#2 タイムスリーパー

連日紙面を賑わせるのは、商業家の不正取引や非道な殺人事件だけではない。地球外生命体であるEBE達の突飛で驚異的な所業は、今やどこの新聞社も注目する特ダネである。

一方で、それ以外のネタ...例えば季節のイベントやこ難しげな学会発表の成果なんかは、ささやかで端の方に追いやられがちであった。

殆どELIOの職員施設から出ることのないディグは、掃石が持ってくる新聞を読むのが楽しみの一つだった。もちろんネットでの確認も今は容易な時代だが、印刷紙の感触や匂いを感じながら読むのも、彼には楽しみだった。

今日の一面を飾るのは、どこかの大手会社が不祥事を起こしたとの内容であった。白黒の写真ではお偉いさんが頭を垂れ、謝罪している風景が映されている。

ディグはそれらを一字一句読み込んでから、次の内容に移っていく。電車の中で新聞を読むサラリーマンよりは、すべてを読み終えるには圧倒時に時間がかかるものの、内容はしっかりと頭に残った。

それを、至極退屈そうに見ている少年がいた。

正面でウルリが頬杖をつき、目玉焼きをつつきながら、座っている。二人はちょうど朝食の真っ最中だったのである。


「なぁ、それ面白いのか?」


と、ウルリが言う。読むのをやめて欲しい、と言わんばかりの視線を彼は送っている。

それに対しディグは、視線を新聞紙で遮ったまま答えた。


「毎日何が起こっているか、知っておくのは重要だと思うよ。ウルリも読んだら?」

「やだよ。オレ、字を読んでるとなんだが気持ち悪くなってくるもん」

「じゃあニュースでも見れば?」

「面白くないよ、あんなの」


ウルリは吐き捨てるように言った。

二人のいる場所は、施設の地下にあるウルリの隔離寮である。リビングルームには、中央に食卓、入口付近にキッチン、そして奥のスペースに隣部屋を結ぶドアと、テレビが一台置いてあった。そのテレビからは賑やかな、少年向けのアニメーション番組が流れている。ウルリはディグからふいと視線を逸らした後、ずっとそれを凝視していた。


「...まぁ、最近はろくなニュースがないからね」

「そうだろ?やっぱり。どっかの権力者が悪いことしただの、悪い人が人を殺しただの、楽しいニュースなんかぜんぜんやらないもんな」

「お前にしてはよく知ってるじゃないか」

「え、そ、そうか?」

「“権力者”なんて言葉、お前から聞くとは思わなかった」

「おいっ!」


ウルリがテーブルを叩いて抗議すると、ディグは「冗談だよ」と宥めた。

新聞を折り畳み、テーブルに置く。漸くディグは、ウルリの不貞腐れた顔を見た。


「そんな顔するなよ。今日は休みなんだから」

「あ、そういえばそうだっけ。なぁ!どっか遊びに行こうぜ!」

「そうだなぁ、どこがいい?」

「オレ、海がいいな~」

「海?なんでまた」

「こないだ山行ったじゃん。山行ったら次は海だろ?」

「いいけど、今めちゃくちゃ寒いんじゃないかな...。もう秋も中頃だぞ」

「寒中水泳やってるじゃないか!」

「それはもっと寒くなってからだし...そもそもお前それやりたいのか?」

「い、いや、えーと、うへへ」


なぜ提案したのか。そう言いたげな目をディグが向けると、ウルリは惚けたように笑って見せた。しらを切っているつもりなのだろうが、感情が顔に出るタイプの彼では誤魔化しになっていない。その様子に、ディグは自然と表情が緩んでいた。

その時である。

ディグの傍らに置いてあったPHSが反応し、応答してほしそうに音を鳴らした。

それを手に取って見ると、画面には見覚えのある番号が表示されていた。


「だ、誰から?」


ウルリが怪訝そうな顔をしている。

ディグは通話ボタンを押し、それを耳に近づけた。


「はい、エレメントリですが。…ええ?今からですか?」


聞くに、よい知らせではなさそうだった。不安げなウルリを余所に、ディグは応答し続ける。


「俺はいいですけど...あの...ああ、はい。...え?じゃあ...うーん、仕方ないですね」


最後に「わかりました」と告げると、ディグは通話を切る。そしてすぐに椅子から立ち上がり、目の前の食器類を片付け始めた。


「なぁ、誰からだったんだ?」


食器を下げられている最中、ウルリはもう一度聞いた。


「掃石さん。臨時で見てほしいものがあるって連絡がきた」

「え?じゃあ、休みは?」

「残念ながら、たった今なくなりました」


食器を洗いながら、ディグは嘆息した。

 

 

「いやぁ、悪いね休みの日に」


と、悪びれる様子もなくヘラヘラと笑う掃石。ディグはこういうことはよくやられていたので、何か言う気力はもうなかった。言ったところで、それを受理してもらえたことは一度もなかったからだ。


