第22話 自分の知らないところで、人と人とは繋がっている。(4)
◇◇◇
「――なっ、なんでお前がいるんだよ!」
「……なんでってそりゃあ、メインヒロイン気取りの邪魔ものもいないみたいだったし、またここに来れば佑斗と二人になれると思ったからよ」
じいちゃんちに来て三日目の朝。昨日に続き寝坊気味に目を覚ますと、目の前に鮫島がいた。
いや、すぐそこにって意味ではなく、文字通り目の前に。仰向けで寝ていた俺が瞼を持ち上げると、まさにもう顔と顔の距離に彼女がいたのだ。
俺は慌てて後退り、距離をとってから大きく息を吐く。
「っていうか、なに無断で寝室に入ってきてんだよ! 不法侵入だぞ!」
「心配しないでも千代さんに許可を得て家に入って、もっと言えば留守番も任されているわよ」
「……」
ばあちゃんの生暖かい目が頭に浮かんだ。確実にぐるだ。そうに違いない。
「留守番って、ばあちゃんとじいちゃんは?」
「えぇ、私たちに気を遣って二人でお出かけに行ったわ」
「…………」
えっと、とりあえず顔でも洗うか。
金魚の糞みたいに後ろをついてくる鮫島には触れないことにして、顔を洗い、歯を磨く。
「昨日もちらっと思ったけれど、中学のころのジャージをパジャマにするなんて、佑斗も可愛いところあるのね」
「……着替えるからあっち行っててくれる?」
「大丈夫よ。私は気にしないから」
「俺が気にするんだよ!」
朝っぱらからなんとも疲れるやりとりで鮫島を部屋から追い出して、俺はようやく適当な短パンと半袖に着替えた。
「――で、なんでまた今日も来たんだよ。話聞いた感じだとそんなに毎日来るようなふうじゃなかっただろ?」
「だから言ってるじゃない。龍沢さんもいないみたいだったし、ここに来ればあなたと二人きりになれると思ったからよ」
「……」
なんて返せばいいのか分からないから、あんまり素直にそういうことを言ってこないで欲しい。
本当に、困る。
『一方的な好意ほど気持ちの悪いものはない』
そんな言葉をネット上で見かけたことがあったけれど、それが絶対とは限らない。
そりゃあ最初のうちは、幼少期の俺にトラウマを植え付けてたやつが俺のことを好きだなんて、なに言ってんだって感じだった。
でも、それなりに話したり接している中で彼女が悪い奴じゃないってことも分かってきたし、そんな可愛い女の子に言い寄られたらそこまで悪い気はしない。
だからこそ、本当に困ってしまう。
鮫島は誰が見たって可愛くて魅力的な女の子だろう。なにも知らない人が見たらきっと琴葉とだっていい勝負で、そこから先は好みの問題とかそういう領域になってくるんだと思う。
ただ、俺は違う。
本人には言わずとも彼女のことを可愛いとは感じるけれど、ただそれだけで。友人としてもっと仲良くなっても良いかなと思うことはあれど、彼女が望むような関係になろうだとか、そういうふうにはどうしても思えない。
俺がそういう関係になる将来を思い描く相手はただ一人で—―いや、その女の子とのそういう関係を本当に望んでいるのかと訊かれると今の俺にはまだ分からないけれど、それでも、これから先ずっと一緒にいたいと、いるんだろうと、いるんだと、そう思える相手は彼女ではないのだ。
「ちょっと、黙られるとこっちが恥ずかしいのだけれど」
「……だったら返答に困るようなことを言ってくれるなよ」
俺の言葉を聞いて、彼女は温かい寂しさを孕んだような、複雑な表情をした。
それから――。
「ねぇ、佑斗。ちょっと、散歩にでも行かない?」
なんとも言えない儚い笑顔で、それだけ言った。
俺の返事は分かっているようだった。
◇◇◇
何か覚悟を決めたような、そんな横顔だな、と。
青々と生い茂る稲に囲まれた
そして、この夏休みの間にちゃんとしないといけないと考えていたけじめをつけるのは、きっとこれから、すぐのことなんだろうとも悟った。
小さい頃、よくばあちゃんに連れられて歩いたこの畦道を鮫島と二人並んで歩くだなんて、思ってもみなかった。このまま少し行くと公園があって、昔はよくそこでブランコに揺られたものだ。
「ちょっと、休憩しましょうか」
「うん」
一本道の終わりにあった小さな公園を見つけて、鮫島は額の汗をハンカチで拭い木陰にあったブランコに腰を下ろした。
簡単な滑り台とシーソー、それとブランコしかない田舎らしい公園からは、昔あった回転式のジャングルジムが姿を消していた。それでも自動販売機くらいは端に佇んでいたので、適当な飲み物を二つ買って、ブランコに座っている鮫島に渡してやる。
今日も太陽はやる気満々で、家からはほんの十分歩いただけなのに喉がからからだ。
「……ありがと」
「うん」
差し出したスポーツドリンクを受け取った彼女を横目に、俺は炭酸ジュースの缶を開ける。琴葉は炭酸があまり得意ではないけれど、もしかしたら鮫島はこっちのほうが良かったのだろうか。
そんなちょっとしたことも俺は知らないんだな、と改めて思わされて、それが少し申し訳なくもなる。
「ねぇ—―」
日陰に吹いた生温い風と一緒に、長い黒髪を
そして、言う。
「答えを焦る必要なんて、ないと思うの」
「…………へ?」
ちょっと予想をしていなかった言葉に、思わず気の抜けた単音だけが風に攫われた。
なんというかこれからする話って言うのは、その答えとやらを伝えるようなものだと思っていたし、答えを焦るもなにも、最初から答えはひとつしかないんじゃないのか?
