第23話 自分の知らないところで、人と人とは繋がっている。(5)


     ◇◇◇



「じゃあ私は、そろそろ帰るわ。佑斗が寝ている間に適当に煮物を作っておいたから、温めなおして食べてね」



 公園から帰りしばらく居間で適当に時間を潰していると、台所から戻ってきた鮫島がエプロンを脱ぎながらそう言った。


「え、意外にすんなり帰るんだな」

「なによ佑斗、私ともっと一緒にいたかったのならそう言ってくれればいいのに。帰るのは明日にして今日は泊まっていくことにするわ」

「なに言ってんだ。別にそんなこと思ってないし、泊まってなんていかせないからな」

「…………冗談よ」


 いや、だったらなんだよ。今の間は。


「それにたぶんそろそろ来る頃だと思うから、やっぱり私は帰るわよ」

「来るって何がだよ」

「すぐに分かるわ」


 時計をちらりと見やって、鮫島は簡単に帰り支度を済ませる。とはいっても特に片付けるようなものは持ってきていないので、小さな肩掛けバッグの中身を確認するだけのようだった。


「あ、そういえばさ、ずっと気になってたんだけど」

「なに? 佑斗が私にそんなふうに言ってくるなんて珍しい」


 帰りがけの彼女に、この際だし訊いてしまえと俺は思い切って声を掛けた。


 返事なんか求めていないと突っ返されながらも改めて好きだと言われたんだ。今を逃したらこんなことを訊けるタイミングはないかもしれない。



「その……結局のところ、俺のことを好きになった理由ってなんだったんだ?」



 鮫島は俺の質問にやや俯いて、少し考えこんでから言葉を丁寧に選ぶ。


「私が佑斗を好きになった理由……あなたに思い当たる節はないの?」

「正直、さっぱりだよ」


 言われて思い返したって、彼女に好かれる要因は思い当たらない。昨日見た夢で初めて鮫島と会話を交わしたときのことは思い出したけれど、まともに言葉のキャッチボールをしたのなんてたぶんそのときくらいのものだ。少しずつ仲良くなっていくような、そんな過程は俺たちに存在しなかった。


 鮫島はわざとらしくため息を吐いて、まるで子供相手かのように続ける。


「そう。じゃあ内緒よ。だいたい、人を好きになるのに理由なんて必要ないでしょ? 今、ここにいる私が抱えてる想いがすべてで、それは簡単に言葉にできるようなものじゃないって、佑斗なら分かるはずじゃない」

「まあ……」


 なんだか上手く誤魔化されてしまったようで釈然としないが、でもまあ確かに、俺がなんで琴葉を好きなのかと訊かれたら言いたいことが多すぎて上手く伝えられないかもしれない。彼女の言うことはもっともだ。