「ところでその腰巾着、なんでいるの?」


そう言って掃石がウルリを見る。ウルリはディグの背後で、明らかに不服といった様子で掃石を睨みつけていた。

その射殺すような視線にたじろぐ掃石。


「あのさぁ、悪いことは言わないから、寮に返した方がいいぜ。中枢に怒られるし、相手方はウルリのこと知ってるし...」

「はぁ?なんでだよ!いいじゃんか、お休み取られたんだからさ!そもそもなんでオレのこと知ってるんだよ。オレ自己紹介とかしたことないぞ」

「いや、取ったのはお前の休みじゃないし...上の人は情報の行き渡りが早いんだ」


掃石は困ったように頭をかいた。


「頼むよディグ。こいつに部屋でお留守番しとくように言ってくれよ...」

「ウルリ」

「えー!なんだよお前まで除け者にするのかよ!」

「俺の首がかかってるから」


そう言うと、ウルリは口を噤んだ。

もちろんそれは嘘であるが、彼はそれをあっさり信じたようだった。それに便乗した掃石が「俺も俺も、首かかってる」と声を上げるが、ディグは無視した。


「しょうがないなぁ。じゃあ待っといてやるよ!」

「...あれ?おーい、ウルリ。お前の寮は逆だぞ、どこ行くんだ」

「どこで待ったっていいだろ!」


ウルリは背中を向けたまま叫んだ。廊下を行き交う他の職員たちが、神話の海割りの如く彼に道を作る。その方向は、ディグの自室がある方向だった。


「おーい、バレたらまた中枢からお小言だぞ。お前も止めろよ、怒られるのお前だぞ?」

「過去に何回も止めましたけど、全部無駄だったので吹っ切れてます」


ディグは淡々と告げた。

 

 

掃石に連れられると、特別来客用の部屋に通された。綺麗に手入れの行き届いた観葉植物の緑が、白く清楚な四方の壁によく栄える。前方に置かれた黒革のソファの下座には、黒い スーツを着たSPに囲まれた、初老の男が座っていた。そしてその傍には...。


「お待ちしていました、エレメントリ博士...の、お孫さん」


すっと立ち上がり、脇に出てきて一礼をする男。ディグも掃石も頭を下げる。


「休暇と聞いてはおりましたが、何せ緊急なのでね。非礼とは知りつつもご連絡させていただきました」

「いえ...休暇といってもいつもここにいるんで、気にしないでください」

「申し訳ありませんね。さて...もう聞いているかと存じますが、自己紹介を。私、地球科学政府日本支部の、宇宙調査庁の長官を務めております、繰信田(くるしだ)と申します」


男は恭しく名刺を差し出した。


「長官殿でしたか。...このような格好のままですみません」

「いえいえ、そちらはいつもお忙しいと聞いておりましたから。こう会って話せること自体、僥倖でございます」

「恐れ入ります...」


ディグは名刺を受け取ると、ちらっとソファに目をやった。背もたれの縁から、僅かだが何者かの頭頂部が確認できる。それが件のものであると、彼は何となく直感した。


「こちらにいらっしゃったということは、EBE関連で何かあったということですね」

「ええ、ご明察で。実は先日、地質調査を行っていた折に、とんでもないものを発掘しましてね」


繰信田は後ろのSPに目配せをした。すると奥に立っていた方がそれに応じ、ソファに座っていたもう一人に立ち上がるよう促した。その“子供”は、びくりと身体を震わせ、強ばった動きでおずおずと前に現れた。

ディグは思わず、その姿を凝視した。隣の掃石も同様だった。


「これが、発掘されたものです」


繰信田が、その背中を優しく押した。子供はその仕草にさえ、恐れるような挙動を示した。

見た目は小学生低学年か、それくらいの幼い少年だった。しかし顔から足にかけての右半身が、鈍色に輝く機械で覆われていた。

 

「サイボーグ...ですか?」


ディグは、真っ先に思い浮かんだ言葉を口にした。それに対し、繰信田は少し困ったように答える。


「我々も、そうではないかと考えてはおります。しかし、どうもそれだけでは説明のつかない点がいくつもあるのです」


繰信田は近くにいたSPに何か耳打ちをした。すると、SPは傍に立ててあったジュラルミンケースを開いた。中から分厚い束になった用紙を取り出すと、ディグに手渡した。


「実験記録です。読んでいただければ、察していただけると思います」

「...あまり人道的ではない実験もあるようですが」

「はい。これが生物なのか、そうでないのか、確かめるために行いました。まぁ、軽く判断材料として留意していただければと思います」


繰信田はあっさりと答えた。申し訳ないという気持ちを表すことなく言い放たれた言葉に、ディグは少し不快感を覚えた。傍らにいる少年は怯え、後ずさっている。しかしSPに腕を掴まれ、無理矢理に引き出された。


「単刀直入に申し上げます。あなたの腕を見込んで、これの研究を行っていただきたいのです。そして生物学的、物理学的、化学的、全ての側面で、これが何なのか、何の目的で地中にあったのか、解明してほしい」


そう言って、繰信田は少年を引き寄せ、ディグの前に立たせる。

 

「つきましては、これをあなたにお預けします。何卒、よろしくお願いします」


少年はすっかり怯えた目で、ディグを見上げていた。最大限の警戒心と恐怖心が、その幼い顔に表れている。それを見るに、彼が今までどんな目にあってきたのか、想像に難くなかった。

ディグは肩を竦める。


「...わかりました。しっかりと管理させていただきます」

「ありがとうございます」


繰信田はにっこりと微笑んだ。その笑みはどこか無機質で、見ていて気持ちのいいものではなかった。



ディグが自室に戻ると、案の定ウルリは待っていた。来客用のソファにもたれかかっていたが、ディグともう一人が入ってくるなり、楽観的な表情が消え、彼は眉をひそめた。


「誰?そいつ」


言うと、少年はディグの後ろに隠れた。今にも逃げ出したいという気持ちが表情から伝わってくる。

ディグは少年と同じ目線までしゃがむと、そっと彼に話しかける。


「大丈夫、俺の弟だ。いいやつだよ」

「ねー誰だよ。教えてよー」

 

しゃがんでいたディグの背中に、ウルリが飛び乗った。重みで体勢が崩れ、思わず片膝をつく。


「もう、子供みたいなことするなよ...」

「オレまだ子供だぜ?20歳いってないもん。って、それ言ったらディグも子供じゃないか~」

「そうだな…っと」


離れようとしないウルリを、仕方なく背負ったまま立ち上がるディグ。そのままソファの縁に立つと、跳躍し自身の体重を乗せて、背中から倒れ込んだ。当然、ウルリはディグの下敷きになり、同時に加えられた重みで「ぐはぁ!」と叫び声をあげた。


