレートを見た瞬間、マリーの肩から力が抜けた。


「さぁマリーさん、ユートさんを捕らえる、です!」

「ちょいまっち」

「――にょっ!?」


 いまにも中に駆け込もうとしていたエリスの頭を、マリーはガシッと素手でロックした。


「なっ、なにするです!?」

「エリス、落ち着きなさい。ここがなんだか、あんた知ってるの?」

「ユートさんからお金を巻き上げる女の家、で――あだだだだ!!」


 エリスの頭を、マリーはその指先で締め付ける。


「違うから。それ、勘違いだから。ほら、ここを読んでみなさい」

「孤児院きぼう。…………これが、なんです?」

「ここはね、ユートが育った孤児院よ」


 孤児院の名前を見た途端に、マリーはエリスが大きな勘違いをしている事に気がついた。

 ユートは決して、女性にガルドを貢いでいたわけではない。


(ユートはいまも、ユートだった)


 プルートスの裏庭で、延々と木剣を振るい続けていた少年はいまも、まったく変わらぬ思いを抱き続けている。

 それがわかると、マリーの胸の中にぽっかり空いていた穴が、温もりで満ち満ちたのだった。


「ユート」

「えっ、マリーに、エリスも!? どうしてここに……」


 孤児院の塀からユートが出て来たのは、マリーがエリスを抑え込んですぐのことだった。

 現われたユートは、軽く飛び上がるほど驚いていた。


 その驚愕に、ネガティブな色が一切ないことで、マリーは確信を得た。

 ほっと息を吐き、マリーは切り出した。


「ユート、お腹空いてる? ゴールドロックに行くわよ」

「いや、でも――」

「ほら、キビキビ歩く」


 ユートの手を取り、マリーはゴールドロックに向かってずんずん進んでいく。

 その後ろで、むぷーっ! とエリスが頬を大きく膨らませていた。

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