第22話 インスタンスダンジョンの罠

 エリスは迷宮都市クロノスのスラム街出身だ。

 両親についての記憶はない。気がついた時には、スラム街に暮らしていた。


 スラム街の仲間達を身を寄せ合って、その日、その日を必死に生き延びていた。


 ある日。仲間が大けがをしてスラムに戻って来た。

 スリに失敗して、袋だたきにあったのだ。


 その仲間は、放っておけば死んでしまう。


 ――死んじゃヤダ!


 エリスは必死の思いで祈った。

 すると、エリスの体から光が漏れて、仲間の傷がみるみる癒やされていった。


 これが、エリスが回復術に目覚めたきっかけだった。


 それからエリスは自らの回復術を使って、日銭を稼いだ。


 下町には怪我をした者が沢山いた。

 石畳の凹凸に足を取られて捻挫してしまった者、重い荷物を運んでぎっくり腰になった者、包丁で指を切ってしまった者などなど。

 エリスは怪我をした者を治療して、その対価としてガルドを稼いだ。


 そうしてるうちに、エリスは〝下町の聖女〟と呼ばれるようになっていた。

 そんなある日のことだった。


『冒険者にならないか? 一緒にダンジョンに行こう』


 とある冒険者パーティが、エリスを勧誘した。

 これまで、エリスは冒険者になろうと考えたことはなかった。

 だが、エリスは冒険者になる。


 ――一度に沢山のお金が稼げるからだ。

 これでもう、食べものの心配をしなくて済む。


 エリスが入ったパーティはインスタンスダンジョンを専門に攻略する、実力ある冒険者たちが集まっていた。

 そんな中に、回復術師のエリスが加わった。


 これで怖いものはないと、冒険者は破竹の勢いでダンジョンを攻略していった。

 気がつけば、エリスはCランクまで冒険者の階級が上がっていた。


 お金も沢山稼げた。

 もう、お腹がすいて泣くことも、寒くて体を震わせることもない。


 すべてが順風満帆のように思えた。


 そんな折りであった。

 パーティの一人が、致命傷を負った。


『頼む、エリス。こいつを助けてくれ!!』

『う……ぐ……』


 怪我を負った仲間は、内臓が飛び出すほどの重傷だった。

 エリスは必死に回復術を行使するが、みるみる仲間から生気が抜けていく。


 現在のエリスの回復術は、レベル2。

 レベル2では、これほどの重症は回復出来なかった。


『なんでだよ……。なんで助けてくれなかったんだ!!』

『あいつは、お前が殺したんだ!!』


 仲間を失ってから、残された者達が急激にエリスに冷たくなった。


 敬語を使わなければ怒鳴られた。

 態度がなってないと、躾と称して暴力を振るわれた。

 とにかく、エリスがやることなすこと、すべてに突っかかるようになった。


『回復〝薬〟のくせに満足に怪我も治せないのか!!』

『あっ……』


 少しでも回復術が遅れると、仲間がエリスを殴りつける。

 エリスはそれが恐ろしくて、ほんの僅かな傷でもすぐに回復術を放つようになった。


 おかげで、ダンジョンに籠もるとすぐに魔力欠乏に陥るようになった。

 だが、殴られて恐ろしい思いをするよりも、魔力欠乏で苦しい方がまだましだった。

 エリスは倒れてしまいそうになるのをぐっと堪え、回復術を使い続けた。


『おい、今度からベースダンジョンに行くから、それまでに11階まで転送出来るようにしておけ』

『えっ、でもわたし、回復術師で……』

『あ? てめぇCランクの冒険者なんだろ? ならDランクの階層くらい突破出来るだろ!?』

『ひっ』


 仲間に脅され、エリスはベースダンジョン11階を目指した。

 彼らの要求を拒むことは、エリスには出来った。


 Cランクの冒険者とはいっても、エリスは12歳の子どもだ。

 大人の冒険者に凄まれれば、恐怖に縛られてしまう。


 また、エリスには強い罪悪感がある。

『仲間を死なせてしまったのは、わたしの力が足りなかったからだ』


 それにより、エリスは彼らの横暴を、無抵抗に受け入れてしまった。

 だが、受けいれたところで、エリスに戦う力は存在しない。


 エリスが評価された実績は、戦闘力ではなく回復術のみ。

 魔物を倒さないサポート役であるためレベルは非常に低く、また身体能力を補うスキルすらエリスにはなかった。


 なんとかベースダンジョン4階までたどり着いたが、そこが限界だった。

 ホースバッドに囲まれて、エリスは死にそうになった。


 そこを、ユートという名の冒険者に助けられた。


『大丈夫?』


 エリスはこの日、初めて回復薬の味を知った。

 エリスは回復術師で、自分の傷は自分で癒やせる。

 だから、回復薬を使うのはもったいない。


 これまでのパーティでも、エリスが怪我をしても自分で治せという方針だった。


『回復薬ってのは高いんだ。自分で治せるんなら、いらないだろ』


 回復術で治せるのに、わざわざ回復薬を与えてくれたこと。

 そして、ベースダンジョンを出るまでユートがエリスをいたわってくれたこと。


 そのことが、エリスの胸を温めた。


(胸が……ぽかぽかする、です)