「ごめんね。こんなやつだけど根は優しいから」


そう言って、少年に向き直るディグ。しかし惨状を目の当たりにした少年は、顔を引き攣らせて固まっていた。


「...まぁ、これからよろしくね」

 

ディグはソファの上に伸びるウルリを隠すように立って、握手を求めた。それに躊躇った様子を見せたが、少年は応じ、ぶるぶると震える左手を差し伸べた。


「そういえば、名前を言っていなかったね。俺はディグ。後ろのはウルリ。君は?」

「あっわっ...ボクの名前...?」


初めて、少年が言葉を発した。しかし戸惑っているようで、なかなか答えが帰ってこない。


「名前がわからないのか?」

「い、いえ、そういうわけではないのです」


少年はふるふると首を振った。


「聞かれたことがなかったので、答えたことがなかったのです」

「繰信田さん達とは喋らなかったのか?」

「はい...」


少年は暗い表情をみせた。

確かに、繰信田から受け取った分厚い書類には、彼の名前を記述していなかった。代わりに用いられていたのは、実験番号のような長い数列で、政府の研究者達の彼に対する見解が伺えた。


「なるほど。...ここは君がいた場所と違うから、もっと楽にしてくれていいよ。少なくとも危険な実験をしたりはしないから」

「ほ、本当ですか?」


少年は語気にわずかな明るさを混じえて言った。ディグが頷くと、彼は安心したように息を吐いた。


「よかった...次は何をされるかと、気が気でなかったったんです」

「ほっとしたところで、教えてくれる?君のことは番号じゃなく、ちゃんと名前で呼びたいからね」

「は、はい。ボクはクロナといいます。よろしくお願いします...」


少年は、深々と頭を下げた。ディグもそれに続いて、頭を下げる。


「じゃあこれから幾つか質問するけど、いい?」

「はいっ。よ、よろしくお願いします!」


逐一頭を下げるクロナ。その丁寧さと謙虚さは、ソファで伸びている誰かさんに見習わせてやりたいくらいであった。

ディグは仕事場のデスクからメモ用紙を取り、ソファの空いているところへ座るようクロナに促した。クロナは素直に従うと、ディグもその隣に座る。


「とっ...ところで、あの人、ウルリさんは、大丈夫なのですか?」


と、クロナは前方のソファに横たわるウルリを見た。油断していた矢先のダメージが深く効いたらしく、気絶しているようだった。


「大丈夫、丈夫さもあいつの取り柄だから」

「そ、そうですか...」

 


三十分間に及ぶ問答は、全て資料にはない新規記録となった。そもそも資料に書かれていたことは、主にクロナの身体能力を測るもので、性格や生い立ち、記憶を解いたものではなかった。

ディグはたどたどしく語るクロナの言葉を、一つ一つ丁寧に記録していった。メモ用紙は膨大に消費されたが、彼の持つ貴重な情報に比べれば安い代価であった。


「それじゃあ、君は、気がついた時には掘り起こされていたんだね」

「はい。それまではずっと、たぶん、寝ていました。それ以前の記憶がないので、なぜあそこにいたのかは、ボクにも分かりません...」

「十分だよ。ありがとう」


ディグがそう言うと、クロナは表情を綻ばせた。僅かではあるが、怯えた様子を見せることも少なくなったような気がする。

 

「かなり発達した技術の存在が示唆されるな。それがオーバーテクノロジーなのか、外部から何者かが持ち込んだのかはわからないけど...」

「ボクは宇宙人なのでしょうか…?」

「いや、DNA鑑定上、それはないと思うよ」

「では、人間...ということでしょうか」


クロナは、右腕を動かした。がしゃりと音を立てて持ち上がる腕は明らかに人のそれではない。

資料には、彼の生体を調査した記録が幾つもあった。それに書かれていた内容は、以下の通りである。

クロナの肉体は地上に最も繁栄するヒト科生物と同一であり、その肌や眼球、臓器など、“機械化していない部分”は全て、一般的なホモ・サピエンスであった。

しかし、機械化している右半身はそうではなかった。右の眼球は高感度カメラのような性質を持つガラスレンズらしきものに置き換わり、通常捉えられない電磁波をも捉えた。右腕と足はチタンに近い性質を持った、しかし非常に高い硬度を示す、未知の金属が代わりを担っており、それは通常通りの歩行能力を持つが、義手や義足より遥かに優れた耐久性を示した。驚くことに、これらには運動神経や血管の代わりを果たすシステムが備わっており、人間本来の神経血管に見事にリンクしていた。また、彼の身体のすべては見た目の差異に関わらず同様のシステムや性質を共有しているようで、人体には危険な毒物をも浄化できたし、高いところから落下してもほとんど無傷であった。

人間離れした数々の記録からして、繰信田達も彼のことを「これ」と呼んだのだろう。感情を有する機械...いわゆるアンドロイドは、最早SFの中での存在ではなくなっている。

しかしディグには、これらの記録をもってして彼を人間でないと決めることはできなかった。


「あの、何かわかりましたか...?」

 

不安そうに見上げるクロナ。彼自身、自分が何者なのか理解していないために、浮き足立っているようだった。

ディグはメモを束ね、膝の上に重ねる。


「...人間がまだ自分の身体のメカニズムを解明できていないように、君のことをすべて知るのだって一筋縄じゃいかない。とりあえずはここで暮らしてみて、少しずつ掘り下げていこう」