鮫島の言っていることが、よく分からなかった。
「言い方が悪かったかもしれないわ。すべてのことを無理にはっきりさせなくたって、全部をちゃんとしようとしなくたって別にいいんじゃないかしらと、そう言いたかったの」
理解が追いついていない俺に一つひとつ説明するように、彼女は丁寧に言葉を紡ぐ。
「学園祭期間に私が言ったこと、覚えてる? あなたのことが好きだって」
『――佑斗、私がその……あなたのことを好きだって、気づいてるわよね?』
夕陽に頬を染めた彼女の顔が—―俺が琴葉から受ける日常的な『好き』以外でされた人生で初めての告白の場面が、鮮明に頭に浮かんだ。
黙って首肯した俺に、鮫島は「そう」と続ける。
「あのときは勢いで言ってしまったけどね、別に私は答えが欲しいわけじゃないのよ。佑斗からすれば私と恋人になるなんてことはまったく考えられないかもしれないけれど、それは嫌でも分かってしまうのだけれど、でも、それをわざわざ口にして欲しいだなんて思ってはいないの。言われなくたってそんなことは知っているから」
「でも—―」
「――でも、それはただ答えを先延ばしにしてるだけじゃないかって、そう思う?」
ようやく彼女の言いたいことが分かり始めた俺の口を塞ぐように、俺の心の声を彼女は口に出した。
そうだ。鮫島が行った通り。それはただの先延ばしじゃないか。
俺が今まで、答えを出さないといけないんじゃないかと心のどこかで引っかかってはあえて考えないようにしていた、そういうことと同じじゃないか。
これから何があったって鮫島は俺にとっての琴葉にはなれないし、俺もその逆にはなれない。だけどそれじゃあ、彼女の想いはずっと宙を彷徨うだけになってしまう。それはきっといいことではないと思う。
だから。
「そう、思うよ。これから先、なにがあったってきっと、俺は鮫島が望むような相手にはなれないと思う。そんな相手を、叶わない想いを抱え続けることはたぶん、鮫島のためにならないとも思う」
もう、これは答えだ。
彼女が言わないで良いと、いや、言わないで欲しいと思った答えそのものだ。
それでも、言うべきことだったんだと思う。彼女に踏ん切りがつくように。想いにけじめがつけられるように。俺がちゃんとすべきところを、ちゃんとするために。
この数か月、しつこいくらいにちょっかいを出されて、付きまとわれて、それでも関わる中で彼女が悪い人間ではないのだと感じた。今まで琴葉以外とはほとんど関わってこなかった俺にも話すような友人が何人かできて、その中の一人には彼女も入っていたんだと思う。
その中で、彼女にただつらく当たるのは、彼女の想いを無下に扱うのは良くないんじゃないかとも少し考えた。そうしてほんの少しだけれど、接し方を変えてみたりもした。でも、それじゃあ駄目なんだ。俺にとっても鮫島にとっても。
俺はなにをしたって琴葉が一番だし、鮫島が作ってくれた弁当がどんなに美味しくたって、琴葉の弁当が一番だと言いたい。これからの俺と琴葉の関係がどんなものであるとしても、俺は何があったって琴葉の手を取りたい。
それだけは、はっきりさせておきたかった。
態度ではなく、しっかりと言葉にして伝えて、そうすれば鮫島だって諦めるはずだ。
そう、思った。
大きく息を吐いて、彼女は空を見る。夏の公園によく映える、きれいな横顔だった。
「佑斗、ひとつだけ言っておくわね」
少し震えた声に、俺は静かに耳を傾ける。
「私はあなたの答えを聞いたら、この気持ちに踏ん切りがついてしまうから聞きたくなかったわけじゃないの」
「え……?」
ひゅう、と夏の風が少し冷たく感じられて、それから、立ち上がった彼女と一緒に言葉は押し寄せてきた。
「私はただ、わざわざ口に出して拒否されたくなかっただけなの。自分でも分かっている事実を好きな人に突きつけられたくなかっただけなの! そんなことで私は諦めたりなんてしないけれど、それでもあなたからそういうことは言われたくなかったの! 一度や二度振られたくらいで簡単に踏ん切りがつくほど安っぽい想いじゃないわよ、私の気持ちは。馬鹿にしないでもらえるかしら! あと、言わせてもらうけどね、私がどこで何を思って何をするかは私が決めるの。私がしたいことは私のためにするの。私のためになるかどうかだなんて他人が判断する事じゃないしできる事でもないのよ、佑斗。あまり思い上がらないで!」
……ひとつだけじゃないじゃん。
変に落ち着いてそんなことを思った俺を殴るように、もう一度風が吹く。
「ほら、帰るわよ!」
「……はい」
しばらくして一気に缶の中身を飲み干した彼女は、また足を踏み出した。
言いたいことをすべて吐き出してすっきりしたのか、鮫島は今までで一番といってもいいほど晴れやかな表情で畦道を引き返す。
右も左も田んぼで、水路にはアメンボが浮かんでいて。そんななんとも言えない夏の香りに誘われてか、彼女は鼻歌交じりで歩くテンポを上げて俺の前に出ると振り向きざまに笑った。
「――佑斗、好きよ」
なっ……⁉
俺が受けた人生で二度目の告白は、完全に不意打ちだった。
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