生後6日からのサバイバル

第3話

 なにせ私は生まれたての赤ん坊なので、特に何ができるわけでもない。柔らかいベビーベッドの中で食っちゃ寝だけしかしないのが正しい赤ん坊ってものだろう。転生者だからといってこの時点で異才を発揮できたりはしない。……いやまあ、選んだ能力によってはそういうこともあるかもだけど。

 私はと言えば、せいぜい私の中にあるという内面世界で、第二人格が体力作りを開始したぐらいだ。

 そういえばこの第二人格の名前も決めないとな。いつまでも第二人格と呼ぶのも変だし。

「ポッカ……。ミルカ……。ふふ、どれにしようかしら」

 母親らしき相手が名前らしきものを呟いている。私につけるための名前を考えているのだろう。

 今のところ変な響きはないし、わりと可愛らしそうな名前になりそうで一安心だ。

 私の名前が決定するまでに第二の名前も決めてあげないとな。

 目が開かなくて退屈で仕方ないから、それぐらいしか考えることないし。

 ……それにしても、ベビーベッドの存在から考えて、それなりの文明がある場所に生まれることができたようだ。

 発音が変だったり意味不明の単語もあったりするけど、喋っているのを聞く限り、ちゃんと日本語だったのも安心要素だ。

 あの邪神が転生直前に不吉なことを言ってきたわりには、まっとうな家庭で育つことができそうだ。

 やれやれ。どうやらあれは脅しだったらしい。

 原始時代になんて生まれなくて本当に良かったよ。

 どうやら無口らしい第二人格と少しずつ話をしながら、私はのんびりぬくぬくと転生生活を満喫していた。




 生まれてから、おそらく六日目。寝て起きての繰り返しだから時間があやふやなので、多分だけど。

 今日も私はベビーベッドの中でまどろんでいた。

 たまに腕や足を動かして運動してみたりするけど、半分以上はまあ寝てるよね。他にすることもないし。

 むしろ赤ん坊なことを考えると、お腹が空くか下の世話が必要になったらおぎゃあと泣いて、母親を呼ぶのが仕事と言ってもいい。

 それでも無駄にぎゃあぎゃあ泣きはしないということで、とても手のかからない子だと母親からはお褒めの言葉をいただいていた。

 で、今日は母親から直接お乳を貰ってお腹も満腹になったところで、ベビーベッドから持ち上げられて、ちょいと外へと連れ出された。移動距離からしてまあ庭だろう。

 そこで椅子っぽいというか、おそらくベビーカーだろうものに座らせられて、でも特に移動するでもなく、のへーっとしていた。母親はといえば、少し離れているらしい。聞こえてくるハサミっぽい音からすると、庭の手入れをしているんじゃなかろうか。

 赤ん坊を産んだばかりなのに色々とやらなきゃいけない仕事がたくさんあって大変ですね。

 でも私が手伝うとか不可能なので、赤ん坊の私はおとなしく日光浴をしておきます。

 あー。お日様ぽかぽか。

 もう少しで目が開きそうだけど、開かなくてもわかる。今日はきっといい天気だ。

 …………眠くなってきたなあ。

 なんて、平和を満喫していたのだが、それが破れたのは次の瞬間だった。

 どこからか上がる悲鳴。

 ……おや? と眠りかけていた意識が戻ってくる。ついでに目も開けようと努力してみる。

 うむむ。もうちょいだと思うんだけど。

 私がそんなことをしている間に悲鳴はあちこちから上がる。けどまだ遠いような……。いや、なんかすごい早さでこちらに近づいてくる……?

 バカラッバカラッと叩きつけるような、これは……蹄の音、か? となると馬、なのか、これは? 野良馬?? え???

 なんだろう。この世界って馬が身近で走っている世界なのか?

 ひたすらハテナを飛ばしていた私は、台風のような災害が私めがけてやってくることにまだ気づいていなかった。

「ああ、ああ! ワタシの子!」

 そんな母親ではない声が近くでしたかと思うと、ひょいと持ち上げられる。

 ――え。

 なんか腕がすごいゴツいんですけど?