「わ、わかりました」


しゅんと、肩を落とすクロナ。しかしディグに不信感を抱いてはいないようだった。

進展はなかったものの、信頼関係は着実に構築されつつあった。それは目的でなかったにしても、大きな収穫と言えよう。医学においても、医師と患者の信頼関係は重要な位置づけにあるのだ。


「じゃあ、ちょっと内容をまとめてくるから、しばらく待っていて。その間は部屋の中を好きに見て回ってていいから」

「は、はいっ」


ディグは部屋の対岸にある仕事用デスクに向かうと、パソコンを起動し始めた。書類やら本やらが乱雑に積み上がった卓上に、腕でものを押しやって無理矢理スペースを作ると、そこにメモの束を置いた。

やがてカタカタとキーボードを叩く音が部屋中に広がる。それ以外の物音はほとんどなく、クロナも一人になった緊張感が相まって、無意識に息を止めていた。

その時、むくりとウルリが起き上がった。ディグに押し潰された腹を押さえ、気持ち悪そうに顔を歪めている。クロナはそれを見て、引きつけを起こしたように体を震わせ、硬直した。


「おえぇ...ひどいことするなぁ。あとで覚えてろよ...!」


う~っと唸りながらウルリは呟いた。

頭を掻き、もう一度腹をさする。そうしたところで、ウルリは漸く目の前のクロナに視線を向けた。

赤と金色の瞳と視線が合い、クロナは思わず「ヒッ」と声を漏らした。それを聞いてか、ウルリはパイプテーブルに膝をついて、身を乗り出してくる。クロナは身を縮こませた。

 

「なんだよ、オレなんかした?」


困ったような表情で首を傾げるウルリ。身を丸めたクロナは、怯えるあまり彼から顔を隠してしまっていた。その身体をウルリは指でつつくが、クロナはびくりと身を震わせるだけでそれ以上の反応を見せなかった。


「なーディグー!こいつこんなんなっちゃったんだけど、どうしたらいい?」

「何か怖がらせるようなことをしたんじゃないだろうな」

「してないよ!だってどうしたらいいかわからないんだもん」

「じゃあまずは、自己紹介して、スキンシップしてみて。...力ずくはやめろよ」


ディグにそう言われて、ウルリはすぐに従った。テーブルから降りると、クロナの傍にぴょんと座る。


「よっし、じゃあ改めて自己紹介しよう!ほら、顔出せ!こっち見ろ!」

「ヒィッ!や、やめてください!」


ウルリはぐいぐいとクロナの腕を引っ張った。クロナは怯えて抵抗するが、ウルリの力の強さには適わない。頭を左右の手で抱え込まれ、ウルリと顔を合わせる形になって、引き寄せられる。


「えーと、ん?うわ!お前なんで泣いてんだ!?」


見るとクロナは、大粒の涙を零していた。右目の機械からは何も出ていなかったが、その分を足し合わせたかのような量が、左目から溢れ出している。彼は声を殺し、大声をあげまいと歯を食いしばっていた。それは、沸き立つ恐怖心を抑え込んでいるようにも見えた。


「おーい、泣かせるなってば」


呆れたようにディグが言う。ウルリは慌てて弁明しようとするが、クロナの様子はますますひどくなる一方だった。鼻水を垂れ、嗚咽を繰り返している。ウルリは思わず彼を解放した。


「ご、ごめん。自己紹介がしたかっただけなんだけど...やり過ぎたかな?」


蹲るクロナに、ウルリはおろおろと話しかけた。クロナからの返事はなく、代わりにすすり泣きの声が聞こえてきた。


「ディグ~!」

「もう、やり方が荒いんだよお前は」


嘆息して、ディグが振り返る。

背中を撫で、優しく宥めると、クロナは漸く顔を上げた。顔面からの水分消費は止まっていなかったが、彼はしゃくり上げながら声を出した。

 

「す、すみません!思わず感極まってしまいました!き、気にしないでくださいっ!今度は...大丈夫でずっ!」

「いや、その前に落ち着いて?ほら、鼻水拭きなよ」

「うぅ、ずびばぜん...」


苦笑するディグからティッシュを受け取ると、クロナは片手で器用に鼻をかんだ。袖で涙を拭きあげ、息をつく。


「はぁ...本当にすみません。ボク、自分で言うのもなんですけど、すぐ泣いてしまって...治したいと思っているんですけど...」

「いや、まぁ、君はまだ若いから仕方ないと思うよ。ウルリ、お前は年上なんだからしっかりしなさい」

「ご、ごめん...」


ディグに怒られ、萎縮するウルリ。クロナにも「ごめんな」と声をかける。クロナはまだ少し震えていたが、「もう、大丈夫です!」と答えた。

 

「今度こそは仲良くしてくれ。いいな?」

「うん!頑張る!」


ディグは再びデスクワークに向かった。作った拳を振り下ろし、ウルリは気合の一声を発した。

ウルリはELIOにきて以来、ディグ以外の若者とのコミュニケーションをとった経験はなかった。ましてや、自分より年下の相手など空想の域である。だからこそ、クロナとの会話は彼にとって容易なものではなかった。

クロナも、もう平気だとは言っているが、内心では恐怖と戦っている状態だった。相手は自分より年上。今まで出会った人間はもっと年上であったが、コミュニケーションは散々たるものだった。ディグと会話を交わして、少しは勇気を持てるようになったものの、今回はそのディグさえ手を焼くウルリが相手である。どうしたらよいのか、は、クロナにも言えることだった。

 

「えーと...そうだ!とりあえず自己紹介な?オレはウルリ!よろしくな!」

「は、はい。よろしくお願いします!ボクはクロナといいます!」


第一声は勢いだけは悪くないものの、お互いぎこちないものであった。ぎくしゃくとした握手を交わして、二人はなぜか止めていた息を吐いた。

 

(うわ、これきっついぞ...!なんで?!オレ普通に自己紹介してるはずなんだけどな...!?)

