第6話 素敵な新人さん3
「あの、花川さん」
「え、あ、はい」
突然名前を呼ばれ、スマホをしまい居住まいを正してしまった。それは同時に偏見の上で成り立った策の終了を知らせるものでもあった。女子に声かけられたくらいで態度を崩すとか、意思弱すぎだろ……俺。
小野町さんに声をかけられ喜ぶ気持ちと自分が情けなくて仕方がない気持ちが交錯する俺に対して、当然知る由もない彼女は遠慮気味に訊ねてくる。
「歳ってお幾つなんですか?」
「えと、十六です」
「え! 私も同じです! もしかして二年生ですか?」
「あ、はい」
「同じです!」
よほど嬉しかったのか小野町さんは顔に喜色を浮かべた。ここは目上の人が多いから、同い年がいて安堵したのだろう。
「高校はどこなんですか?」
「球磨谷工業です」
一瞬、彼女の顔に陰りが帯びた。が、直ぐに表情は戻る。
「私は球磨商なんです。高校も近いですね!」
「ご近所ですね」
ついでに心の距離も近づいたりしませんかね? なんて口が裂けても言えない。
にしても球磨商か……どこぞの新薗も口にしてたな。まあ女の皮を被った男の事なんて話題にするだけ場が冷めるか。
「あの、歳が同じなんですから敬語を使わなくてもいいんですよ?」
「そ、それは……あの……」
小野町さんの持ちかけに俺は言葉が詰まってしまう。
向ける意識の差とでも言うべきか、これが男相手だったら遠慮なくタメ口を利いた。というより同齢であると知った瞬間から使っていた。が、俺は小野町さんを意識してしまっている。故に余計な勘繰りをしてしまう。人間性を試されているのではと。その証拠に彼女は――、
「いや、てか小野町さんも敬語のままじゃないですか」
ハッと遅れて気が付き俺は指摘した。
「フフッ、気付いちゃいました? 変な間があったから可笑しな子って勘違いされちゃったのかと思っちゃいました」
「全然そんな事は……こっちこそ切り返しが遅くてすいません」
「謝らないでください。それより、緊張はほぐれましたか?」
その訊ねに俺は理解する。小野町さんが諧謔を弄した意図は俺の張りつめた心を和らげる為だったのだと。誰よりも緊張しているのは彼女のはずなのに。
「すみませ――いえ、ありがとうございます。おかげで身が軽くなりました」
「どういたしまして!」
そう短く言って彼女は白い歯を零す。その笑みに俺は心奪われるような感覚を味わった気がした。
それからも小野町さんと言葉を交えた。たどたどしくも言葉を紡ぐ俺に対し、小野町さんは丁寧に返してくれる。会話は穏やかな渓流のように緩やかで、けれど不思議と途切れる事はなかった。
緊張と弛緩が均衡を保つ絶妙な空気に身を置いて俺は思った。夢見る少女のように『この時間が一生続けばいいのに』と。
それでも時は平等に流れ十二時の鐘を鳴らす。休憩が終わり俺と小野町さんは仕事に戻った。特に問題も起きることなく滞りなく時間は過ぎていきあっという間に終業時刻を迎えた。
「二人ともご苦労様。気を付けて帰ってね」
「「お疲れさまでした」」
閉店した後もまだ作業が残っている店長と社員の人に俺と小野町さんは頭を下げ店を後にした。
「今日は仕事を教えていただきありがとうございました。とてもわかりやすかったです」
店を出てすぐの分かれ道、小野町さんは足を止め振り返ってお辞儀する。
「そんな大袈裟な、俺が教わった時とまるっきり同じで使いまわしですから」
「だとしてもです。花川君に教われて良かったと思ってます」
小野町さんからの謝辞につい頬が緩みそうになる。お世辞だとわかっていても嬉しいのだから仕方がない。それにさんから君呼びに昇格していたのも素直に嬉しい。
「……もしよかったらLINE交換しませんか?」
「えッ」
「あの、特に深い意味はないんです。お互い急用で休まなきゃならない時、交代できるか頼むのに連絡先を知っていれば便利かなと思って…………迷惑でしたか?」
「そんな迷惑なんて! 大丈夫です」
何を期待以上な事を期待しているんだ俺は。そもそも彼女より長く勤めている俺の方が配慮して訊ねるべきだろ。
いちいち動揺する自分に冷静になるよう言い聞かせ、スマホを取り出す。そして俺はついに工業生となって初、女子の連絡先を手にしたのだ。
「ありがとうございます。じゃあ私はこっちなので」
「あ、はい。お疲れ様でした」
「お疲れさまでした。これからよろしくお願いしますね!」
澄んだ声で明るく彼女は言う。俺が軽く会釈をするともう一度にかっと笑みを浮かべ踵を返した。
俺も倣って帰路に就く。
いつもと変わらないバイト終わりの帰り道。普段なら真っ先に家に向かうが、今日はやけに景色に目がいく。特に、瞬く星々が散りばめられた夜空に。
回り道して帰ろうか、なんてらしくもない事を思う。気分屋もいいところだ。
けど安易に無駄とは言えない。浮ついた心を落ち着かせるのも、仄かに火照った体を冷ますのにも、まだ肌寒さが残る五月の夜は適している。
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