 エリスはスラム街の出身だ。

 誰かにいたわられた経験なんて、これまで一度もなかった。


『……お返しを、しなきゃ!』


 エリスは薬店で回復薬を購入した。

 回復薬は高い。そう教わったエリスは、千ガルドの回復薬に目もくれず、一万ガルドのものを購入した。


 自分で選んだ可愛らしい袋に回復薬を入れて、神殿前広場でユートを探した。

 ユートは冒険者だ。ここで待っていれば、きっと見つけられるだろうと考えた。


 ――たとえ、どれほど時間がかかろうと、エリスはユートを見つけ出すつもりだった。


 結果。ユートはすぐに見付かった。

 エリスは彼の顔を見た瞬間に、胸が熱くなった。


(すごく、ぽかぽかするです……)


 この感覚がなんなのか、エリスはわからない。

 風邪でも引いただろうか? と首を傾げる。

 だが、胸が熱くなったのは、ユートの顔を見た時だけ。


 お返しが終わってユートが立ち去ると、胸は温もりを失って、まるで雨の日にずぶ濡れになったみたいに冷たくなった。


(もっと、お話したい……です)


 エリスは、もっとユートと一緒にいたいと思った。

 こんなことを思うのは、初めてのことだ。


 何故そんな風に思うのか、さっぱりわからない。

 だが、彼と話していると、これまで感じたことがないほど安心出来るのだ。


 視線に怯えず、言葉に怯えず、暴力にも怯えない。

 話し方は優しく、表情も常に柔らかい笑みが浮かんでいる。


 近づいて見上げる、彼の顔の位置が、エリスは妙に気に入った。


(また……会えるかな?)


 エリスはそれから毎日のように、神殿前広場を訪れた。

 だがその日以来、ユートには会えなかった。


『おい、11階まで転送出来るようになったか?』

『……ごめんなさい、です。まだ、到達出来てない、です』

『チッ!! ったく、使えねぇな!』


 久しぶりにあったメンバーから、エリスはきつく叱られた。

 また、暴力が振るわれる。

 怯えたエリスだったが、予想に反して彼らは暴力を振るわなかった。


『まあ良い。インスタCに行くぞ』

『……え、あっ、はいです』


 言われるまま、エリスは生成の間に向かった。

 今日向かうのは、Cランク――かつて仲間を失ったインスタンスダンジョンだ。


 エリスの体が恐怖に震える。

 だが、皆のレベルは上がっている。

 また以前のように油断はしないはずだ。


 以前、仲間が大けがをしたのは慢心があったからだ。

 冒険が上手くいきすぎて、皆慢心していた。

 それが大事故に繋がった。


 鍵が扉に差し込まれ、インスタンスダンジョンが生成される。

 扉が開くと、仲間が行った。


『ほら、行くぞ』

『は、はいです!』


 いつものように、エリスはインスタンスダンジョンの扉を通過した。

 ふぅ、と息を整えて仲間を待ち構える。

 ――だが、いつまで立っても仲間が来ない。


 さすがにおかしいと、エリスは振り返る。


「――えっ?」


 入り口の向こう。生成の間から、仲間たちは一歩も動かなかった。

 用意されたベンチに座り、こちらをじっと眺めている。


「は、早く来て下さい……です」

「なんで俺らが行かなきゃいけないんだよ」

「テメェはCランク冒険者の聖女様だろ? 自分でクリアしろ」

「えっ、えっ……ど、どうして……」


 エリスは慌てた。

 インスタンスダンジョンは、一度侵入したら、クリアするまで出られない。


 入り口から脱出しようとするが、エリスは目に見えない壁に阻まれた。

 扉はまだ開いているのに、生成の間に戻れない。


「や……嫌っ、まって、見捨てないで!!」

「見捨てたのはテメェだろ!!」


 失われたのは、冒険者らにとって大切な仲間だった。

 パーティは幼なじみ同士で結成された。

 15年も一緒に過ごしてきたため、仲間というより家族に近い存在だった。


「それを、テメェが見殺しにしやがったんだ!!」

「テメェにアイツを殺された俺らが、これまでどんな思いでいたか……」

「そんな……ことで……」

「そんなこと? そんなことじゃねぇよ!!」

「だって、あれはッ――」


「黙れよ|回復薬(クソガキ)。テメェには、わからねぇんだよ!」

「俺らが、アイツをどれほど大切に思ってたか」

「アイツを失った俺たちが、どれほどテメェを怨んでるのかもッ!!」

「アイツだって俺らと同じ気持ちのはずだ」

「絶対にテメェを怨んでる」


 ――どうして助けてくれなかったんだって。


「だから俺らは、テメェをアイツと同じ|死地(ばしょ)に送ってやんだよ」

「そんな……」


 絶望と焦燥が思考を焦がす。

 エリスは力いっぱい、目に見えない壁を叩く。

 だが壁はびくともしない。


「た、たす、助けて。お願い。助けてください!!」


 エリスの目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。

 声を張り上げ、必死に叫ぶ。


「喜べ。テメェは10万ガルドの豪華な棺で眠れるんだ」

「死にたくなきゃ頑張って脱出しろ」


 ――まっ、無理だろうけどな。


 その言葉を最後に、インスタンスダンジョンの扉が閉ざされるのだった。

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