安仁屋くんの好きな娘は完全に病気!

 俺、安仁屋 圭あにや けいが所属する2年A組はいい奴ばっかりだ。

 お兄ちゃん気質と言われることはたまにあるが、特に長所もなく冴えずパッとしない俺が浮くようなこともないほどに、いいクラスだ。


「ご機嫌麗しゅう羽虫の大群ども。今日も目障りであり耳障りであるようだけれど、東大にも行けない羽虫程度の脳味噌しか持っていないような羽虫どもなんて、口を開くだけでも迷惑なの。呼吸する価値などないということに早く気が付いてほしいものね。加えて、容姿まで羽虫レベルとは救えないわね」


 しかしその中にも、ド級の異端児が、周囲の人間を見下しまくっている者が、このクラスには存在していた。それが、朝教室に入ってくるなり、談笑していたクラスの全員に向かって凄まじい暴言を吐いたこの少女、桑瀬 くわせレオナである。

 凛々しい顔立ちをした美少女であり、成績ぶっちぎりの学年トップなのだが、その中身は凄まじいほどに刺々しく憎たらしい。そして、言い返せない容姿と成績を持っているのがタチが悪い。


 そんな超マウンティング気質だった桑瀬だったが、ある事件が、一学期末試験の最中に起きた。


 桑瀬のカンニングが発覚したのだ。


 これはカッコ悪かった。とにかくめちゃくちゃカッコ悪かった。

 さらに悪いことは続くもので、その数日後、桑瀬の中学の同級生だという女子が数名現れた。なんやクラスの誰かと繋がりがあったとかで呼ばれたらしい。

 そこで、彼女達は中学の卒業アルバムを開き、桑瀬が整形をしているという告発を始めた。

 アルバムに写っていた桑瀬は鼻が潰れていてまぶたも一重で野暮ったかった。


 これはカッコ悪かった。とにかくめちゃくちゃカッコ悪かった。


 それらに対して、桑瀬はこう申し開いた。


「実は私、病気であと一ヶ月の命なの。私、ずっと地味で冴えない、人に見下される人生だったから、最後に一番になって人を見下してみたくて、ごめんなさい……」


 ……というのも、ウソだとバレた。一ヵ月経ってからもイチかバチかさらっと登校し続けてみたら、バレた。色々苦し紛れだった。


「どうして私はあの時あんなことを言ってしまたのおおおあああああ!」


 その後、彼女は教室で一人、クラス全員分の励ましの言葉が寄せ書きされた色紙を涙で濡らし続けた。

 そして、涙で色紙の文字が滲みまくり、呪いの絵画のような様相を呈するようになったある日、彼女はグレた。

 金髪のショートに黒レザーのジャケット、というコテコテの馬鹿ヤンキー丸出しの出で立ちで登校するようになった。


 とはいえ、中身は急に変わらない。教室に居場所のない桑瀬は、昼休み、居たたまれずこっそりトイレの個室で弁当を食っていたのだが、そこで事件は起こった。


 ぽりっ。


 不覚にも、桑瀬は不意に、たくあんを食べるぽりっという音を辺りに響かせてしまったのだ。


「え? 今のもしかして、たくあんを食べる音!?」

「まさかトイレの中で誰かごはん食べてるの!?」


 次の瞬間、個室の外がにわかにざわつき始めた。

 力なく個室の外に出た桑瀬の視界に映ったものは、憐憫の情に満ちた数人の女生徒の瞳であった。


 便所飯が発覚して憐れまれるヤンキー、カッコ悪すぎる。


 しにたい。そして来世で禅寺に駆け込み、たくあんを静かに食べる修行を積んでから人生出直したい。後に桑瀬はそう語った。

 彼女はヤンキーファッションを辞め、地味なおかっぱ頭で登校してくるようになった。


 ルックスはいじったもの。成績もカンニングによるもの。死ぬ死ぬ詐欺。たくあん。桑瀬の孤高は独善へと失墜。


 と、完全に面子が潰れたストレスでか、以降、彼女は完全に発狂。

 たとえば、ある日のこと。彼女はなぜか弁当を二つ作ってきており、隣の空席の机の上にその内の一つを置いていた。


「ん? 桑瀬、なんで弁当二つ作ってきてるの?」


 気になった俺が尋ねてみると、桑瀬はきょとんとした顔をして答えた。


「え? いけませんか? いつも彼氏の分も作ってきているのですが」

「え? 桑瀬彼氏なんていたの?」

「え? ですから、そこにいるじゃないですか、ほら」


 問うと、桑瀬は誰もいない席を手で指し示して言った。

 いけない、微妙な沈黙の間を作ってしまった。

 ああ、なるほどね。わかった。


 コレだめなやつだ。彼女の頭の中が。心をやっちまったやつだ。


 いつも二人分作っているからか、弁当の出来は素晴らしかった。が、それがかえってなんだか虚しかった。


「ですけど、彼はいつも私のお弁当、食べてくれないんです。きっと、まずいから食べてくれないのです」


 食べるわけがないんだよ? 弁当なんてそりゃ。

