エンドロール
@vip252539
第1話
エンドロール
4番スクリーン、E列7番席。真ん中よりも少し右にずらした僕の視界に、空が映った。雲一つない、快晴だ。真っ暗な劇場の中で、ただ一つ大きなスクリーンに浮かぶその青い空を、僕は観ていたんだ。
“このでっかい空ひとりじめって感じ、けっこう好き”
“寂しい奴”
“うるさいよ”
レイトショーが好きなのかと聞かれたので、そうだと答えたら、奴は“暗いなと”僕に言った。
“悪かったな、暗い趣味で”
“いいじゃん、今度行こうよ”
“は?”
今度はふたりじめしようぜ。そう言って、奴が笑った。
それは、馬鹿にされると思っていた自分の好きという感情を、いいじゃんと言われたうれしさと、友人と出かける約束ができてしまった緊張感と、きれいな奴の顔を馬鹿みたいに直視してしまったこと。とにかく、まとめると、パニック。
頭の中で、デフォルメした僕がわめいている。落ち着けよ。
ゆっくりと2秒かけて、“いいよ”と僕は返事をした。
“やった”と笑った奴の頬が、少しだけ赤くなっている。僕も自分の顔がなぜだか暑いから、おそらく同じくらい赤くなっていたと思う。
15歳の僕には、この事件はとてつもないビッグなことだった。さびしいやつと自分に言い続けていた僕は、頭のなかで、どんなもんだと自分に向けて言ったんだ。
何を観に行こう。何を着ていこう。雨は降るかな?ああ、なんだろう。この感じ。すごくふわふわするんだ。
場面が変わって、スクリーンに今度は、真っ赤な夕日が映し出される。目がちかちかとするような鮮明な赤だ。
それは、自然が生み出したものというよりも、人間が作り出したひとつの意志を持った、巨大な生き物のようにも思えた。
その生き物をバックに、恋人たちがキスをした。エンドロールが始まって、懐かしい曲が聞こえる。
いつまでも終わらない夏休みみたいな、この瞬間が好きだったなと思い出した。
パンとはじけたみたいに、スクリーンが消えた。そこに存在しているけれど、役目を終えたそいつは、どでかいただの壁と化している。
おばあさんのかけてくれた魔法が解けた、シンデレラみたいな気分になる。ガラスの靴も、カボチャの馬車もないけれど、手の甲に当たったドリンクホルダーの固い感触と、ぬるくなったコーラを飲み干して、現実に戻ってくる。
手際が良くて、愛想の無い店員が、劇場入り口で、大きなポリバケツを持って待ち構えている。空になったカップだけを彼に渡すと、一瞬だけ目が合った。
ありがとうございました。と、下げられた頭を見てから、僕もコンマ遅れて頭を下げた。
劇場通路を渡って、自動ドアを抜けて外に出ると、あまりの暗さに眩暈がした。昼間でもないのに眩しいなんておかしな話だけれども、草原から、底なし沼に落ちたような、足場が見つからないような、そんな不安定な感じ。
館内の暖房で暖められた体は、外気の冷たさに喜んでいた。
顔だけが、妙にとても暑くて、ポケットに入れていた片手を、僕は自分の頬に当ててみた。少しかさついていて、けれど、なぜかぬれていた。
一度まばたきをしたら、目尻から涙が出た。もう一度、僕は瞬きをした。ポロポロ、ポロポロと、今度は止まらなくなった。
えずくような声が聞こえてきた。誰だろうと思ったら、自分の声だった。喉が絞まって、壊れた楽器みたいに、ヒューヒューと音がする。
我慢できなくて、ズルズルとしゃがみこむ。息を吸って、吐いて、また吐いて、目の奥に星がチラつく。頭はさえているのに、頭の中はぼやけている。まるで、ポップコーンを詰め込まれているみたいだ。パサついていて、塩辛い。
あの日、僕はきっと浮かれていたんだ。
横断歩道を渡ろうとしていた彼を見つけて、歩道から僕は追いかけた。彼は驚いた顔をしていた。
僕はその顔が面白くて、彼の肩に触れようとした。彼の口が、何かを僕に伝えようとしたんだ。多分、危ないって。振り向いたら、信号無視をしたトラックがいたなんて、誰が思う?これがシナリオなら、最低なオチだと思う。
残念ながら、僕は生きている。彼は、僕を突き飛ばした。ガードレールに打ち付けられた僕は、次に目が覚めたら、彼が隣にいないどころか、観に行こうとしていた映画の上映日から実に10日も眠っていたなんて、まさか思うはずがないじゃないか。
そして、彼がもうこの世にいないと知ったのは、それから2時間後の話だ。
18歳になった僕は、何も変わってない。弱くて、ずるい。
握りしめていた手から、二人分のチケットが飛んでいった。あっと顔を上げたら、風が目に入った。目をつぶってしまったことを後悔して、目を開けると、目の前に広がる暗闇が、自分を笑っているみたいで、とたんに恥ずかしくなった。
よろよろと、僕は立ち上がる。
そのまま、僕は歩き出した。
始発までの3時間をどうしようか。
目をつぶった僕のまぶたに、スクリーンの空が映った。
エンドロール @vip252539
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