悪魔
朝から酷く疲れていた。何をするにも億劫で、行動のひとつひとつが緩慢だった。こんな日もあるだろう、と自らに言い聞かせて一日をなんとかやり過ごそうとした。
だからこそ、魔に魅入られたのだろう。
「休んでも良いのだぞ」
その悪魔は私を堕落させようとしていた。休むことなど出来ようはずがないのに、度々私の目の前に現れては休んでしまえ、帰ってしまえと甘言を投げかけては消えていた。しかしいつしかその姿を見る時間が長くなり、今となっては目の前に存して消えようとしない。何か目的があるのかと問えば、特にないとむげに答えるだけに留まった。黒い翼を持つ異形の存在は、徐々に姿を大きく変化させていた。
「お前、いつの間に見上げるくらいになったんだ」
「貴様が不味そうに昼食を口に運んでいるからだ」
実際問題、不味かったのだから仕方がないだろう、と言いかけてやめた。悪魔はまた一回り巨大化した。
「帰らないのか」
「帰れないんだ。まだ仕事が終わっていないから」
「明日でも良いのではないか」
「そういうわけにはいかない。私がこれを今日中に終わらせなければこの後の作業が滞ってしまう」
「貴様がいなくとも何も変わりはしない」
「そんなことはない」
「どれ、見せてやろう」
表情が窺えないほどの高さにまで変貌していた所々に鱗が光る黒い物体は、私を世界から消し去った。言葉通りの意味である。私は世界からその存在を消されてしまった。先ほどまで取り掛かっていた案件は同僚が請け負い何事もなく進んでいた。必要不可欠だと思い込んでいた作業は実のところさほどではなく、たかが一つの工程に過ぎなかった。
「戻してくれ」
「帰りたいのか」
「やるべきことがあるんだ」
「承知した」
気がつけば私は自らの席に座っていた。日付や時間を確認すると、私というちっぽけな存在がこの世から抹消された時間に巻き戻っていた。
ふ、と一息を吐き、取り掛かっていた業務を必要なだけまとめて切り上げ、上司のもとへ向かった。
「有給休暇を使いたいのですが」
悪魔の姿はいつの間にか消えていた。
明日は何をしようか。久しぶりに、笑みが漏れた。[了]
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