 ここ数日ですっかり抱かれるのに慣れたから、そういうのは詳しくなったのでわかるのだ。

 これは、父親らしき人物の腕よりも遥かに太い。

 え。誰これ。

「ワタシの子! 今度こそ、今度こそ!」

 感極まったように叫ばれながら運ばれようとする。足元から蹄の音もする。

 なんだろう。この人、馬にでも乗ってるんだろうか。

 というかどこ行くの。ねえ。

 抗議を込めてふぎゃあと泣いてみたが、よしよしとあやされるだけでベビーカーには戻してもらえない。それどころか揺れ方からして乗っている馬を走らせだしたようだ。

 待って。ちょ、待って。

 背後で母親らしき人の絶叫が聞こえる。

 何かを繰り返し叫んでいる。

 でもすぐに遠くなる。蹄の音が強い。全身に当たる風も強い。どんどん強くなる。すごい速さだ。

 ええええええ。

 なにこれなにこれ。誘拐? え? 嘘でしょ?

 どうなってるの。私を抱いてるのは誰なの? 私をどうするつもりなの?

 というか、向かい風で息が苦しいんですけど!

 なんだこれーー!!

 急展開すぎぃ!

 馬が速い速い速い。ちょっと手加減して!!

 ええーーーーーー?!

 おかーーーさーーーーーーん!! 助けてーーーーーー!!!

 ………………。

 …………。

 ――そんなこんなでひたすら走って連れていかれて、途中で私は気を失っていて、どれだけ走ったのかさっぱりわからないのだが、気がつけば周囲から濃い緑の匂いと、眩しいほどの木漏れ日の中にいた。

 しばしばする目が痛くてたまらなかったが、何度も涙があふれる目を瞬かせながら、どうにか周囲の状況を把握しようとする。

 私、どうなったの?

 さっきの馬は? 周りはどうなってるの?

 太陽の光が眩しくて何度も泣きながら、それでも何が起こっているのかを確かめるために、必死で目を開けていく。

 その必死さが実ったのか、ようやく目の前にいるものの形が見えてくる。

 馬、だ。

 私の知る馬らしき形が目の前にある。ぼやぼやで細かい部分がまるで見えないが、がっしりした首と鬣があるので間違いないだろう。正面からこちらを見下ろしているようだ。

「痛かったり苦しかったりするところはない? ワタシの子」

 …………正面から声が聞こえる。

 馬に乗っている人がいるのだと思うが、よくわからない。なにしろ首もまだすわっていない赤ん坊なもので。

 ただ、見えている限りでは…………馬の背中に誰も乗っていないように見えるんだけど…………。

 え。なに。ホラー?

 いやいや。こんなアグレッシブに私を誘拐してこんなとこにまで連れてくる幽霊がいるわけない。

 だってここ、森か山とかそういうとこでしょ。しかもかなり奥深い。

 聞こえてくる鳥の声にまったく聞き覚えがないことが不安を掻き立てる。

 少なくとも私が生まれた家の周りは住宅街だったはずだ。情報収集のために耳をすませていると近所のおばさんが複数人訪ねてきたし、車が近くを走り抜ける音もしていたから間違いない。買い物だって出かけて帰ってくるのが早かった。

 街の近くに今居る森だか山がある可能性もゼロじゃないけど、だとしても、どうやって私がここにいることを知らせればいいんだろうか。

 困惑している私にさらに声がかかる。

「ずっと会いたかった」

 とか、

「探していた。何度も間違えたけど、会えてよかった」

 とか。そんな戯言を。女性っぽい声で。

 えええ…………。

 少なくとも、私の母親は前世を除くと、私を産んでくれたあの人しかいないと思うんだけど。私を抱いた時の感覚からして、あなたとはまるで違いますよ?

 今回も間違えてますよと言いたいが、「あぅ……」という弱々しい声しか出ない。

 それを何を勘違いしたのか、誘拐犯は私の顔を覗き込んだようだった。馬の顔がずいっと迫る。

「お腹が空いたの?」

 違います。

「飲みなさい。さあ。ほら早く」

 だが誘拐犯はまるでこちらの反応を見ようともせず、ぐいぐいと私の顔を馬の下腹の、乳があるらしき場所に押しつけ……て…………。

 …………えっ。

 う、馬の?

「どうしたの。母の乳を飲みなさい」

 母の乳って。

 いやいやいや。えっ。

 冗談とかじゃなくて?

 信じられない単語が聞こえてきたが、冗談の気配が欠片もないことにさらに衝撃を受ける。

 これって…………。

 ぼんやりとだが見えていたはずなのに、信じられなくて理解を拒んでいた光景が改めて頭の中に蘇ってくる。

 誰も乗っているのが見えない馬の姿。

 いきなり私を攫い、自分の子とか言ってくる頓珍漢な行動。

 さらには馬の下腹に押しつけながら、母の乳を飲めという発言。

 もしかして…………。

 さっきから「ワタシの子」とか言ってきているのは、私を誘拐したのは…………この馬、なのか?

