第13話 離れてみなくては判らないもの

 それから数日、コノエは学校を休んだ。

 奴はクラスの内外でもその成績といい容姿といい、目立つ。だが特定の友人という奴が意外にも殆どいないので、質問の矛先は俺に回ってくることが多かった。

 だがその原因は俺が聞きたいくらいだ。彼女の存在を喋ることができない以上、俺に応えられることは何もないのだ。

 何となくそんな周囲の声が鬱陶しくて、結局俺は休み時間には教室の外に居ることが多かった。

 廊下の所々に、文化祭のポスターが貼られている。そのポスターの最初は、校内の公式掲示板だった。その横には、こないだのテストの結果が張り出してあった。……意外にも、俺は一二位に入っていた。そんなに勉強した覚えはない。苦手の英語の成績も上がっていた。やはりそれは、トップに名前のあるコノエのせいだろう、と思わずにはいられない。

 一体何があったというんだろう。視界に奴の姿が無いというのは、ひどく気にかかる。

 だがもう一つの気がかりが視界に飛び込んできたら、さすがにそっちのことはとりあえず横に置いておかなくてはならなかった。大人な女性の頼みは断れまい。

 講堂での催し物の出場者募集のポスターの前に、俺はマキノを見つけた。

「何見てんのマキノ?」

 俺は奴の後ろからそうっと忍びより、いきなり肩を掴んだ。そして驚かすつもりが、驚いた。何って華奢な肩。

 だが平静なふりをして、向こう側のポスターをうかがう。

「あ、俺もこれに出るのよ」

「君が?」

 奴は振り返る。

「そんな意外そうな顔せんでもいいでしょ?バンド組むの、バンド」

 すると奴は驚いた。どうやら、俺が楽器の一つもできないことは知っていたらしい。ヴォーカルというと納得した。

「でも君声がいいから、いいかもな」

「お世辞?でもサンキュ」

 俺はそう返した。奴は曖昧な笑みを浮かべた。だがその表情からは、何も読みとれない。

 それから俺は、コノエの居ない間の、持て余す程の暇を、バンドのメンバーと、マキノと一緒に居ることで埋めていた。

 バンドのメンバーは、結局クラスの友人達だった。今原と木園と西条の三人。特別仲がいいという訳でもないが、何せ小学校からの馴染みだ。よく放課後に食堂で、どうでもいいことを喋ったりして時間をつぶすことのできる奴らだった。

 だが皆楽器に関しては、素人も素人、どがつく程の素人だった。音を合わせようとするたび、苦笑せずにはいられなかった。そして、楽器とはそうそう簡単には上達しないものだ、と思い知った。

 ナナさんの話によると、マキノはベースがずいぶん早く上達したらしい。だがそれはどうやら、適性というものがあるようで、俺とそのバンド仲間には使われない言葉のようだ。

 休み時間が、放課後が、やけに長く感じられる。バンド仲間と、マキノの間を往復していても、何か物足りない。授業中の背中が、落ち着かない。

 ……いい加減出てこい、コノエ。



 だが奴はなかなか出てこなかった。その間に、俺はマキノをバンドの練習に誘ったりもしていた。

 俺達は何だかんだでよく話すようになっていた。目の大きいこの華奢なクラスメートは、どうやら一度それなりに認識した相手にはそれなりに愛想もよくなるものらしい。

 教室の中、放課後の学食、休み時間の廊下、たびたび俺達は顔を会わせ、他愛ない話をした。

 その都度俺は、奴からさりげなく話を聞き出していた。奴が一人暮らしであること、ACID-JAMに通っていたこと、BELL-FIRSTが好きなこと、故郷はやや遠い所にあること等々。

 そして俺は俺で、何故か現在の生徒会長のことはちゃんと記憶していた奴に、それは自分の幼なじみで、姉貴みたいなものだ、ということをも喋っていた。

 そしてもう一つ。びっくりすると、奴の目は猫の様に大きくなることも。

 一度それを指摘したら、マキノは何となく奇妙な表情になった。



「……ああ、あの子は猫ちゃんって呼ばれていたからね」


とナナさんは言った。

 あれからちょくちょく俺は店に通っていた。店だけでない。時々、教えてくれた電話番号で、彼女と俺は連絡を取り合っていた。

 とはいえ、電話の前に座っている人のことを考えると、うちに掛けさせるのはあまり気が進まなかった。俺は仕方なく訳を話して、彼女の番号をもらった。


「でもカナイ君、おかーさまの方も、何とかした方がいいわよ」

「……そうは言っても、俺に一体何ができます?」

「……何をって……」


 彼女は腕を組んで考え込む。白い腕。細い腕。何となくそれは、タキノのそれを思い起こさせる。女の人は普段、陽に当てることはないんだろうか?その白さが妙に俺の目を離さない。


「……カナイ君」


 はっ、と俺は彼女の腕から目を上げる。

 どうやら彼女は俺の視線の意味には気付いていなかったらしい。俺はややほっとする。手首がすっと上がる。時計の、細い鎖がひらりと輝く。そのままその手は頬杖になる。また、目が離せない。


「おとーさまは、どの位帰ってこないの?」

「え?」

「一度、おとーさまに、たまには帰ってくるように話してみたら?」

「だけど親父も忙しい訳だし……」

「確かにそうかもしれないけど…… でも、今キミが心配してるのは、キミの心配するべき分野じゃないと思うわ」

「どういう意味ですか」

「どうなんだろうな…… 何って言うか……それは、キミがどれだけ心配したところで、何にもならないことじゃないかなあ。それは、たぶん、夫婦の話よ」


 う、と俺は言葉に詰まった。


「キミの話聞く限りでは、あたしにはそう思えたけど」

「そういうものなんですか?…… そう仲がいいようには見えないけれど……」

「うーん……」


 彼女は苦笑する。


「べたべた仲がいいだけが、夫婦じゃないでしょ? それに、離れてみなくては判らないものっていうのもあるからね」


 そして彼女は付け足す。


「少なくとも、キミがそのことで悩む義務はないのよ」


 そういうものだろうか。

 ……そういうものなのかもしれない。少なくとも、ナナさんのその言葉が、俺の気持ちを楽にしたのは事実だった。


 そして、離れてみなくては判らないものというもののことも。

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