第4話 チェインクエスト

 日が沈む頃。

 武具販売店の店員であるマリーは、店じまいの準備を始めていた。


 マリーは8歳より、この店で丁稚として働いていた。

 10年間、死ぬほど辛い仕事だって、弱音を吐きながらもこなしてきた。


 そのおかげで現在マリーは、店長より番頭を任されている。

 番頭といえば、従業員としては頂点だ。

 この上となると、店長しかない。


 その身一つで働き始めたマリーは、たった10年でそれほどまでに偉くなった。


 マリーが店の片付けをしていると、裏口から聞き覚えのある音が聞こえてきた。


 フォン! ザザ。フォン! ザザ。

 棒を振る音と、足を摺る音だ。


 この音を誰が立てているのかを、マリーは10年前から知っている。


 裏口に向かうと、マリーが想像した通りの人物がそこにいた。


 黒髪に黒目という、迷宮都市クロノスでは珍しい色を持つ人族の青年。

 ――ユートが、店の裏手にある庭で素振りをしていた。


 最低ランクの冒険者は、収入が安定しない。

 最弱のユートは特に、だ。


 ギリギリ餓死しない程度で食い繋いでいるため、ユートは同年代の男性と比べて、体が二回りほど小さい。


 そんな小さな体を、目一杯使って、彼は木剣を振るっていた。


「ユートぉ。もう店閉めるんですけどー」

「……」


 声をかけるが、ユートは素振りに集中していて気づかない。

 無視されたマリーだったが、諦めたようにため息を吐くに留める。


 彼はいつもこうなのだ。

 一度集中すると、マリーがどれほど声をかけても聞こえなくなってしまう。


 武具販売は力仕事がほとんどだ。

 丁稚だった頃のマリーは筋肉痛や関節痛に度々罹り、布団の中でよく泣いていた。


『体が痛い』『働きたくない』

『辛い』『もう嫌だ』『仕事を辞めたい』


 マリーは口減らしのために家を追い出され、この武具店プルートスで働き始めた。

 働き始めたばかりのマリーは8歳である。


 自分の体よりも大きな武具を、いくつも運ばなければならないのだ

 8歳のマリーには、武具を運ぶ仕事はあまりにも厳しすぎた。


 それでもマリーが仕事を続けられたのは、ユートが店の裏手でいつも素振りをしていたからだった。


 一心不乱に、毎日飽きもせず、ユートは木剣を振り続けた。

 彼は病的なほど、熱心だった。


 素振りのしすぎで手の豆が潰れても、彼は構わず素振りを続けたほどだ。

 手から血を流しているのに、彼はいつまでも止まらなかった。


 マリーがそんな彼の弱さを知ったのは、客の何気ない一言だった。


『ユートとか言ったか? あの坊主、まだレベル1なんだとよ』

『えっ。あいつ冒険者になってもう3年だろ?』

『そんな奴いるのかよ……』

『呪われてんじゃねーか?』


 あれほど努力を続けているのに、まだレベル1。

 その事実に、マリーは驚愕した。


 なぜならば丁稚として3年務めたマリーでさえ、レベルが3まで上昇していたからだ。


『体が痛い』『働きたくない』

『もう嫌だ』『仕事を辞めたい』


 ユートはいつまでもレベルが上がらないのに、必死に練習を続けている。

 なのに、レベルが上がったマリーが先に諦めて良いものだろうか?


 ――いいや、良いわけがない!


 その日以来、マリーは一切弱音を吐くことはなくなった。

 弱音を吐きたくなると、いつもマリーはユートを思い出す。

 ユートが頑張っているのなら、私も頑張らないと……と。


 店じまいが終わる頃、ユートはまだ素振りを行っていた。


「ちょっと、ユートさぁん。もうお店終わったんですけどー。聞こえてるー?」


 話しかけても、まるで反応がない。

 少しイラッとして、小石を投げつけた。


 その小石は、ユートの木剣にしっかり防がれた。


「おおーさすが」


 マリーの声には反応しないが、攻撃には反応した。

 レベルは上がらないが、冒険者経験だけはしっかり積まれた、ユートらしい動きである。


 店は既に営業を終了している。

 いつもならばすぐに下宿先に帰るのだが、今日はユートがいる。


 マリーは木箱に腰を下ろして、ユートの素振りを眺める。


「……999……1000!」


 ユートの素振りが終わったらしい。彼は木剣を下げて、虚空を眺めた。


「ユート、お疲れ」

「――うわ!? って、なんだマリーか」

「なんだってなによぅ? アタシがいたら悪いっていうの?」

「いや、そういうわけじゃなくて、まさかいるなんて思わなかったから」

「ここはアタシが務めてるお店の裏よ。アタシが居ても不思議じゃないじゃない」

「でもほら……もう夜だし」


 店が終わったのに、なんでここにいるんだ?