「じゃあ、私は帰るから。煮物は冷めるときに味が染み込むんだから、すぐに食べないで一時間は寝かせてね」

「……分かった。悪いな」

「いいのよ。私がしたくてしてることだから。それに……」

「ん? どうかしたか?」


 訊き返した俺に、鮫島は首を横に振る。


「ううん、なんでもない。またね」

「気をつけて」


 最後まですっきりしないような形ではあったが、彼女はにやりと笑って帰って行った。


 結局、瑛太からちゃんとしないといけないと言われたことはちゃんとできなかったのかもしれなかったけれど、ちゃんとできないということをちゃんとしたとも言えるだろう。


 いや、なに言ってんだ俺。


 まあ真面目な話、俺から伝えるべきことはちゃんと伝えられたと思う。鮫島はそうは思っていなかったようだったが、俺としては自分がつけるべきけじめはつけたつもりだ。


 これでこれからはもう鮫島からの好意に変に気を遣ったりもせずに、やっていけるはずだ。


 ピロリン、とメッセージの通知音がポケットの中で鳴いた。


 きっと明日にはこっちに来る、琴葉からだろう。


 琴葉に会えない数日は長いようで、いろいろあって意外とあっという間だった。

でももう流石に、そろそろ幼馴染成分を補充しないと生きていけない。


 明日は一緒に日向ぼっこでもしてだらだらと過ごしたいなぁ。


 そんなことを考えながらスマホを取り出した俺は、琴葉とのトーク画面を開いて、そのまま無言でまたポケットにしまった。



     ◇◇◇



「ゆーくん。誰が足を崩して良いって行ったの? ちゃんと正座して!」

「…………はい」


 暑い暑い昼下がり。俺は数日ぶりに会った幼馴染に、じいちゃんちの居間の畳の上で正座をいられていた。


「……えっと、今更なんだけどなんで俺、正座させられてるの? あと、来るのは明日からって話じゃなかった?」

「そんなこと自分の胸に訊いてみなよ!」


 鼻息を荒くして、腕を組んで胸を張る琴葉に俺は頭を掻く。



『ゆーくんの浮気者。女たらし』



 ついさっき—―琴葉がここへやってくる三十分ほど前に送られてきたメールの本文だ。


 その内容から察するに鮫島と歩いているようなところを誰か琴葉の知り合いにでも見られたのか、もしくは鮫島本人が何か琴葉にけし掛けたのか。


「だいたい、四話も出番ないってどういうことなの! メインヒロイン交代させられちゃったのかと思ったよ!」

「え……ちょっとなに言ってるか分からないんですけど……」 

「ん!」


 なんだかよく分からないメタ臭のする発言に戸惑っていると、琴葉はスマホの画面を俺に向けて、読めとばかりに突き出してきた。


 液晶には少し前に届いたものと思われるメールが映し出されていて、そこにはなんと撮られた覚えのない俺の寝顔写真と—―。



「…………」



『佑斗の胃袋は預かった』



 鮫島からのそんな短文が佇んでいた。


「えっと……」

「なんで六花ちゃんがゆーくんの寝顔の写真持ってるの! しかもこの家で撮ったやつだよね?」

「それは……」

「それにゆーくんの胃袋は預かったってどういうこと!」


 一気に畳み掛けられて、俺は言葉に詰まってしまう。


 胃袋どうこうの話はともかく、寝顔の写真に関してはまったく心当たりがない。


 どうするべきか。とりあえず昨日からの—―鮫島とのことを素直に話すべきか、話さないべきか。

 一瞬考えて、俺はやっぱり隠し事はダメだろうとそんな結論に辿りついた。



「えっと、琴葉。実はさ—―」



 学園祭期間に告白紛いなことを言われたこと、それに答えを出さなくちゃいけないと思っていたこと、なぜかばあちゃんと知り合いだったらしい鮫島が昨日突然ここに現れて、料理を振舞ったこと。それから、ついさっきその答えを一応は彼女に伝えたこと。


 順を追って、今日までにあったことを話していく。琴葉は時々むっとしたり、唸り声をあげたり、ふーんとそっけなく視線を逸らしたりしながらも、真剣に最後まで聞いてくれた。


「なんか一時期から六花ちゃんがさらに積極的になった気はしてたけど、そんなことがあったんだ」

「……うん」

「言ってくれれば良かったのに」


 琴葉の言う通りだ。自分の中で考えることはあれど、それを相談しようとしなかったのは良くなかった。


 告白してきた相手のことをべらべらと喋るのは気が引けてしまう、というのは言い訳にしかならないだろう。琴葉が告白されるときにはいつも俺はそこについていっているのだから。


「――で、ついさっき答えを一応伝えたって言うのはどういうこと? なんでちゃんとじゃなくて一応なの?」

「それはなんというかその、一度や二度振られたくらいじゃ諦めないって宣言されて、改めて告白された……から?」

「…………」


 じとーと、琴葉の無言の目線が突き刺さる。時計の秒針が何度もなんども音を立てて、どれだけ時間が経っただろう。ようやく沈黙を破って、琴葉は口を開いた。


「ゆーくん。私、結婚したら浮気は許さないからって言ったよね?」

「……はい」

「いや、まあまだ結婚はしてないんだけどもさ。告白されるのはしょうがないと思うんだよ? ゆーくん、目つきは悪いけど、でもきりっとしてて好みの人からすればイケメンだし。で、そのことを話してくれなかったのもまあ、六花ちゃんのプライバシーに関わってくるから分かるんだよ。でもさ、いくらおばあちゃんから言われたとはいえ二人で買い物とかはちょっとどうかと思うよね。あと、結局あの寝顔の写真はどういうこと? まさか六花ちゃんも泊まっていったなんてことはないよね?」

