第32話

 ゲートを目指す道中、多く人間が倒れていた。気絶していた。普通なら救急車を呼び人命救助をするべきなのだろうがそうしなかった。彼らが気絶している原因を知っているからだ。これは神ノ原の仕業だ。こいつらは組織の人間だ。邪魔だから気絶させたのだろう。僕は彼らに目を向けることも足を止めることもなく前に進む。だが次の瞬間、僕の足は止まった。気絶している者を見るうちに良心が痛み助けようとしたわけではない。そもそも僕に良心なんてものはない。人影を見たのだ。向こう側からつまりはゲートの方からこちらに向かって歩いてくる人影を。誰だ?神ノ原か?いや背格好からしてそれは違う。あいつはもっと背が高いはずだ。まだ遠くて顔は見えない。僕は一度止めた足を少し速めて動かせる。神ノ原でないとしたらあいつから逃れた組織の生き残りか?いやあいつから逃れられるわけないか。ならば誰だ?色々と思案しつつ歩調を速める。いや思案していない。するまでもない。もう僕にはあの人影が誰だか分かっているのだから。


 そしてようやく人影の顔を視認できる距離まで来た。


 ああ。お前か。とわざとらしくそう思った。意味のないことだがあえて意味を見出すのであればあの頃に戻りたかったのだ。化学室でくだらないことを語り合い、馬鹿みたいに冗談ばかり言っていた。あの頃に。


「こんにちは。嘘つきで面倒くさいけどちょっとはかっこいい鳴宮先輩」


「よう。僕より嘘つきで僕より面倒くさいけどちょっとはかわいげのある雨嶋後輩」


 人影の正体は雨嶋だ。


 この物語を真面目に見てくれた人は疑問に思っただろう。死んだはずの雨嶋がなぜ生きていたのか?答えはこいつの能力だ。雨嶋は死ぬ間際僕の恋が成功することを願った。だが僕は全てを忘れた。雨嶋が死んだことも佳華のことも。それから十四年後、夢を見た。佳華を思い出す兆しともいえる夢だ。それは僕の恋が進展する出来事とも言っていい。その時彼女の願いを叶えるという力が死んでなお発動した。彼女は自分の能力は神様に匹敵すると言っていた。神様は規格外だ。それに匹敵するのなら死後能力が発動しても不思議ではないだろう。だから彼女は生きている。いや生き返った。僕の恋をサポートするために。

ストーカーの件は恐らく彼女の自作自演だ。自作自演とは言ってもつけられていたのは確かなことだがつけていたのはストーカーではなく組織の人間だろう。そりゃあ死んだ裏切り者がいきなり生き返ったのだから調査するのは道理だろう。組織の人間ならあの尾行スキルを有していても不思議ではない。そして雨嶋はそれに気づいていた。気づいていたうえで僕に助けてくれと泣きついた。僕との関係を結び昔の記憶を思い出させるために。違うか?


「一つだけ訂正します。私、先輩なんかに泣きついたりしません。勘違いしないでください」


「はいはい」


 いつもの雨嶋だ。あの一言多い後輩だ。


「お前が働いていることもあの立派なマンションに住んでいることも能力のおかげなんだろう?」


「いえ。能力に頼らなくてもあれぐらいの生活はできます」


「くだらない噓をつくな。もっとましな嘘をつけ」


「くだらない噓って何ですか。嘘じゃありません」


 雨嶋は苛立った声音でそう言う。それがかわいらしく見えるのは若いうちまでだ。今のお前はアラサーなんだぞ。


「はい?」


 その声音には苛立ちではなく殺意が込められていた。おっとこれは失言。


「先輩、私には心の中を隠さないんですね」


「当然だ。かわいい後輩に隠し事なんてしない。僕がお前に噓をついたことがあるか?」


 ん?待てよ。その口ぶりから察するに僕が心の中を隠せることを知っているのか。なぜだ?


