第23話


【強制サバイバル生活:135日目】


 …………一晩寝て、よく考えたんだけど。

 1日にコピーできる札の量が決まっているなら、二千枚以上あればもう充分だよね。

 うん。だよね。

 何度考えてもその結論にしかならなかった。

 ………………。

 …………。

≪………………≫

 …………なんか、ね。

 昨日黙っててほしいと言ったせいか、ペルカも無言で見守ってくれてるのがまた胸に痛い。

 いっそのこと責めてほしいぐらいだ。

 ううう。

 間違った方向に全力疾走して、それにペルカを巻き込んじゃったとか、罪悪感がすごい。

 ぐああああああ。

 あれだけ!! 時間を使って頑張ったのに!!

 いや無駄じゃない、無駄じゃないんだ。

 そう自分を慰める声も自分の中から聞こえるけど、どうしても悔しさが拭いきれない。

 だってここ最近、ろくにペルカに指示を出してあげなかった。

 昨日と同じ感じでよろしくーって投げっぱなしにしてた。

 ペルカだって思うところはあっただろうに。

 なのに。信頼されていたはずの私が、現実のことをうっちゃって、そこまで急に必要じゃなかったものを大量生産してたとか……。致命的ではないものの大きすぎるミスだ。

 ペルカのほうは説明を聞いてすぐ私の作戦の欠陥に気づいたっていうのに。

 そうなんだよ。

 ちゃんと話せばよかったんだ。

 最初からこうしたいって相談して、ペルカの意見も聞いておけば、9900枚なんて無理だってあっさり言ってもらえたはずなのに。

 はああああぁぁ…………。

 溜め息しか出ない。

 体を使うペルカの代わりに頭を使うって決意しておきながら、このザマだ。

 元々リーダーシップなんかなかったけど、私が望んで生まれたペルカはまだ人生経験がないし、そのわりに環境がいきなりヘルモードだしで、ここは私が指示を出して引っ張っていくしかない! って、張り切って頑張ってきたけど…………。

 所詮は単なる一企業のOLでしかなかったということだろう。馬脚を現してしまった感が半端ない。

 昨日、思いっきり指摘されちゃったし。今更誤魔化すこともできない。

 頭を使って貢献するとか言いながら、ペルカの信頼も裏切っちゃったよね、これ…………。

≪……ポッカ≫

 ああうん、ペルカ。

 ごめんね。間違えちゃって。

 相談するっていう最低限のこともできないような奴がパートナーとか、どれだけふざけてるのって話だよね。

≪……何故卑屈になっているのかわからないが、札作りはもういいのか?≫

 うん。

 いや続けるよ。続けるし、空いている時間で少しずつ作っていくけど、ここ最近みたく頭を煮えたぎらせながらの脳死錬金はもういいかなって。

 これだけの馬鹿をさらしたのは単純作業の連続すぎて、頭が鈍ってたせいもあると思うし。

≪そうか。よかった≫

 ん?

≪ここ最近、ポッカは日々苦痛を感じているようだったからな。それがなくなったというのは喜ぶべきことだろう≫

 ………………。

 …………。

 ……え。本気?

 本気だよね。ペルカはそういう嘘とかおべんちゃらとか、まだそういうのが言えるほど自意識が発達してないっぽいし。

 馬鹿やった私に呆れるどころか心配してくれていて、デスマーチが必要なくなってよかったねと単純に喜んでくれるなんて…………。

 えっ。天使かな?

 ああいや、天使だなんて神の御使いと同列に並べるのは失礼か。

 女神にしよう女神に。邪神より上の女神だ。邪神はくたばれ。並行宇宙から消滅しろ。お前がした唯一の善行なんて、ペルカをこの世に生み出したぐらいだろう。

 んんんんん。抱きしめたい。頭を撫でくりまわしたい。無理なのが悔しい。

 カワイイ…………カワイイ…………。

≪ポッカ?≫

≪気にしないで。ちょっと尊さに灰になりかけただけだから≫

 弱った心にダイレクトアタックされたのがまた効いたね。

 子供の素直な心で全肯定されるって、疲れた大人ほど特攻じゃないかな。

 やばい。ちょっと泣きそう。

≪――やはり疲れているようだな≫

 ううう。察せられてる。

 でも女神なペルカはそれで呆れたり見捨てたりするでもなく、私のためを思って提案をしてくれる。

≪今日は休日にしたらどうだ? 思えばこれまで休みがなかっただろう≫

 …………え。休み?

