第12話 訃報あり

 気がついたら、足はACID-JAMに向かっていた。そう言えば、一人で来たのは初めてじゃないか。もう時間が時間だったので、幾つかのステージが始まり、終わっていた。

 俺は別に目当てのバンドがあった訳じゃないので、まっすぐカウンターの方に向かった。ふわふわした髪が視界に入る。ナナさんだ。


「あれキミ。カナイ君?」

「ナナさん、久しぶり」

「どうしたの、何か、顔白いじゃない」


 ライトのせいじゃないの、と俺は思ったが、反論する気もなかった。ナナさんは何か言いたそうだったが、何も言わず、何にする、と訊ねた。

 俺はジンジャーエールを頼むと、一口口に含む。炭酸の口当たりが、ひどく気持ちいい。そのままプラコップを頬に当てる。水滴が、頬を濡らす。


「マキノ、今日居ます?」

「……ううん、いないのよ」

「最近、奴見ないですよね」

「……うん」


 ひどく、口調が重かった。それが混乱のせいで、何処か変に張っていた神経に触れた。

 そう言えば、ナナさん自身も何か雰囲気が重い。そう話すことはなくても、ちょくちょく目にしていた、あの明るい彼女とはやや違う。

 理性が戻ってくる。嫌な予感。


「ねえ、学校で話すこと、今でも無いのかなあ? カナイ君、あの子と」

「こないだちょっと喋りましたよ」

「ちょっと」

「俺ちょっと、女の子に追われていたことがあって。奴がたまたまピアノ室に居たんで、かくまってもらったんですよ。それでやっと俺のこと覚えさせた」

「あの子らしいわ」


 くす、と笑う。だけどそれはまだ重い。


「君も女の子に追われるなんて、なかなかじゃない」

「ま、ちょっとね」


 彼女はカウンターに両腕をついて、ぐっと俺に近づく。綺麗な眉の下のくっきりとした目が、急に真剣味を帯びる。俺は反射的に避けようとしたが、彼女の手の方が早かった。髪なのか、コロンなのか、そんないい香りまでが、感じられる。


「真面目な話、あの子と話せるようになったのね?」

「え? あ、ああ」

「だったらお願い。いつでもいい。あの子をここへ連れてきて欲しいの」


 俺は眉を寄せる。目の前のナナさんは真剣な声、真剣な目。嘘はついていない。


「何が、あったんですか」


 更に接近する。髪が耳に当たる。そして囁かれた言葉に、俺は、再び身体が冷えるのを感じた。


「……嘘だ」

「嘘じゃないわ。こないだの雨の日よ。まだ、内輪にしか知られていないけど」


 あのベーシストが―――死んだ?

 人混みの中、マキノが熱っぼい目で見つめていた、あのベーシスト。黒い上下の、背の高い。名前は確か―――


「トモさん、って呼ばれてた」

「そう彼」


 ナナさんはうなづく。


「その話はここじゃ詳しくはできないけど――― でも何処だって一緒よね。あの子、確認に来たらしいんだけど、それからずっと、ここに顔出していないの」

「奴はしょっちゅう来ていたんですよね」

「三日明けることが無い、みたいなもんよね。そうじゃなくても、トモ君の部屋にはちょいちょい行っていたみたいだし」

「……台風の日も?」


 ん、と彼女の形良く描いた眉が片方上がる。ぴん、とおでこが弾かれる感触に俺は顔を上げる。そして目を細めて、彼女は両方の口元を上げた。


「見ていたな」

「すいません」

「謝ることはないわよ。うん。あの時はね、まあ……あの子家に戻ったところで誰も居る訳じゃないらしいから、彼が連れて帰ったのよ」

「バイクを乗せて?」

「トモ君は絶対に人間は後ろに乗せなかったからね。事故に遭った時に、人を巻き込むのはごめんだって」


 そして彼女の言葉が途切れた。


「そういうこと言ってるから、いけないのよ。あの子でも乗せて走っていれば、も少し……」

「ナナさん」

「うん、そう……で、あの台風の日は、あの子は彼の部屋に泊めたらしいけどね。まあ前からちょくちょく泊まってはいたから、他の所よりはあたし達も安心だったしね」

「可愛がられてるんですね」

「あの子は可愛いわよ。君とは別の意味でね」


 俺はやや自分の顔が赤く熱くなるのを覚えた。さすがにこういうところが、年上の女性、なんだな、と思う。

 年上の女性。

 考えてみれば、サエナもそうなんだよな。

 不意に彼女の顔が浮かんだ。

 だけどナナさんとサエナじゃさすがに年季が違う。それはたぶん、年齢という問題ではない。

 決して母親的というのではないのだけど、ナナさんは俺やマキノあたりなど、異性としては全然意識していないように見えるのだ。


「どうやって奴はベルファと出会ったんですかね」


 聞きたくなった。そこまで言われる程、奴はここでは生き生きとしていたのかもしれない。俺の知らない部分。俺は知りたくなっていた。

 コノエのことを全く知らなかったこの反動かもしれないけど。


「最初は、あの子が終演後の、この近くで絡まれていたことよ。ちょうど通りかかったから、皆で。偶然と言えば偶然なんだけど」

「確かに偶然ですね」

「でもそれで気に入ってしまったからね。あたし達の方が、あの子を可愛がっていたから。やってくればとにかく裏に連れ込んでたもの。あ、変な意味じゃないわよ」


 はいはい、と俺はうなづく。

 でもちょっと待て。


「ねえナナさん」


 はい? と彼女は首をかしげる。髪が、ざらりと揺れる。

 その時、その質問は、ひどく自然に、俺の口から出ていた。


「マキノは、彼のことが、とても、好きだった?」


 彼女の表情が、凍り付く。

 俺は氷でずいぶんと薄まったジンジャーエールを飲み干す。


「どういう意味で言ってる? カナイ君」

「どういう意味も。そのまま」


 ただの、ベースの師匠と弟子ではなくて。


「どうしてそんなことが考えられる? 君は」

「ナナさんは、どうしてそんな言い訳をしたの?」


 変な意味だ、なんて。そんなこと言わなければ考えつきもしない。普通なら。

 弁解をするのは、何処かにつながるものがある時だ。


「君は……」

「だから、マキノが来ない、と思っているんじゃないの? ナナさんは。奴は、来られないんじゃないかって、思ってるんじゃないの?」


 カナイ君、と彼女は苦しそうに言う。だけど、俺の言葉は止まらない。


「そういう関係だったんじゃないの?」

「それ以上、ここで言うんじゃないわよ」


 そうだね、と俺は黙った。



 だがそう彼女に言ったはいいが、実のところ、そういう関係、が具体的にどういう関係なのか、俺には判らなかった。

 確かにあのベーシストを見る奴の目は何やら強いものがあった。好きなのかな、と思う。好きなんだろう、と思う。

 だけど好きだから、と言ってそれがどういうつき合いになるのか、具体的な図が浮かばなかったのだ。

 だって。俺は思う。だって、マキノは男だし、あのベーシストも男じゃないか。だとしたら、それは。

 だがナナさんが口にしたのは、確かに、それを意味していた。

 俺は閉店した後の店で、それを聞かされた。

 おかげでコノエのことでこんがらがっていた頭が、それどころではなくなってしまった。どうやら俺の単純な頭は、二つのものごとを同時に悩むことはできないらしい。

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