「先輩の動向は一通り監視していたのでその程度のことは知っています」


「それは怖いな」


 嘘ではなくそう思った。


「それと先輩は嘘つきまくりでしたよ。この前もそうだったし」


 この前?ああ。ストーカーの件か。


「あの時も心を読めるんだからああすることは分かっていただろう?」


「いえ。急に生き返った影響であの時はまだ心を読むことはできませんでした。だから驚きましたよ。あんな方法を使うなんて」


「そうだったのか」


 初耳を装って相槌を打ったがそこら辺のことには察しが付いていた。一応探偵だからな。それぐらい予想できる。だから今の会話に意味なんてない。ただお前と少しでも長く話していたかっただけだ。


「なあ雨嶋。お前はいついなくなる?」


 唐突にそう訊いた。こいつに隠し事なんて通用しない。というか隠す気がない。だからもったいぶらずに訊くことにした。


 雨嶋は悲しそうにくすっと笑い


「分かっているんですね」


と言った。


 ああ。分かっているさ。いくら神に等しい力とはいえ生死の因果を変えてはならない。そんな力が人間にあっていいわけがない。


「私は先輩の応援隊として一時的に生き返りました。つまりは先輩の恋が叶えば私は消えます。叶わなければ一生消えません」


 ……。


「あと私が先輩に告白とかしたら消えますね。先輩の恋を成功させるために生き返ったんですからそれを邪魔したら消えます」


 ……。


「あーもう駄目ですね。私。何でこんなこと言ってしまうんでしょうね。こんないらないこと、先輩を困らせること」


 雨嶋はひどく落ち込んだ声で言った。


「後輩が先輩を困らせることなんてよくある話だ。気にするな」


 できるだけ落ち着いた声音で言ったつもりだが実際は落ち着いていなかったかもしれない。少なくとも僕の心の中は落ち着いていない。本当に困ったことを言ってくれる。要するに佳華か雨嶋どっちかを選べと言われているのだ。だがこんなところで迷うようではかっこいい先輩は語れない。


「何でそんなに優しいんですか」


 声を荒げて雨嶋は言う。


「僕が大嘘つきだからだ。噓は真実を告げるより優しいものだ。だから僕の言うことが優しく聞こえてもしかたがない」


「意味わからないです。わからないですけど……優しくされると決断が鈍るじゃないですか。もうやめてくださいよ」


 さっきは荒げていた声が今では弱々しくなっている。瞳を見ると彼女は涙をこらえていた。お前は駄目なんかじゃない。本当に駄目なのは僕の方だ。だから


「分かった。じゃあな」


と言って足を進めた。


 これが正解だ。正解なんてないだろうが不正解ではないだろう。雨嶋は死人だ。これ以上こっちにいてはならない。こいつにもその覚悟はできている。僕にできることはそれを汲んでやることぐらいのものだろう。


「先輩は最後までかっこよくあろうとしてくれた。なら私も――」


 後ろで何かぶつぶつ言っているがそれを聞き取ることはできなかった。噓だ。聞こえている。僕は予想の斜め下をいく主人公だ。難聴ではない。


「先輩」


 いつもの元気で明るい声が聞こえる。


「何だ?」


 そう言って振ると雨嶋はうつむいていた。


「私は駄目な女です。先輩の恋を成功させようとしているはずなのに自分のことばかりで……いらないことばかり言ってしまって、今もあの時も……でも先輩は私に左右されることはなくぶれずに佳華先輩を選びました。先輩はこの後ゲートに行ってあの人に会います。それには何の障害もないでしょう。恋のキューピットである私の活躍も終わりです。だからもうそんな役割は捨てて自分の恋を叶えます」


 そう言って雨嶋は僕の方を向き


「鳴宮先輩。私あなたのことが大好きです。私と付き合ってくれませんか?」


と言って泣きながらこちらに手を伸ばしてきた。いや笑っていた。泣きながら笑っていた。


 僕は彼女のほうに手を伸ばす。彼女の手を握るわけではない。昔のように抱きしめるわけでもない。そんなことしたらこの後輩の決意を鈍らせてしまう。だから僕は彼女の頭に手を置いた。そして撫でた。


「ありがとう。でも悪いな。他に好きな人がいるんだ」


 彼女が生暖かい光に包まれていく。


「そうですか」


 彼女は笑って言った。それに僕も笑い返す。


 どんどんと彼女の存在が薄れていく。目をそむけたくなるがそむけてはならない。


「気まずい。何か話せよ」


「はぁ?ここは先輩が気を使ってなんか言うところでしょう」


「気を遣うのは後輩の役目だろう?」


 情けない話僕にはもう気を遣う余裕なんてなかった。だから後輩に丸投げした。最低の先輩である。


「そしたら一つだけ――」


 そう言って一呼吸おいて


「大好きですよ。先輩」


と言った。


 そして跡形もなく消えた。


 僕は最後まで笑っていた。笑顔で後輩を見送った。


 そこに彼女はいなかったが


「僕もだ」


と言ってから先に進む。


 その声は僕の耳だけに響き、届けたかった相手に届くことはなくまた届ける必要もなかった。

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