 それってもはや馬とかじゃなくて、馬によく似た別の生き物だよね? 魔獣とかそういうやつ?

 そんな馬鹿なという思考がよぎるが、異世界なんだし有り得ないこともないと思い直す。

 でもその場合、これがどういう生き物で、どういう対応をすればいいのかまるでわからないんだけど。

 ぐいぐいと乳らしきものがある場所に押しつけられている状況は全く変化がない。

 これをどうすれば…………。

 困惑していると、ふわりとミルクの匂いが鼻をくすぐり、本能が体をピンと張った乳首へと唇を寄せさせた。赤ん坊の体が食欲を覚えている。気絶する前に母親からお腹いっぱい飲んだはずなのに。

 もしかして長いこと気絶していたのだろうか。

 となると、ここできちんと乳を飲んでおかなければまずいのでは?

 そんな思考も後押しして、気づけばぱくりとその馬……では決してない生き物の乳首へと食らいついていた。んっくんっくと吸うと口の中にミルクが広がったので、必死でそれを飲んでいく。

 飲めるかどうかなんて考えもしなかった。人間にとって害がないかどうかも。

 ただ体が欲して、ひたすら飲んでいくと、実際に染み込むように体の隅々まで巡っていく。

 全身に生きるための力が行き渡っていくようだった。

「…………ぷはっ」

 存分に飲んで、飲んで、お腹いっぱいになって唇を離して、――そしたらぼとっと地面に落とされた。

「ぶぎゃっ」

 着ている産着と茂った草が受け止めてくれたようだったが、それでもかなりの衝撃だった。

 赤ん坊を落とすって、何事?!

 こんな弱っちい体だと落とされただけで死ぬこともあるんだからね!

 内心で文句を言っていると、私に影を落としていた馬……ではない生き物が私の上からどいた。どうやら後ずさったらしい。

「飲み方が……違う…………?」

 何か衝撃を受けているようだ。

 さっきの私のお乳の飲み方がどうやら記憶にあるものと違ったらしい。

 いやそりゃあ、私はおそらく人間だからね。手とか足の指とか見ていると。決して目の前にいる馬みたいな生き物の形はしていない。なので飲み方が違うと言われても、正直当たり前だとしか。

 むしろやっと自分の子じゃないことに気づいたの? と呆れていると、馬? はさらによろよろと後退し、なんだか悲しそうな嘶きをあげて――。

「また違った! ああワタシの子、ワタシの子! どこにいるの!?」

 そしてそのまま、くるりと巨体を翻して駆け去っていく。

 ――――え。

 ええーーーーっ??!

 ちょっ、どこ行くの!? 私は? 私はどうなるの???

「おぎゃーーーーっ!!」

 全力で叫んでみるも戻ってくる気配はない。それどころか、馬? はなんと空へと踏み出し、空中を走っていく。

 はああああああああ???!!

 空飛べるの? そういう生き物なの?

 いやそれどころじゃないから! 観察は後!!

「ふぎゃあ! んぎゃーーーっ!!!」

 全力で喚きたてるも、馬? は戻ってくる気配がない。さらに小さくなっていく。ものすごいスピードだ。

 待って! 帰ってきて!

 いやどこへ行こうと勝手にすればいいけど、私を家に帰してからにして!!

「んぎゃあ! ぅぎゃーーーっ!!!」

 ふざけんなーーーーー!!!

 帰せ、私を! 元の場所へ!!

 こんなとこでどうすりゃいいのさ!

 ここはどこ? 人は来るの? なんかものすっごいスピードで消えていったけど、もしかしてここまであれと同じ速さで駆けてきたとか? その場合、家からどれだけ遠く離れているか想像もつかないんだけど???

 え?

 どうすんの、これ?

 持ち物、ないよ?

 いや強いて言えば産着も持ち物になるのかもしれないけど、それだけだよ?

 食料や水もない。というか、私、生後六日の赤ん坊なんだけど…………。

 …………………………え?




 異世界転生、六日目。

 ぬくぬくとした赤ん坊生活から、急転直下。私は場所すらわからない自然のど真ん中で、サバイバルをしなければならない立場へと追いやられた。

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