第11話 病人はもちろん、さぼりの人にも保健室は優しい 

「熱中症だね。と言っても初期症状だから、ゆっくり休めば復活するよ」



 冷房の効いた薬品の匂いがたちこめる保健室。ベッドに横になる新薗に白衣が似合う女性、桐ヶ谷きりがや先生が不調の原因を告げる。



「とりあえずこれ飲んで」



 桐ケ谷先生が新薗に差し出したのは市販で売られている経口補水液。今の俺が飲んでもおいしいとは感じられないだろう。


 起き上がり差し出された経口補水液を受け取る新薗。



「……おいしい」



 率直な感想に桐ケ谷先生は呆れたように笑う。



「体液が不足している証拠……ちゃんと水分補給してた?」

「…………」

「ちょっと、どうして黙るの?」

「…………その、お財布を……忘れちゃって……それで……」



 詰め寄られるのに耐えかねたのか、新薗はたどたどしく白状した。



「それでって、まさか一滴も?」



 恥ずかしそうにしながら新薗は首を縦に振った。こいつ、まじか……。


 俺と同じ感想を抱いたのか腰に手を当て呆れた様子で溜息をつく。



「もう起きてしまったことだから口うるさくは言わないけど、夏の暑さをなめちゃ駄目! これだけは肝に銘じておいて」

「……わかりました」



 新薗の返事を聞いて満足したのか桐ケ谷先生は「わかればよろしい」と言った。


 まるで悪事を働いた子を叱る親だな……さすが〝球磨工の母親〟と呼ばれるだけある。


 俺が呑気にやり取りを見守っていると、くるりと身を翻した桐ケ谷先生と視線が合う。



「先生ちょっと席外すから、花川君ここにいてもらっていい?」

「あ、はい」

「ごめんね、すぐ戻るから」



 言い残した桐ケ谷先生はペタペタとスリッパの音を鳴らして保健室を出ていった。



「……………………」

「……………………」

「……誰かにお金を借りるか、分けてもらえばよかったじゃないか……そう、思ってるでしょ?」



 二人きりになり沈黙が支配する……ことにはならなかった。



「まあ……理由が予想つくから聞かなかったけど」



 流れからしてさきの財布を忘れた件についてだろう。金を借りるのも、飲み物を分けてもらうのも、躊躇った結果が今だと俺は思っている。


 水道水があったじゃないか、とも思ったがハーフタイム中は後半戦についての話をする為に留まらせてしまっていた……俺が言えた義理じゃない。



「自分のことなのに変に意地張って、おかしな女……そう、思ってるでしょ?」



 いや初めて会った時からそう思ってるけど?なんて口にしたら新薗の体温を上げかねない。俺は首横に振って否定する。


 が、そんな俺の心の内を覗いたとでもいうのか新薗は猜疑さいぎ深そうな表情をする。これっぽっちも信用していない様子だ。ほんとエスパーかなにかなの?



詮索せんさくしてないで、とりあえず今はゆっくり休んどけ」

「……言われなくともそうするわよ」



 棘のある言い方をした新薗は俺に背を向け横になる。


 ったく人が心配して言ってるというのになんてふてぶてしいの! この子は! 不調の時ぐらいしおらしくしなさい!


 新薗の態度にハンカチを噛み千切りたい気分に駆られていると、唐突に懐にあるスマホが振動した。



「機械科が勝ったそうだぞ」



 取り出し確認すると吉田からのLINE。内容は機械科が建築科を破って優勝したとのことで、俺は勝利に最も貢献した新薗に朗報を伝えた。



「……そう。なら私は紡希ちゃんに『花川君は球技大会で逆境を跳ねのけクラスを優勝に導いたのみならず、試合中、体調が悪くなった私にすぐに気付き助けてくれた。上に立つ者としての牽引力はさることながら他者をおもんぱかる優しさも兼ね備えている素敵な人よ』と伝えればいいのね」

「不自然すぎない? 台本渡されてるって疑われてもおかしくないレベルの言わされてる感だけども? もうちょっとこういい塩梅あんばいで頼むわ」

「そう……わかった」



 ……正直、新薗を助けた理由は後付けなんだが……言う必要はないか。


 それから会話が生まれることはなくゆっくりとした時間が進み、ようやく独特な匂いに鼻が慣れたところで引き戸の開く音が室内に響いた。



「――ごめんごめん結構長くなっちゃった……って、寝てる?」



 額に汗を滲ませた桐ケ谷先生は横向けになっている新薗を目をやり、声量を抑えて訊ねてきた。



「そうみたいです…………じゃあ俺はこれで」

「あ、うん。ありがとね」



 えくぼを浮かべて笑う桐ケ谷先生に俺は軽く会釈し、そっと音をたてないように引き戸を閉めた。


     ***


「……ここも売り切れか」



 保健室を出たてからというもの、俺はお目当ての物を購入する為に校内を走り回っていた。が、最後の希望だった体育館横の自販機も赤く『売切』の二文字が……これで学校にある全ての自販機にお目当ての物がないことを知る。


 この暑さじゃ仕方ないか。


 片手で目元を覆い、照らす太陽を睨みつける。


 …………校門付近には誰もいないか。


 太陽とのメンチの切り合いに負け、不鮮明になった視界が徐々に正常な状態に戻っていく。


 抜け出すか。


 もう一度周囲に人の存在がないことを確認し、俺は敷地外へと駆けていった。

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