(うう、今の、おかしいところなかったかなぁ。ディグさんの弟だから怖い人ではないはずなんだろうけど、うう、怖いなぁ...なんで思っちゃうんだろう)


互いに背を向けて、心中に思いを吐露する。二人はもう一度、そろそろと視線を合わせようとするが、よそよそしさが収まらない。

ウルリは自然と震え出す腕を掴んで抑え、「くそっ!静まれオレの右腕!」と叫んでいる。対するクロナは、ひたすらおろおろするだけで、話しかけるチャンスを見失っていた。

途中から様子を見ていたディグは、その異様な光景に苦笑していた。

不意に、 鳴り響いたPHSの発信音が、二人の緊張を最大限に引き上げた。ウルリとクロナは、悲鳴を上げて同時にソファから転げ落ちた。

 

「なっ!なっ!何!?聞き覚えのある音だけど何!?」

「ピッチだ。...なんかごめんな」


気が動転して声を荒らげるウルリに対し、ディグは笑いを堪えながら言った。口元を抑えてなんとか静めているようだが、肩が笑ってしまっている。

ディグはPHSを手に取った。


「はい、エレメントリです。え?...ああ、それは...え?...今からですか?」


困ったように眉をひそめるディグ。


「わかりました。向かいます...あの、預かった子のことなんですけど...ああ、はい。わかりました...」

「なんだなんだ?」

 

通話を切ると同時にウルリが声を上げる。


「ディグ、また呼び出され?」

「ああ、EBEの修繕依頼。...人手が足りないってんで、手伝えって」

ディグは深く溜息を吐いた。休みはこれで完全に返上となった。

「じゃあ、オレ達はどうしたらいいんだ?ここで待ってたらいい?」

「いや。ちょうどいいからお前の寮に行こう。近くだし」

「ええ!?なんで?」

「なんでって...本来お前はこっちに来れないはずなんだぞ。こっちにいる方が変なの」

「そんなぁ!」


ウルリは二度目の悲鳴を上げた。しかしディグは意に介さず、逃げようとする彼の身体をひょいと担ぎ上げる。


「あの、ボクは...?」

「クロナも一緒においで。中枢が、ウルリと同じ寮に住まわせろって」

「え?!」


思いがけない言葉に、ウルリとクロナは同時に叫んだ。二人は顔を見合わせ、先の見えない状況にお互い言葉を失った。



再び、隔離寮。

ウルリとクロナは二人きりになっていた。ウルリはリビングから奥の、自分の寝室で大の字になって寝転がっており、クロナはリビングのテレビが置いてあるスペースで、何をするわけでもなくただ座っていた。

空間にほとんど会話はなく、静寂に満ちている。時々クロナが耐えきれずウルリのいる部屋の方を見るが、自ら声をかける勇気はまだ出ない様子だった。

ウルリもベッドに倒れこんではいるが、狸寝入りだった。クロナの方を気にする素振りはあるものの、そこから動く事はなかった。

 

「はぁ...退屈だなぁ」


ウルリは誰にいうわけでもなく呟く。

 

「こんなところにいたら、退屈で頭おかしくなるぞ...」


むくりと身を翻し、嘆息する。


「出かけちゃおっかな。うん、そうしよう」

 

あっさりと脱走を決意するウルリ。ベッドからはね起きると、すたすたとリビングを横切っていく。それに気づいたクロナは、慌てた様子で立ち上がり、ウルリの袖を引いた。

ウルリは驚いて振り返る。クロナも、なぜそうしているのかを一瞬忘れるほど、自分に驚いた。しかしすぐに我に帰り、彼は言った。


「ウ、ウルリさん!どこに行くんですか?」

「あぁ、退屈だから、ちょーっと出かけようと思って」

「だ、ダメですよ!ディグさんに待っているように言われたじゃないですか」

「そんなこと言われても、退屈すぎて困るよ...」

「うぅ、ダメです。怒られちゃいます...」


クロナは、今にも泣きそうなのを堪えながら、勇気を持って必死に引き留めようとしていた。ウルリはその様子を見て、申し訳なさそうに顔を歪ませた。しかし、退屈さを天秤にかけると、容易に傾いてしまう。


「大丈夫!クロナだけここで待ってれば、怒られるのはオレだけだから!なっ?」

「で、でも、もっと上の人に怒られるのはディグさんですよね」

「ん、そーだっけ?まぁいいじゃない」


ウルリはクロナを振り払い、部屋を出て行ってしまう。クロナは慌ててあとを追うが、部屋を出ると既にその姿はなくなっていた。


「あれ!?ウ、ウルリさん?」


辺りを見回すが、そこは施設の一端とは思えない地底洞窟のようになっていて、どこを見ても岩肌しかなかった。実はウルリの隔離寮は地下の最下層にあり、その空間はほとんどが手付かずであった。それだけコストのかかる何かがそこにはあり、それに費やしている分設備が整っていないのだが、クロナにそれを知るすべはなかった。


「ウルリさーん!ど、どこですかー!」


返事はなく、クロナの声が虚しく響き渡る。彼は部屋に戻ろうか思案したが、このままではウルリが、ディグが、お小言を食らってしまう。

そう思うと、彼は部屋から走り出していた。

道なき道を駆ける。天井は恐ろしく高く、吸い込まれるような闇を落としている。唯一の明かりは岩肌から突き出すLEDライトで、その広さゆえに薄暗さを残している。

クロナは壁伝いに地下を走り、時々ウルリの名前を呼んだ。答えがないことはわかっていたが、沈黙したままたった一人でいることの方が彼には辛かった。

やがてクロナは、白い、明らかに人為的な設計の施された建物の前にたどり着いた。見上げてもなお天井の見えない高さであり、入口でさえ彼の何十倍もあった。妙なことに窓は一切なく、一枚板の壁であるようだった。