 無言で問いかけるユートから、マリーは目をそらした。


「ほらほら、不審者はさっさと帰る!」

「誰が不審者だって?」

「いーからいーから」


 マリーはユートの背中を押した。

 ユートの体は、非常に小さい。

 身長は小柄なマリーと同程度である。


 けれどその小さな体は、しなやかな筋肉で包まれていた。


 本来ならばレベルの上昇で底上げされる身体能力を、彼はずっと、地道なトレーニングで補ってきたのだ。

 それだけで、マリーは勇気付けられる気がした。


(レベルが上がらない彼でも頑張っているんだ。アタシも、もっともっと頑張らないと!)


「ところで、ユートってもう18歳でしょ?」

「そうだけど、どうしたの?」

「いや……。もうそろそろ、ぼ、冒険者を辞めたらどうかなって……」


 若いころは、若い体に鞭を打って頑張ることもできる。

 だが年を取ると、若い頃のようにはいかない。


 いずれ、必ずガタが来る。

 朝になっても疲労が抜けず、トレーニングをしても能力を維持出来ない。


 レベルが上がれば、老いにもある程度対抗出来る。

 だがレベルの上がらない彼では、先は見えている。


「クロノスになら、働き口はいっぱいあるわけだしさ。その……お、男手が欲しいなーって思ってる武具店があったり……」

「心配してくれてありがとう。でも、まだ大丈夫だよ」

「……そう」


(まだ、諦めないんだ……)


 マリーは彼に気づかれぬよう、落胆のため息を吐き出した。

 ユートをちらりと伺う。


 道を歩くユートの視線は、僅かに上を向いていた。

 これまでの彼はというと、地面ばかり向いていたのに……。


(なにか、あったのかな?)


 その表情は、どこか憑き物が落ちたように見えた。

 まるで幼いの頃のユートのように、瞳が希望に輝いていた。


          ○


「よっしゃあ!」


 部屋に戻った優斗は、ガッツポーズを取った。

 素振りクエストをクリアしたことで、レベルが5に上がった。


○レベル4→5

○スキルポイント:5→6


 レベルは低ければ低いほど上がりやすい。

 それでも通常、レベルが1から5に上がるまでに、1ヶ月はかかると言われている。


 それが、たった1日のあいだに上がってしまったのだ。

 それも10年間、どれほど努力してもレベルが1つも上がらなかった男が、だ!


「ああ……生きてて良かった……」


 優斗は涙を浮かべ、歓喜に震えた。


 今回優斗が喜んでいるのは、それだけではない。

 素振りを千回行ったところ、なんとクエストが連鎖したのだ。


○チェインクエスト

・剣でゴブリンを500匹討伐(0/500)


「これは熱い!」


 ユートは熱くなっていた。

 ゴブリン五百体といえば、かなりの数である。


 通常のソロ冒険者が、1日で討伐出来る魔物の平均数は50と言われている。

 通常のソロ冒険者であれば、クエストをクリアするのに10日もかかる計算になる。


 だが、それ程の数を倒さなければクリア出来ないクエストに、優斗は興奮した。

 もしかしたら、すごい力が手に入るのではないか? と。


 今すぐにでもダンジョンにかけこんで、ゴブリンを討伐したくなるほどに。


 しかし現在は夜だ。

 夜からダンジョンに向かうのは危険である。

 何故ならダンジョンの魔物は、地上にいる魔物と同様に、夜になると凶暴さが増すためだ。


 何故日が届かないダンジョン内でも、外と同じように魔物の凶暴性が増すのかは知られていない。

 ただ、人間には体内リズムがある。それと同じように、魔物にもリズムがあるというのが大方の予想である。


 さておき、魔物を安全に狩るのなら朝からダンジョンに潜るのが一番だ。


 優斗は今朝、死ぬ夢を見て目が覚めた。

 ものすごくリアルな夢だった。

 実際、あれは本当だったのではないかと優斗は今も感じている。


 そんな精神状態で、ダンジョンに向かっても、いつも通り体が動かない可能性がある。

 いつも通り体が動かなければ、不覚を取って死んでしまう可能性がある。


 折角レベルが上がるようになったのに、死んでしまっては、何にもならない。


「クエストをクリアしたいけど……安全第一でいこう」


 そうと決めて、優斗は明日の準備を行う。


 棚から一振りの剣を取り出した。

 握りがボロボロになり、所々錆びの浮いた長剣だ。


 それは優斗が、マリーの店で購入した唯一の実践用武器である。


 Eランクで、しかもレベルがずっと1のままだった優斗は、冒険者としてまるでお金が稼げなかった。


 そんな中、必死に金策をして、それでもお金が足りなくてマリーに泣きながら値引きを要求し、やっとの思いで購入した剣である。


 ずいぶんと古くなったが、それでもまだまだ現役だ。

 さすがは店長兼鍛冶師であるダグラの作品だ。


 ダグラはドワーフの職人だ。

 ドワーフとは、冶金・鍛造に長けた種族として有名である。


 中でもダグラの腕は別格だ。

 優斗が購入した長剣は、店の中でも最も安い商品だった。

 にも拘らず、購入してから8年以上使い続けても、剣には一切歪みが生じていない。


 ただ、さすがに鉄の武器だけありサビは浮いてしまう。

 これはもう、鉄製武器の宿命だ。


 優斗は浮いた錆びを丁寧に落とし、刃を研ぎ、明日の戦闘に備えるのだった。

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