≪負担は少しずつ蓄積していくものだ。頭を使うのも体を使うのも、疲れるという点では同じなはずだ≫

 あー…………。

 考えもしなかったけど、言われてみると、確かに。

 ここ毎日……というか、この環境に叩き込まれてからはずっと、休む暇なくあれやこれやと働き続けていた。

 私だって体がどうにもならない分、サバイバルの知識を頭の中から引っ張り出したり提案したり、鑑定したり錬金したり、やれることは全部やってきた。

 そうしないと死ぬと思ったから。

 衣食住が揃っても、行動範囲が広がっても、ペルカが少しずつ他の生き物の力を借りて強くなっても、全然安心できなかった。

 だって、邪神がいると知っているから。

 私の人生を簡単に弄んで、こんなところに落としてきた邪神がいつまた手を伸ばしてくるかを考えると、不安で不安でたまらなかった。

 なので、逃げるみたいに目の前の理不尽に立ち向かうのに必死になっていたけど…………。

 ペルカの言う通り、追い立てられるように全力疾走する日々を送っているうちに、知らない間に負担が溜まっていたのだろう。

 休むという選択肢があると意識しただけで、ずっしりと体が重くなる。

 ああ、私、本当に疲れていたんだ。

 そう理解してしまえば、これ以上走り続けることはできそうになかった。

≪…………そうだね≫

 少しの沈黙の後、ぽつんと伝える。

≪わかった。今日は休もうか≫

≪ああ≫

 ペルカも賛同してくれる。

 そうして私とペルカは134日ぶりの休みをとることになったのだった。




 休むと言っても何をしたらいいのか。

 決めたら決めたで、そんな疑問が浮かんでくる。

 なにせここにはスマホも雑誌もゲームもない。大自然のど真ん中なので当然だ。

 ぱっと浮かぶものがなかったので、とりあえずどこでもできそうな……日向ぼっこでもしようかと、ペルカに言って見晴らしのいいところに移動してもらう。

 そこは湖を西側にした、森と湖岸の境目の場所だった。

 ここから見える夕日が特に絶景なのだそうだ。

 そうなんだ、と受け答えして、ペルカに張ってもらったハンモックに寝転がる。うーん固い。

 なのに腹這いでずりずりと移動してみるとぐらぐら揺れる。うーん危ない。

 ここでは運動もできないと、仰向けになったままぼーっとする。

「………………うー」

 暇なので声も出してみる。

「あー。あぁー。あーー」

 赤ん坊の時に発生練習してたら活舌よくなるかなと思いながら、適当に高低の音を出していく。

 いくらペルカには念じるだけで伝わるとはいえ、ずっと喋らないのもよくないだろうしね。これから練習していかないと。

「あーぃー。うーぅぇーぉー。あぉー」

 あいうえおもろくに喋れないことにもどかしさを感じながら、何度か繰り返しているとすぐ疲れる。頬の筋肉もないらしい。

 うー!

 赤ん坊ってホント弱々しいな!

 ふてくされて転がって、またぼーっとする。

 暇だなあ。

 何をしようか。

 そんなことが頭によぎるが、これがいけないのかもしれない。

 休むための休日なのに、すぐ何かをしたくなってしまう。時間を無駄にしているような罪悪感が胸をちくちく刺激する。

 ワーカーホリックだってペルカのことを笑えないな。

 はあ、と溜め息をつきながら、ころころと寝返りをうつ。ぐらんぐらんとハンモックが揺れる。

 あ。これって三半規管が鍛えられるんじゃ…………。

 って、だから違う。鍛えるんじゃない、休むんだって。

 うあー。私の頭がー。勝手にー! あーー!

