策士
「あ、おはよ矢指」
「おう佐藤」
佐藤れいな、淡い茶色に染められたボブヘアの可愛らしい顔付きをした少女。
「今日マラソン大会だね。自信ある? 私はまあまあかな~」
「俺は運動全然ダメだからムリ……」
朝、校舎の玄関口で会った二人がそんな世間話をしていたその時、ふいに佐藤の携帯が鳴った。画面を見ると――
「きゃあああああ――――――!」
彼女は突然、断末魔のごとき悲鳴を上げた。
驚いた矢指が何事か問うと、佐藤は彼に画面を見せた。
『あなたの絶対に他人には知られたくない秘密を入手させていただきました。この秘密を校内外に暴露されたくなければ、以降私の指示に従ってください』
そんな文言が躍ったメールには、なにやらデータが添付されていた。それが秘密とやらなのであろう。ゆえに、矢指はそれは見ずにおいた。
「なんだこれ……誰がこんなことを。佐藤、心当たりは?」
「……わかんない。アドレスも見たことない」
怯える佐藤の表情を見て、矢指は警察に相談しようと話すが、変に動いて秘密を暴露されたくない。ひとまず指示とやらを待つと答える佐藤。
もどかしさも覚えたが、意思を尊重し、とりあえず様子を見ることにした矢指。だが頭の中には様々な考えが巡った。
佐藤は可愛いから嫉妬している者も大勢いるだろうが、しかしここまでやる犯人となると、すぐには目星は付かない。一体誰が……。軽いイタズラ程度で済めばいいが。
「どうしよう矢指」
しかしその願い虚しく、午後のこと、矢指は怯える佐藤に携帯の画面を見せられた。
『今日のマラソン大会で1位になれなかった場合、あなたの秘密を暴露させていただきます。なお、他者の協力を仰いだ場合も、失格とし暴露させていただきます』
今日このすぐ後、学年全員で行うマラソン大会が予定されていた。学校からスタートし、町中を走り裏山の頂上をゴールとする伝統の行事だ。
その直前に、佐藤の携帯に、突然、例の奴からの指示メールが送られてきた。
この条件では、他の生徒に八百長を頼むことも難しい。矢指と佐藤は苦悩した。
「ここはとにかく、1位を目指すしかない。頑張ってくれ佐藤」
「うん、うん、わかった」
打開策思い付かず、仕方なく正攻法で臨むことを促し励ます矢指と、不安気にだが、その腹を決める佐藤。
そして、運命のマラソンはスタート。恥ずかしい話、矢指は佐藤よりも走れない。とにかくと、1位を目指す佐藤を先行させた。
しかし、コース中盤で、矢指はとんでもない光景を目にすることとなった。
「……佐藤?」
彼はふいに、左足首を押さえながら道端にうずくまっている佐藤の姿を視界に捉えた。捉えてしまった。
「佐藤、大丈夫か!? 痛むか!? 立てないのか!?」
「……う、うん、ちょっとね。焦りすぎたみたい」
慌てて駆け寄り尋ねると、佐藤は苦痛に引きつった笑みを作りながら、そう答えた。どうやら、焦って無理をしたせいで捻挫をしてしまったらしい。
それを知った矢指の中に、激情が沸き上がってきた。
「乗れ」
佐藤が立てないことを知ると、矢指は決意と共に、背を向けて彼女の前に立ち、そう促した。
「えっ!? えっ!? い、いいよ! 背負ってなんて走れないよ!」
「いいから早く乗れっ!」
しかし、それに面食らいうろたえる佐藤、彼を気遣って遠慮する。
それに矢指は焦れ、痺れを切らして怒鳴った。ここでまごついている余裕は、彼女には残されていない。
その気迫を耳目にした佐藤は、その決意を受け入れ、「ありがとう」と噛み締めるように口にし、彼の背に身を預けた。
息を切らし、矢指は走った。
佐藤を泣かせてたまるかよ! あんな卑劣な奴のせいで泣くことになってたまるかよ!
その想いが、彼を突き動かしていた。
背中からは、佐藤のすすり泣く声が聞こえてきていた。
そして、矢指は奮闘を続け、やがて二人はコースの終盤、裏山の頂上を目指しての坂道という難所を迎え、矢指は歯を食いしばって傾斜に挑み、山道を走り始めた。
体力はすでに限界。ふらつく足取りで進む矢指。
しかし、山の中腹に差し掛かった、その時だった。
「ああああああああああああ―――――っ!」
突然、彼は落とし穴に落下した。
………………。
………………。
『ハッピーバースデー・トゥーユー♪』
『ハッピーバースデー・トゥーユー♪』
『ハッピバースデー・ディア矢指~♪』
その後、彼は穴の中で、バースデーソングの歌詞を聞いた。
慌てて立ち上がり顔を出した彼が見たものは、クラスの全員が輪になって彼を囲い、バースデーソングを合唱している光景だった。
さらに、ケーキを持った佐藤が現れ、満面の笑みで彼に言った。
「お誕生日おめでと~矢指―――! バースデーサプライズ大成功――――――!」
あんだこれ……
にわかには状況を理解し切れず呆然とする、本日誕生日の矢指。
「佐藤、お前、足は?」
そして、まだ現実を受け容れられないというようにそう問いを口にすると、しかし矢指が落ちる直前に彼の背から脱出していた佐藤はあっけらかんと、しれっとそれに答えた。
「はい~、捻挫なんてしてません~。そもそも人に話せない秘密なんてものもありません~。イエ~。女優私~」
ざまぁ~とばかりに彼を両手で指差しながら、三代目のランニングマンの動きをして足の健在ぶりをアピールする佐藤。女優すぎる。
「さすが矢指カックイイ~! 女の子を背負って走る! あ~、惚れたわ~」
「あ~やったわ~。成功して良かったわ~。矢指の前に一回俺落ちちゃって焦ったわ~。またやったこれ、って思ったわ~」
さらに、ドッキリ成功に弾んだテンションで、矢指のことをからかう平野と屋良。それを皮切りに、クラスの全員が、見事に騙され「あああっ!」と落ちる矢指の様を囃し立てる。
穴の底にはワタが敷き詰められており、安全性は確保されていたのだが、矢指が負ったダメージは大きかった。メンタルに。
頭の中を整理した矢指は、全身から精も根も抜け果てる感覚を覚えた末、憔悴し切った語気で一言、口にした。
「俺、転校します」
その言葉に、クラスは全員大爆笑であった。
学年行事でこんな細工して、お前ら全員停学になれ。
その時はそう思っていたが、数年後振り返ると、こんな経験なかなか無いと、滅茶苦茶良い思い出になっていた矢指なのであった。優しい。
(お読みくださりありがとうございました。続きます)
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