「それは絶対に、誓ってない! 写真のことは分からないけど、たぶん俺が結構遅くまで寝てたから、まだ俺が寝ている間にこっそり撮ったんだと、思う」


 琴葉にあらぬ疑いを掛けられて、俺は食い気味に声をあげた。


 っていうか不法侵入じゃなくても盗撮って、普通にアウトだろ。確かに俺の写真フォルダには琴葉の寝顔とかも大量に保存されているけれど、それとこれとは話が別だ。


「ふーん、ならいいけど。でもやっぱりゆーくんは一人にしておくとダメみたいだから、この夏休みはずっと私と一緒にいること! 分かった?」

「はい」

「あと今度私ともスーパーに買い出しに行くこと! そのあと私の手作り料理をお腹が破裂するまで食べること!」

「はい!」


 もうほとんどご褒美みたいな条件を立て続けに掲示してきた琴葉は、すぅと息を大きく吸って、吐く。


 そして—―。



「じゃあ、この話はもうおしまい! お腹もすいたしそろそろお昼にしよ! 何かあまりものとかがあったりする?」



 パンッ、と一度手を叩くと表情を切り替えて、立ち上がった。


「……うん」

「ゆーくん?」


 歯切れの悪い返事をした俺に、琴葉が不思議そうな顔をする。


 あるにはある。あまりものというか、ついさっき鮫島が作り置きしていった煮物が。


「その、ちょうど鮫島が……ってあれ、琴葉?」

「おっ、美味しそうな煮物があるじゃん! 温め直しちゃうよー」


 俺がほんの少し目を離した隙に琴葉は台所へと移動していたようで、自分で鍋を見つけて火をつける。


 俺がじいちゃんちへ来るときにはいつも琴葉も顔を出しに来るので、自分の家とまではいかなくとも自分のじいちゃんの家くらいには慣れたものだ。


 温め直した煮物を器によそりながら、ふと帰り際の鮫島の様子を思い出す。


 誰かがこれから来ることを知っていたような様子で、煮物はすぐには食べずしっかり寝かせるようにと言っていたことを。



「よし、じゃあ頂きます! ってこれ美味おいしっ! これゆーくんのおばあちゃんが作ったの⁉」



 温めたご飯も一緒に机に運んで、一口煮物を食べた琴葉が声をあげた。


「いや、さっきも言ったけど鮫島が作っていった煮物です」

「…………」


 琴葉は無言で煮物の皿を自分の方に引き寄せて、ばくばくとひたすら箸を進める。


「あの、琴葉……」

「これは私が食べるから、ゆーくんはほうめし(白米)でも食べてれば!」


 琴葉に言われて、鮫島に気を遣ってちゃんと答えをだそうだとか、あまり無下な態度はとらない方が良いんじゃないかだとか、そんなことを少しでも考えていた自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。


 慣れてない琴葉以外の異性からの好意に、それがいつまでも続く現状に、正直どうすればいいのか分からなくなっていたんだと思う。


 ただひとつ。今思えば、ここ最近の俺はきっと俺らしくなかった。


 何があっても琴葉のことを一番に考えるというのは変わらなかったけれど、琴葉以外のことを考えるそのリソースが多すぎた。しかもそれが異性のことだなんて、本当に今までの俺ならありえなかった。


 委員長や高木たちのような一緒にいても楽しいと思える友人たちができて、それで感覚がおかしくなっていた部分もあったのかもしれない。


 それでも、俺が自分の信念に背きかねないことをしていたのは事実だ。普通ならこうしなくちゃいけないんじゃないかだとか、そういう俺が嫌いだったものに従ってしまったことは、変えられようもない現実なんだ。


 俺は茶碗の中の米を一気に掻きこんで、麦茶でそれを流し込む。


 

「ちょっ、ゆーくん、冗談! 冗談だから! ふりかけとかかけていいから!」



 少しむせた俺を見た琴葉が焦って声をあげるが、茶碗に残っていたご飯もすべて平らげて、俺は息を吐いた。


 そして、ちゃんと向き合わないといけないのは、いつだって一緒にいなくちゃいけないのは琴葉だろう、と。


 一般論だとかそんなことはなにも考えずに、このただ一人の女の子のためだけに行動するのが俺じゃないかと、そんな当たり前のことを今一度胸に刻んで、俺は手を合わせた。

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