 ころんころん。ぐらんぐらん。

 …………あ。回りすぎて気持ち悪くなってきた。

 ぱたっとうつ伏せで倒れる。

 少し青ざめた顔に日差しがかかる。

 あー。あったかい。

 そういえば、日向ぼっこの予定だったんだっけ。

 久しぶりに洞窟以外で体ごと表に出ておきながら忘れていた。

 ……日向ぼっこなんて、あの時、誘拐される前にベビーカーでした時以来だなあ……。

 腕にも体にも血が巡り、じんわりと温かくなっていく。

「………………」

 深く息を吸って、吐く。

 とくんとくん、と自分の鼓動の音が聞こえる。

 生きてる。

 こんな大自然の中で、赤ん坊で、とっくに死んでいてもおかしくないのに。っていうかそれが当たり前なのに。ちゃんと生きてる。

 前世で爆発に巻き込まれて粉々になったはずなのに、こうして第二の人生を生きている。

 不思議だな、と思う。

 どういう確率なんだろう。

 どうして私たちが選ばれたんだろう。

 第二の人生なんて、そんなもの。どれだけの人が願って、手に入れられずに死んでいくと思っているのか。

 それとも実は私が知らないだけで、誰にでも第二の人生が用意されていたりするのだろうか。いや、ないな。

 この状況が奇跡と言うに等しいことはわかっていた。

 関わっているのが例の邪神というだけで感謝の心は溶けて消えるけども。

「………………」

 目を閉じる。

 さわさわと風が梢を通り抜けていく音がする。

 チチチ、とどこか遠くで鳥の声。

 どこにいる、と目を開けたところで眩しいほどの光が目を差した。

 うわっ……!

 木漏れ日を直接見ちゃった!

 ぎゅっと目をつぶり、何度かぱちぱちと瞬きをして、ようやくぼんやりと目の前のハンモックの素材が見えてきた。太いつるが幾重にも組み合わさっている。錬金でなければ到底できない職人技だ。