 しかし、そう本当のことを言ってしまっても大丈夫なのかと俺が逡巡していると、次に桑瀬は、ううっとふいに泣き出し、誰もいない空間に対し土下座を始めた。


「ごめんなさい次からは生ゴミなんて作ってきませんから許してください別れないでくださいごめんなさいごめんなさい……」


 頭の中の彼氏にどんなひどいことを言われているのだろうか。


 その光景を前に俺は言葉を失い、底冷えしそうな気分になりながら、ただ立ち尽くしていた。


 ……この子は俺がどうにかしてやらないとダメだ。


 なぜだろうか、お兄ちゃん気質と呼ばれる所以か、その様子を見たその時、なぜだか俺は、ふいにそう思った。

 それからというもの、俺は桑瀬のことが気になって気になって仕方がないようになった。

 変な話だが、俺はどうも、不幸な子を好きになってしまう傾向がある。そういう気質なのだ。どうにも、俺は桑瀬のことが好きになってしまったようなのである。



 そうしてその日から、俺は桑瀬のことを構い始めたのだが、そんな中のある日の放課後、俺は桑瀬とファミレスに入った。

 しかし、二人で入り通された席に行くと、そこでにわかに桑瀬が、空席に向かって話し始めた。


「お待たせしましたです~。え? こいつ誰? 話していたクラスの安仁屋圭くんです。え? 聞いてない? 昨日メールはしたのですが、見ていないですか? すすすすいません。確かに返信は確認しませんでした。いつも返信はくれないものですから」


 また頭の中の彼氏とやり取りしているらしい。

 来るわけがないんだよ? 返信なんてそりゃ。

 面食らった俺が呆然と桑瀬の言動を眺めていると、


「ううっ!」


 次の瞬間、彼女はふいに呻き声を上げながら、ひとりでに後方にぶっ飛び始めた。

 後方の席に突っ込み、ハデな音を立てて倒れる桑瀬。


「ううう~ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 さらに、彼女はそこから素早く起き上がると、何度も土下座をして謝罪の言葉を繰り返し始めた。

 俺は何がなんだかわからず、ただそれらの推移を眺めているばかりだった。


「どうしました!?」


 と、そこで騒ぎを聞き付けた女性の店員が駆け付けてきた。と、桑瀬は涙ながらに言った。


「うう……彼に暴力を振るわれてしまいました」


 それを聞いた女性の店員は、ゴミでも見るようなめっちゃ白い目で、俺のことを睨み付けてきた。


「え!? いや、違いますよ!? 俺のことじゃないですよ!? ああ確かにこの場には俺しかいないっちゃいないんですけど! えーとなんというか……」


 助けを求め目線を送るも、ただただ泣き続けるばかりの桑瀬。弁解のしようがない地獄のような空気に俺は10分強も襲われることになったのであった。さらにこの後、警察が来て親や教師まで呼び出されて大変だった……。


 また、ある日の放課後のこと。空き教室でこっそり? 俺の目の前で次のテストのためのカンニングペーパー作りにいそしむ桑瀬。まだ懲りてない……というより、狂気だなこれは。

 俺はため息まじりにそんな彼女に声をかけた。


「あのさ桑瀬、いつかボロが出て自分が辛い思いをするんだ。もうイカサマ人生は卒業して、自分の自力で生きていこうよ」


 諭されると桑瀬は、にわかに勢い良く立ち上がり、唾棄するようにいった。


「それじゃ私の人生なんて空っぽになるわ。私は自分が空っぽの人間だって思われないために、こうして戦ってるのよ!」

「それじゃ楽しくないだろ? 自分にはこれがありますなんて、自信持ってはっきり言える人間なんて、そういないよ」


 桑瀬は俺の答えに激高し、涙を流しながら叫んだ。


「違う! 私は他の誰かに見下されることなんて耐えられない。私は私が一番じゃなきゃイヤなのよ!」


 袋小路にはまっている彼女の思考。誰かがそこから連れ出してやらねばならない。そして今、やれるのは俺しかいない。こんな時、言うべきセリフは決まっている。

 しかし、俺が口を開こうとしたその時、にわかに空き教室の扉が開き、一人の男子が飛び込んでくると、そのメガネをかけた小太りの男子は、桑瀬に向かって声を張り上げた。


「レオナちゃんは俺の一番だっ! そんなことをしなくてもずっと、俺の一番だ―――――っ!」


 誰!? セリフとられた―――――っ!


 呆気にとられる俺と桑瀬。と、その男子はさらに俺の方へと向き直ると、いきなり俺の顔に拳を叩き付けてきた。

 さらに、その男子はぶっ飛んで倒れる俺の上に馬乗りになると、俺の顔に何度も拳を振り下ろしながら叫んだ。


「お前っ! 一番近くにいるお前がレオナちゃん泣かしてんじゃねえよ! お前だからっ! お前だから俺は身を引いたんだぞっ!」


 いやだから誰だよお前っ!