ウルリを探すため、クロナはその入口を叩いた。扉は機械式で、センサーがクロナの存在を感知すると瞬時に開いた。そしてパッと内部の電灯がついていき、眩い白い空間が彼の前に現れた。

クロナは意を決して、そこに足を踏み入れた。

直後、激しい殴打音と共に破砕音が続き、ひしゃげた鉄棒やコンクリートの塊がクロナを襲った。


「うわぁぁ!!」


思わず悲鳴を上げ、建物から飛び出す。扉は閉まらず、様々なものを吐き出している。心臓の激しい鼓動に痛みを覚えながらも、クロナは勇気を出して、恐る恐るもう一度内部を覗き見た。

そこには、拘束具をちぎり捨てる、体長5メートルはあろうかという巨大な生き物が、六つの腕を振り回して暴れていた。血走った目は正気を失っており、呪詛の漏れ出そうな口から涎を垂らしている。歪な角の生えた頭をぐるりと動かすと、怪物はクロナのいる入口を見つけた。

歓喜を示す叫び声を上げ、それは入口に向かって突進した。入口は自由の身となった怪物にとっては狭すぎたらしく、ぶつかると同時に強い衝撃と細かな瓦礫を発生させる。クロナは衝撃に吹き飛ばされ、地面を転がり落ちた。


「ひ、ひぃ...!」


クロナは這いずって逃げ出そうとするが、恐怖で身体が動かない。その背中を、怪物は見つけていた。

ゆっくりと小さな背後に近づき、異形の爪の生えた腕を振り上げる。そして無慈悲にも、それは叩きつけられた。

高く舞う土埃。強い振動。怪物は結果を確かめもせずにふいと方向を変え、外へと続く出口を求めて動き出そうとした。

しかし、その聴覚が捉えた情報が、動きを止めた。怪物の背後で、荒い息づかいが聞こえたのだ。ゆっくりと振り返ると、やがて土埃も落ち着いてくる。

 

「はぁ...!はぁ...!」


死に直面したかのように、蒼白の顔色をしたクロナが激しく息を吐いている。恐怖に震える身体を抑え、それに全神経を集中しているのか瞳はただ一点を見据えたままだ。

その身体をしっかりと抱く、黒髪の少年は、怪物に向かって鋭い視線を向けていた。先ほど姿を消したはずのウルリである。


「お前、見たことないけど、拘束されてたEBEだな?クロナを攻撃しやがって、やっつけてやる!」


ウルリは言い終えるより先に跳躍していた。その身体は次第に歪み、彼の人間性を失わせる。代わりに構築されたのは、上半身が獣の頭と屈強な肉体を持つ異形であった。それは怪物に飛びかかると、鋭い爪と牙で肉を抉った。

怪物は悲痛な声を上げ、ぐるりと身体を回転させる。人狼は...ウルリは飛び退き、壁を蹴って再び急所を狙う。その喉元に食らいつくと、容赦なく血管ごと引きちぎった。

弾ける鮮血と恐ろしい戦いの光景にクロナはすっかり竦んでいた。助けられたとはいえ、戦うウルリの姿は怪物と相違ない。彼は残る力を振り絞り、岩陰へと身を隠した。

ウルリが優勢に見えた戦いは、次第に逆境を孕み始める。怪物が激しく抵抗して攻めきれず、トップギアで臨んでいたウルリは着実にスタミナを失いつつあったのだ。距離を取ろうにも空間は横方向では狭く、簡単に詰められてしまう。やがて振るい出された二本の腕をかわす最中に、片方の腕に当たってウルリは弾き出された。岩肌に打ち付けられ、ずるりと地面に落下する。


「く、くそっ...!」


血を吐き捨て、立ち上がろうとする。しかし、岩に叩きつけられた時に足をくじいたらしく、思うようにいかない。

目の前には怪物が、好機とばかりに迫ってきていた。


「ああ、くそっ!いてぇ!いてぇけど、やってやる!」


ウルリは反撃をしようと身構えた。機動力をほとんど失った彼は、気持ちとは裏腹に絶望的な状況であった。しかし怪物は大きな傷を受けた怒りから、容赦という言葉を捨てて襲いかかっていた。

岩陰に隠れていたクロナはその凄惨な有様を目の当たりにして、すっかり恐怖に囚われていた。心拍数が上昇し、痛烈な頭痛と強い嘔吐感を感じ始める。耐え切れなくなったクロナは耳を塞ぎ、目を閉ざした。

その時、重い一撃に吹き飛ばされたウルリが、激しく床に叩きつけられながら転がってきた。全身に痛々しい傷を作って、血を流しながらも、彼は闘争心を燃やして怪物を睨み付けていた。


「くっそぉ…!まだまだぁ!!」


威勢を露わにしながら牙を剥くウルリだったが、満身創痍では這って動くこともままならない。相対する怪物の目には、彼の姿などもはや脅威には映っていなかった。

怪物はゆっくりと近づいてくる。その巨大な口から異臭と粘液を垂らしながら、とどめの一撃を加えようとしていた。

ウルリはクロナに叫んだ。


「おい!えっと…クロナ!お前早く逃げろっ!」

「ええっ!?で、でもウルリさんが…!」

「オ、オレのことはいいから!一緒にいたらお前までやられちまうぞ!」

「でも、でも…!」

「でもじゃねぇ!早く行けってんだ!」


ウルリはクロナを救いたい一心で叫んだが、余裕を失っていたためにその形相は怪物さながらであった。それに気圧されるクロナだったが、それでもウルリのことを置いて行くなど絶対にしたくなかった。


(そうだ、勇気を出せ…!ボクが…ボクが、ウルリさんを守るんだ!)