 そこからゆっくりと仰向けになる。

 改めて周囲に視線を移して、自分を取り巻いている景色に息を呑む。

 思えばこれまでほとんど内面世界にいて、表に出る時も安全な洞窟の中ばかりで、こうしてペルカの視界を通さずに直接外をを見るのは初めてだった。

 透明な膜一枚を通した程度の違いしかないはずなのに、自分の目で見る世界はやけに鮮やかに見えた。

 人の手が入らず苔むした太い木々。

 私の掌より遥かに大きな緑色の木の葉の数々。

 重なった葉の先から雫が垂れ落ちているのは昨夜の雨の名残りだろうか。

 その光景は静かなくせに、圧倒的な重厚感を持って胸に迫ってくる。

 反対側を見れば吸い込まれそうに澄んだ湖の青が、目を細めなければ追えないほど遠くまで続いている。

 まるで絵画の一枚のような光景に、危険だとわかっているのに飛び込みたい衝動に駆られた。

 綺麗だった。

 そのすべてが輝いて見えた。

 世界はこんなにも美しかったのか。

「…………………………」

 感嘆のあまり、ほうっと息を吐く。

 ああ。私はこれまでこの世界をまともに見ていなかったのか。

 勿体ないことをした。

 この光景はいつでもここにあったのに。


 その日、夕方が終わるまでその景色を眺めていた。

 湖にオレンジの光球の縁がかかり、ゆっくりと沈んでいく様は、ペルカの言う通り絶景だった。

 何時間でも飽きずに見ていられた。

 日が沈みきり夜は危ないと声をかけられても、しばらく痺れて動けなかったぐらいに。




≪ねえペルカ≫

 静まり返った夜の最中。いつもの小部屋で、念話でペルカに声をかける。

≪どうした≫

≪…………世界ってさ、綺麗なんだね≫

 伝えてから、なんか恥ずかしいこと言った、と気づく。

 でもペルカは言葉通りに受け取ったようだ。ちゃかすでもなく真面目に、そうだな、と賛同する。

≪素材を収集している時もたまにそれは感じる。ふとした時に目を奪われそうになるな≫

≪そっか……≫

 それはやはり、自分の目で見るからこそ感じるものだ。

 自分の足で歩いて、自分の手で触れて。だからこそ胸をうつのだろう。

 ――私もそれを感じたい。

≪あのねペルカ≫

 独り言のように、返事も聞かずに語り出す。

 前世、地球での自分は勉強ばかりしていたこと。

 部活もせず、ひたすら塾に通い、連休も親に言われて家に閉じこもり、知識だけをひたすらに詰め込んでいたこと。

 その甲斐あって偏差値の高い大学の評価の高い学部に入ることができ、一流企業に入社できた。でも――――

≪それから数年で死んじゃったんだよね…………≫

≪………………≫

 ペルカは黙って聞いていてくれた。

 いい会社に入るだけで終わってしまった私の人生はなんだったのかと思うことはある。

 でも今更だ。

 地球での人生はもう幕を閉じた。そこは取り返しがつかない。

 だからこそ、今度の人生は悔いが残らないよう過ごしたい。

 やりたいことをやりたい。

 具体的には――世界を見て回りたい。

 今日見たような綺麗な景色をもっと見たい。

 たくさんの人と話して色んな刺激を受け取りたい。

 紙の上の知識だけでは知ることができなかったことを全身で味わいたい。

≪私、この世界を冒険したい≫

 よくあるファンタジーの冒険者のように戦闘なんかしなくていい。

 ただ、世界を歩きたい。

 大昔に地球を開拓していった人たちみたいに、前人未踏の地にでも恐れずに踏み込んで、そこにあるものを自分の目で見ていきたい。

≪そうか≫

 わー。素っ気ない。

 でもこの濃厚な135日で、ペルカのことはだいたいわかってきた。

 ペルカの言葉には裏も何もないから、これはただ単なる相槌以外の意味はないだろう。

 私の言葉を聞いて、なるほどって意味で、そうかって。ただそれだけ。

 その証拠に――――

≪ペルカも私の冒険につき合ってくれる?≫

 聞いてみると、ほら。即答してくれる。

≪ポッカがそれを望むなら≫

≪ありがとう≫

 ペルカはいつでも優しかった。

 どんな苦労でも厭わずしてくれた。

 今日だって、内面世界でなんでも好きにしていいって許可を出したら、料理とかを勝手に食べるかなーと思ったもののそんなことせずに、ひたすらストイックに体を鍛えていた。これには私も仰天した。

 それでいいの?

 もっとやりたいこととかないの?

 望むなら表に出るのを交代してもいいよ?

 そう聞いてみるも断られた。内面世界のほうが鍛えるのに向いた環境なのだと。

 それでわかった。

 ペルカは他にやりたいことがないんだ。

 というよりも、知らないんだ。

 知識としてはおそらく色々持っているのだろうけど、実際に遊んだり試したりした経験がないから、何が楽しいのかすらわからない。下手をすれば楽しいって感情すら知らない恐れがある。

 それはあまりにも寂しい。

 これだけ頑張ってくれているペルカが鍛錬以外にやりたいことがなく、機械的に動くことしか知らないなんて、勿体ないにもほどがある。

 勉強と会社で働くことしかしなかった私の前世を重ねてしまう。

 これまで二人三脚でやってきて、とっくの昔にペルカのことはただの戦闘用の人格だなんて思えなくなっている。

 産んだことはないけど自分の娘のように思っている。

 そんな彼女が鍛錬だけで人生を終えるのは寂しすぎる。

 もっとその鍛錬が報われるような環境に連れてってあげたり、強敵を用意したり…………はできるかどうかわからないけど、とにかく、たくさんのことに挑戦させてあげたい。

 この広すぎるけど誰もいない世界じゃなくて、狭くてもたくさんの人たちが無数の想いを持って生きる世界を見せてあげたい。

 そこで合わなくて、この大自然に戻ってきたいって言うのならそれはそれでいい。彼女が決めたならいいんだ。けど、とにかく最初からペルカの生きる道を限定したくはない。

 だって、世界はもっとずっと広いはずだから。

≪ペルカと私。交代交代で表に出ながら、一緒に世界を巡ろうよ≫

 そして知ろう。

 この世界にどれだけたくさんの可能性が広がっているか。

≪ポッカがそれを望むなら≫

≪――うん≫

 今はそれでいい。

 少しずつ知っていけばいい。

 地球との違いに驚いたり、指差して笑ったりするのもいいかもしれない。

 ペルカとのふたり旅ならなんだって、きっと楽しいことだろう。

 今はまだ、どことも知れない山の中で足掻いているけれど。

 いつかきっと。


 ――だから今日は、ただそれだけの。

 ふたりで旅をすることを決めた。そんな区切りと約束の日だ。

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