澎湃 ~青の記憶~
七条麗朱夜
第1話 青の夢
沈む。
沈む。
沈む。
沈んで行く。
青く深い、海の底へ。
静謐で、誰も居ない、海の底へ――。
「シーベラ」
若く、優しい母の声。
憂いを帯びた美しい顔。
「わたくしは死ななければならないの。わたくしは罪を犯してしまったから」
少年にとっては、無慈悲な言葉。
残酷な一言。
「どうして?どうしてなの?」
その言葉を真に理解できない少年は、当然のように訊ねる。
無邪気な瞳が、不安の色に覆われて行く。
「わたくしは罪深い女だから――」
母の悲しげな表情。
その美しい姿は次第に海に揺らいで半透明になり――、
やがて泡となった。
「僕はお前を許さない」
兄の怒りと憎しみに満ちた瞳を、少年は目にした。
澄んだ青い海よりも濁りが無く、深い、深い、兄の特徴的な青い瞳。
「お前の母は僕の母を殺した。大切な母を。
お前も同罪だ。母は死ぬ必要なんて無かった」
親の罪は子にも及ぶ――そういう事だった。
兄は怒りと憎しみに満ちていたが、それは瞳だけで、顔はまるで蝋人形のように無表情だった。
「謝るよ!僕が罪を償って、兄上に一生従うから。だから許して」
少年は必死に兄に懇願する。
しかし、兄は海底のように冷たく、無慈悲であった。
「お前を決して許しはしない。生きている限り、ずっと」
兄の瞳は貴重な宝石のように神秘的に輝き、そしてその後、彼の姿は消え、残ったその青く美しい粒は、深遠なる海の底へと沈んで行った――。
「僕は城を出るんだ」
もう一人の兄は、少しだけ目を輝かせて少年に告げた。
「城の外には素晴らしい世界が広がっている。僕は見たいんだ。それらを、この目で」
「さようならってことなの?兄上とはもう会えないの?」
少年は兄に詰め寄る。
頼もしく、優しい兄がいなくなるなんて、彼には耐えられない事だった。
「会えるかもしれないし、会えないかもしれない。それは神々のみがご存じさ」
兄は微笑み、元気付けるように少年の肩を叩いた。
まるで、別れなど大した事ではない、とでも言うように。
「そんなの嫌だよ!ずっと此処にいてよ」
少年は顔を涙で濡らし、兄の胸を拳で叩く。
「父上をよろしく頼むよ。女官たちを困らせるんじゃないぞ。約束だ」
兄は毅然として少年に背を向け、海の向こうへ、向こうへと去って行った。
少年はじっと目を凝らして、小さくなっていく兄の姿を見つめていたが、遂に、兄は青い海に溶け込んでしまった――。
青く深い海の底から、泡が立ちのぼる。
上へ、上へ。
しっかりとした意志を持って、何かを求めるように。
やがて、太陽の光に晒された泡は、黄金のようにきらりと輝き、そして砕け散った。
彼ははっと目を覚ました。
全ては夢。
不思議な夢。
あながち夢ではない夢――。
そっと静かに起き上がり、ベッドに座る。
髪をかき上げ、そのまま手を頭に固定し、考える。
だが、起き掛けなので、思考がまとまるはずもない。
「まだ寝てましょうよ……」
彼の後ろから声がした。
まだ寝ぼけている、少女のような声。
彼は振り返り、妻の額にキスをして、艶やかな黒い髪を撫でた。
「エクシー、もう起きる時間だよ」
「嘘よ。まだそんな時間じゃないわ。ねえ、まだベッドの中に居て」
彼の妻――エクシニアは、彼の腰に手を触れたが、すぐにその手は力なくベッドの上に落ちた。
「今日もやるべき事がたくさんあるからね。先に起きるよ」
彼は苦笑し、もう一度妻の額にキスをすると、ベッドから出た。
服を身に纏い、完璧に身支度をする。
その作業はさほど時間がかからず、彼は瞬く間に寝室を出て、颯爽と廊下を歩き出した。
澎湃 ~青の記憶~ 七条麗朱夜 @leschuja1902
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。澎湃 ~青の記憶~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
近況ノート
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます