第12話 彼のことがわからなくなる

 男の子と二人きりの状況で眠りにつけるほど私は図太くない。花川君は私が寝ていると見なしていたようだけど。


 彼が保健室を去ってから体感的に五分くらい経ったあたりで私は満を持して起き上がった。なんとなく、彼が去ってすぐだと桐ケ谷先生に『ほんとは寝てなかったんじゃないの?』と疑われそうだったから。



「あら、もう起きたの?」



 物音に気付いたのかオフィスチェアを半回転させて体の前面を向けてきた桐ケ谷先生。


 私は怪しまれないように両腕をぐっと上に伸ばす。



「――――ふぅ…………花川君は?」

「彼ならちょっと前に出ていったよ…………『恋人を頼みます』って言って」

「そんなこと一言も言ってなかったですよね! …………ぁ」



 ニヤニヤする桐ケ谷先生を見てめられたと理解し、腑抜けたような声が漏れてしまった。



「なんだ、やっぱり起きてたんじゃない」

「……最初から寝たふりだとわかっていたんですか?」

「ううん。ただ、新薗さんが危機感のない女の子とは思えなかったから。かまかけてみたの」

「かまかけたって……それに危機感があるなしでなにがわかるんですか?」



 私が純粋な疑問をぶつけると桐ケ谷先生は驚きを禁じ得ないと前のめりになる。



「えッ⁉ だって保健室で! 同い年の異性と! 二人っきり! だよ? 『襲われちゃったらどうしようキャッーーーーーー』って嫌でも想像しちゃうでしょ!」

「し――しませんよ! だ、だいたい、そういう……こ、行為は、想い合う二人が、あ、愛を確かめる時に、許されるものですから」

「うわー……目が眩むほどのピュア」

「……なんですかそれ」



 眩しそうに目を細め呆れたように言葉を漏らした桐ケ谷先生に私は溜息交じりに返した。



「でもでも、花川君と新薗さんは付き合ってるんだよね? だったら可能性もあったんじゃない?」

「可能性もなにも付き合ってませんから。彼は単なるクラスメイトです」

「えーーそれだけの関係で負ぶってここまで連れてくる普通? ……あ! じゃあ付き合ってなくて新薗さんもクラスメイトとしてしか見てないけど、花川君はそうじゃなくて新薗さんに好意を寄せてたりして」

「それもありませんあり得ません。花川君はきっと自分の為に行動したんだと思います」

「自分の為って、どういうこと?」



 引っ掛かりを覚えたのか桐ケ谷先生は首を傾げて説明を求めてきた。



「それは…………周りに優しい自分をアピールする為とかじゃないですか、知らないですけど」



 実際、花川君は紡希ちゃんに良く思われるように私を利用したと言っていた…………でもあれは私が言わせたようなもので……てことは花川君はほんとうに責任を感じて私を……ってなにを考え込んでるの私! 別に理由なんてどうでもいいじゃない!



「そっかそっか。ごめんね、勘違いしちゃってたみたい」

「いえ、わかってもらえればそれで」



 さっきので納得?してくれたのか桐ケ谷先生はあざとく舌を出して謝ってきた。


 私自身もこの話題を早く切り上げたかった為に内心ほっとする。


 ――トンットンットンッ。



「はーい」



 と、そこで誰かの来訪を知らせるノック音が。桐ケ谷先生は座ったまま応える。



「すいません、ちょっと忘れ物しちゃって」



 廊下から聞こえてきた声に心臓がキュッと締め付けられるような感覚…………花川君だ。



「入って――」

「――ちょ、ちょっと待ってください先生!」



 潜めた声で桐ケ谷先生に制止を呼びかける。



「もし花川君に私のこと聞かれたらずっと寝ていたことにしておいてください。私はまた寝たふりしてますので」

「え、どして?」

「どしてってそれは……と、とにかくお願いします!」



 そう一方的に頼み、急いでベッドに横になった。


 さっきまでの話題のせいあって彼の前で平静を保てる自信がない、物凄く不安、だから逃げを選んだ。



「入っていいよー」

「失礼します」



 少ししてペタペタと踏み鳴らすスリッパの音にもう一つの足音が加わった。



「ぐっすり寝てますね、あいつ」

「うん、あれからずっと眠ってるよ。で、忘れ物って? らしき物は見当たらないけど」

「あー忘れ物っていうか……これ、新薗が起きたら渡しといてくれませんか?」

「…………どこで買ってきたの?」

「どこって……学校の自販機ですけど。たまたま最後の一本が買えて」

「ふーん……ま、いいや。渡しとくよ」

「あ、それとできれば先生が買ってきたってことにしてもらえると助かるんですが」

「どして?」

「いやほら、俺が買ってきたのを知ったら一服盛られてるんじゃないかって変に勘ぐって飲まないかもしれないじゃないですか。それだと意味がないから」

「はいはい照れ隠しね」

「そんなんじゃないです」

「どうだか……けどまあ、花川君がそれでいいなら、そう伝えておくよ」

「ありがとうございます。じゃ、それだけなんで」

「うん。わざわざありがとね」

「いえ、失礼します」



 静かに閉まる戸を区切りに会話は終わり、鼓動の音がやけに耳に響く。



「もう大丈夫よ新薗さん」



 桐ケ谷先生に名指しで呼ばれ、私はゆっくりと起き上がる。



「……それ」



 寝たふりをする前と後で変わったところがある。わかりやすいたったひとつの間違い探し、桐ケ谷先生の手にはよく見かけるパッケージのスポーツドリングが握られていた。



「全部聞いてたでしょ? これ、花川君から」



 差し出されたスポーツドリンクを受け取る。これを、花川君が、私に?



「それにしても……まさか学校を抜け出してまで買いに行くなんてね」

「え?」



 花川君と桐ケ谷先生の食い違いに疑問の声が漏れた。



「いやね、先生も買いに行ってたんだけど、校内にある自販機は全部売り切れだったんだよね」



 そっか、だから桐ケ谷先生は校外で買ったと…………。


 視線を両手に持つスポーツドリンクへと落とした。容器は多くの小さな水滴をまとっている。



「これも、新薗さんの言ってた優しさのアピールってことなのかな。だとしたら先生一人の為に殊勝だね、花川君は」

「……………………」

「このままだとまた熱中症になっちゃいそうだし、ゆっくり休みなさい」

「そう、させてもらいます」



 …………ほんとに、なんなの……彼は……。



 一人、顔が熱くなるのを感じながら、私は手中にあるそれを、見つめ続けた。

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