その瞬間、クロナは意を決した顔つきに変わり、走っていた。そして傷ついたウルリの前に立ち、怪物に向かって両腕を広げる。

怪物が雄叫びをあげた。ウルリも何かを叫ぼうとした。だが全ての音は、動きは、クロナには止まっているようにみえた。まるで走馬灯のように、限りなく引き伸ばされた時間を、その場の全員が体験する。


「ボクが...お前を止めてやる!」


クロナの叫び声と共に、一瞬波動が発生する。心臓の鼓動のように脈打った波動は、場にいる全員を飲み込んだ。

瞬間、怪物の振り上げた腕が急激に減速した。怪物自身も大口を上げた状態で、そこから今にも何かが出てきそうである。舞い上がった土埃はゆっくりと滞空しており、崩落する建物や岩は、その欠片をふわふわと浮かせていた。


「...え?」


ウルリは、目を白黒させた。今の今まで激しい戦いをしていただけに、拍子抜けするほど静かで、ゆったりとした空間が信じられなかった。

目の前には息を切らしたクロナが立っている。頭の回転が遅いウルリといえど、この状況の原因となったものはすぐに理解できた。


「ク、クロナっ!お前の仕業か?!」


クロナは答えない。いや、正確には答えられなかった。この空間を維持するために、彼は精神を集中させていたのだ。吐き出しそうになるのを堪え、倒れそうになるのを押しとどめて、クロナは言葉を絞り出した。


「は...やく、お願い...!」


ウルリは自身の身体の異変にも気づいた。くじいたはずの足が、治っているのである。クロナの真意を汲み取り、ウルリは飛び上がった。

腕を振り上げ、無防備な姿を晒す怪物に突撃し、彼はもう一度その頚部を噛みちぎった。肉を絶っても骨を砕いても、不思議なことに血は出ない。というより、出るのが異様に遅くなっていた。よく見ると怪物も完全な停止状態ではなく、ゆっくりと僅かにだが、動いているのだ。

つまりは、ウルリとクロナを除くすべてのものの時間が、限りなく遅くなっているのである。

ウルリは疑問を飲み込んで、攻め続けた。時間が元に戻っても反撃できないように、目を潰し、腕も折った。

その時、彼は背後で、クロナが倒れるのに気づいた。


「クロナっ!」

 

ウルリは怪物から飛び退き、彼の元へ急いだ。

その瞬間、土埃が舞い始め、ガラガラと瓦礫が崩れ始めた。クロナの力が切れたのだろう。時間の流れが正常に戻りつつあった。

怪物は絶叫し、傷つけられた全身をのたうち回らせた。しかし血はどくどくと流れ出し、その意に反して着実な死を迎えようとしていた。

ウルリは最早、怪物のことなど目もくれなかった。元の姿に戻り、クロナを抱き上げる。彼は僅かだが息をしていた。どうやら気絶しただけらしい。


「あ...ウルリさん...無事だったのですね」


そう、か細い声を出すクロナ。ウルリを見るや、安堵に包まれた顔をする。


「...よかった。ウルリさんが来てくれなければ、ボクはどうなっていたか…」

「いや、オレの方こそだよ。クロナがいなかったら、たぶん無事じゃなかった」

「いえ、それはボクの台詞で...」

「違うよ、オレの台詞」

「いや...でも...」

「もう!もういいよ!二人共無事でよかった!そうだろ!」


押し問答に痺れを切らし、ウルリが叫ぶ。その大声に、クロナはびっくりした様子で表情をこわばらせていた。


「はぁ、悪かったよ。お前を置いていって...怖かっただろ?」

「い、いえ。いいんです。勝手について行こうとしたのはボクの方ですから...」

「もー!次またそんなこと言ったら、ほっぺたつねるぞ!」

「あ...う...」


変化した鋭い爪を見せつけられ、口を噤むクロナ。それを見たウルリは息を吐くと、やがて表情を笑顔に変える。


「ありがとーな。お前のお陰で助かったよ」

「いえ...あっ...えと、こ、こちらこそありがとうございました!危ないところを助けてくださって!」

「いいってことよ!そしてお前もそうだ!」

「え?え?ど、どういうことですか??」

「お前も、オレに胸を張れ!助けてやったぜ、どういたしましてってな」

「あ......は、はい」


ウルリに釣られて、徐々に笑顔を見せるクロナ。それを見て、もう一度ウルリは笑う。今度は一際大きな笑い声を上げて。

数分前までは互いに距離を測っては戸惑っていたのが、今では友達のように笑い合っていた。

共通の敵を見つけた人は結託するというが、この二人の場合、互いに同じ窮地に陥り、互いの力で乗り越えたことで、結託以上のもの、友情を手に入れたのだった。

やがて、異常を感知した武装職員が現場に続々と集まってきた。中には二人を心配してきたディグもいた。ディグは勝手に寮を出たことに少し怒ったが、二人が無事であったことに深い安堵し、抱き締めた。それに感化されてか、ウルリとクロナはすっかり気を緩め、気を失うように眠ってしまった。



原因はEBE収容室の老朽化であると推定された。多くの危険なEBE達...特に人的被害を及ぼすレベルである第四級以上を留置しておくがゆえに、彼らの暴動のダメージが相まって、亀裂が生じていたのだという。

破壊された収容室は直ちに修復作業が入り、評議会は事件に対する対策を模索することとなった。

ディグは依頼を済ませたあと、また新たな仕事に追われていた。中枢から対策案を提出するよう命令が下されたのである。キーボードを叩きながら文章を羅列していく様子は、魂ここにあらずといった様子であった。