 長年の親友とかだけが言えるセリフとやれる行為だぞそれっ!


 存在が記憶にないその男子に、理不尽に殴られまくる俺。

 と、そこでその男子は拳を止め、数歩引いて俺に言った。


「おら立てよ! お前の気持ちを見せてみろよ! 本気なら俺へやり返してみせろよ!」


 なんだこいつ。どこの昭和青春ドラマ気取り野郎だよ。

 ハラが立つので、そう言うならやってやろうと、俺はフラフラになりながらなんとか立ち上がった。と、そこで――


「やり返してみせろよ!」


 メガネはそう叫びながらまた俺の顔面に拳を打ち込み、俺は再びダウンを余儀なくされる。

 くそっ! こいつ絶対殴る! そう決意した俺が再びなんとか立ち上がると、メガネはまたまた俺の顔面にパンチをぶち込み、俺はぶっ飛んでダウンする。


「どうした! そんなもんか! やり返してみせろよ!」


 だから、お前が殴ってくるからやり返せねーんだろうが!


 なんだこいつ、青春ドラマっぽい空気出せば何でもやっていいと思って滅茶苦茶やってきやがる! 


 納得がいかない俺が拳を固め、もう一度立ち上がろうとすると、しかしその時――


「もういい、もういいよ圭くん」


 涙ぐんだ桑瀬が間に入ってきて、俺の再起をいさめた。

 と、それを見てピザメガネ。


「オレのパンチをあれだけ受けて、最後まで立ち上がろうとしてきやがったな。お前の本気は伝わった。俺にも、レオナちゃんにもな。……これ以上は、オレの出る幕じゃないみたいだな」


 最初からお前の出る幕なんてねえんだよ!!


 なんでヒロイン介入で良い幕引きみたいな雰囲気出してんだよ。なんだよそのセリフ。お前のパンチが一体なんだっていうんだよ。青春ドラマごっこに酔いすぎだろこいつ。

 そして、やりたいだけやり終えて、メガネは満足そうに帰っていった。一体なんなんだよ。


「あいつ誰なの?」

「あなたの知り合いじゃないの?」


 誰なんだよ一体。


 後にわかったことだが、別のクラスの隠れレオナちゃんファンの子でした。



 翌日、俺は桑瀬を自転車の後ろに乗せて激走していた。


「圭くん! 急いでくれないと彼の所に隕石が落ちてしまうのです! 私にはわかるんです! 一度その未来からタイムリープしてきましたから!」


 空想の世界の中にしかいない桑瀬の彼氏のために、桑瀬を乗せたチャリで激走する俺。

 一体何をやっているのかは、誰にもわからない。

 タイムリープとか、今度の空想のぶっ飛び方はウルトラQ。しかし、凄い剣幕で頼むので、俺は断れなかった。


「ああ! 彼がいました!」


 そして郊外の林の中に辿り着くと、桑瀬は彼女にしか見えない彼氏を見付け、一目散に駆け出していく。

 そして見えない彼を必死に説得する様子を見せると、俺に向かって叫びを上げた。


「私はいいのです! 圭! どうか彼を乗せて逃げて!」

「え~、いや、え~と……よしきた! 任せとけ!」


 まぁもう最後まで調子合わせておくか。そう答えて、しばらく待機する。彼が駆け付け、後ろに乗り込むまでのタイミングを計る。よし、乗ったな?


「よし! 行くぞ彼氏くん!」

「なに言ってんですか圭! 彼はまだ乗っていませんよ!」


 乗ってないんか―――――いっ!


 わかんねーんだよ! 走れよ彼! いや、走るとかもないんだけど! 見えてねえんだよこちとら!


 なんやモヤっとすることもありながら、俺は一人、元来た道を激走し始めた。誰も乗っていないのに、乗っているテイで。

 俺は一体何をしているのだろうか。それは誰にもわからない。


 その後、適当に時間を潰した後、俺は林へと引き返し、桑瀬を迎えにきた。


「あ、圭くん、どうして……」

「おう、無事だったか桑瀬。彼はもう逃がしたから、帰るぞ。後ろ乗れよ」

「あ、わざわざ……はい。ありがとうございます」


 早めの再会を果たすと、桑瀬は初めなにやら意外そうに俺のことを見ていたが、同乗を促すと、今度はなにやらばつが悪そうにもじもじしていた。


 そして、桑瀬を乗せて走っていると、途上、彼女はふいに言った。


「圭くん、私の彼はやっぱり死にました」


「ええ――っ!? どういうこと!? 俺の疾走は一体!?」

「その結果、死にました。ふふ」

「ええ―――っ!?」


 なぜだかこの日に、桑瀬は正気を取り戻した。

 そして以降、彼女が二つ作ってくる弁当の内、一つは俺が食べることになった。


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