一方で、その後ろではウルリとクロナの楽しげな会話が弾んでいる。死にかけたことに対する反動か、興奮冷めやらぬといった感じであった。

 

「しっかしすごかったなぁ~!まるで魔法みたいだった!」

「そ、そうですか?えへへ...」


クロナは頬を赤く染める。褒められたことに対する純粋な照れであった。お互いの距離が縮まったことで、こういう顔も自然とできるようになっていた。

 

「なぁ、またやってくれよ!いい作戦があるんだけど…」

「作戦ってなんですか?」

「作戦は作戦だ」

 

ウルリはにやりと口角を釣り上げる。その視線は、ディグの方に向いていた。

 

「お前の力があれば面白いことができるんだ。あいつに思い知らせ...じゃなかった、驚かせてやろうぜ」

「えぇ...なんだか不純な動機を感じますよ。ダメですよ、悪いことしたら。それに…」

 

ヒソヒソと会話を交わす二人。しかし、耳の良いディグには筒抜けであった。

 

「二人共。例えば、いたずらなんかしたら、一ヶ月口を聞かないからな」

「お、おう...わ、わかったよ。何もしないよ」

「ひぇ...き、聞こえてたんですね」

 

ディグの冷たい視線に凍りつく二人。巨大な怪物EBEを倒す力があっても、彼には頭が上がらないようだ。

 

「ところで、お前達はあそこで何をしていたんだ?おおかた退屈で逃げ出したウルリを、クロナが探そうとして道に迷ったものだと推察しているけど…」

「ぐわ、大当たり」

「やっぱりか」

「し、仕方ないじゃんよ。退屈だったんだから!ずっとあんなところにいたら頭がおかしくなるよ!」

 

感情論を盾に反論するウルリ。反省の色はあるものの、それでも自分が悪いとは認めないようだった。

 

「はいはい。その後は?」

「ボクがあそこに着いた時、怪物が襲いかかってきました」

 

クロナがおずおずと答える。

 

「...ウルリさんが助けてくれなかったら、ボクは大変な目にあっていたと思います」

「それはオレだって...あっ、そうだ!なぁディグ聞いてくれよ!クロナってすごいんだぜ!」

 

ウルリは思い出したようにクロナの肩を叩いた。それはばしばしと手荒いものであったが、クロナは痛がりこそしたが、嫌がってはいないようだった。

 

「クロナはものすごーく時間をゆっくりにする力があるんだ。まるで映画の中みたいだった!」

「時間を...?君は時間を操ることができるのか?」

 

ディグは驚いた顔でクロナを見る。視線を集めたクロナはあわあわと狼狽えたが、やがて恥ずかしそうに頷く。

 

「す、少しくらいだったら…何回かに一回は失敗しちゃいますけど…」

「それでも、すごい力じゃないか。どうしてそんな力を?」

「それは…わかりません。気付いたら、使えるようになっていたので…」

「もしかすると、君のルーツに関して何か重要な意味があるのかもしれないね」

 

ディグは腕を組み、考え込む。

そこへクロナが、気持ちを逸らせて話しかけた。

 

「あのう…何かわかりましたか?」

「いや、現状じゃはっきりした答えは出せないよ。これからもっと研究して情報を集めていかないと…」

「そ、それならば提案があるのですが!」

 

言い終わるより先に、クロナが叫ぶ。彼は勇気を振り絞り、二つの視線を受けながら続けた。

 

「また何か思い出したら、絶対に伝えます!だ、だから、ずっと...えと、ここに、置いてくれませんか?...あ、いや、あの、ボクの正体がわかるまででもぜんぜん構いませんから...」

 

言い出しは好調だったものの、すぐに元の性格が侵食してきたのか、語気がフェードアウトしていく。それを怪訝そうに見据えるウルリ。中盤からほとんど聞き取れなかったらしく、頭上には疑問符が浮かんでいた。

対するディグは、肩を竦めると、こちらへ歩を進めてきた。彼にはしっかりとその言葉が聞こえていた。クロナと同じ目線にまで腰を下ろし、彼に向かって答える。

 

「君がいたいだけいればいいさ。正体を突き止めた後でも、追い出したりなんかしないから」

「ほ、本当ですか!?よかった...!ありがとうございますっ!」

 

クロナの表情が、ぱあっと明るいものに変わる。まるで一世一代の大役を果たしたかのように興奮し、少女のように頬に手を当てて「嬉しい」「夢みたいだ」と何度も呟いていた。

それに漸く合点のいったウルリは、嬉しそうな声を上げる。

 

「おっ!クロナもここに住むのか?じゃあ、お前は今日からオレの弟だな!」

「えっ?えっ、な、なぜそうなるんですか?」

「だってオレとディグは兄弟で、家族なんだぜ。なぁ?」

「お前、言ってることがめちゃくちゃだぞ。でもまぁ、一緒に暮らすのを家族だと認識するなら、間違いじゃないと思うよ」

「家族...」

 

ウルリにぽんぽんと頭を叩かれながら、言葉を反芻するクロナ。突然の提案に戸惑っていたが、少しずつ飲み込んだのか、やがて笑顔を見せて答えた。

 

「...ありがとうございます」

 

それはクロナが生きてきた時間の中で、一番幸せな出来事だった。過去に失った大切なものが、再び戻ってきたような気がした。

 

遥か昔のオーバーテクノロジーの存在か、はたまた別次元からもたらされた未知の存在か。クロナの正体の答えは、世界という一枠を超えなければ、たどり着けない場所にあるのかもしれない。

しかし、それでも、例え永遠に理解できなかったとしても、彼はもう悲しまないだろう。自分の過去を思い出すこと以上に、覚えていきたい未来ができたのだから。

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