第19話 自分の知らないところで、人と人とは繋がっている。(1)


     ◇◇◇


 漫画なんかを読んでいると、主人公の家は両親ともに健在なはずなのにいつも母さんや兄弟しかいなくて、その家族の父さんはいったいどこに行ってしまったんだと思わされることが多々ある。


 現実を見てみれば父さんは毎日夕飯ごろには帰って来て、休みの日には家にいるという家庭の方が多いだろうし、実際、俺の家もつい五年前まではそうだったのだけれど、今、うちの父さんは単身赴任をしている。確か赴任先は大阪だったと思うけど、そんな話はどっちでも良くて。


「佑斗、唯。行くぞー」

「「はーい」」


 なぜ唐突に父さんの話をしたのかというと、昨日から少し早めのお盆休みということでこっちに帰ってきているからだ。


 会うのはゴールデンウィーク以来で、これから向かう先はそう遠くもない県内の父さんの実家。つまりは俺のじいちゃんちだ。


 琴葉とのボーリング&カラオケデートから週も明けて、今日は琴葉とも話していたじいちゃんちに行くことになっていたまさにその日。


 そんなこんなで、俺たち立花家の面々は車に乗り込んだのだった。



     ◇◇◇



「あらあら、よく来たねぇ」

「ばあちゃん、久しぶり。もう具合は大丈夫?」

「平気だよ。もうすっかり元通りさね」


 チャイムを鳴らした俺を玄関で出迎えてくれたのは、ばあちゃんだった。


「お義母さん、良かった。だいぶ調子も良いみたいで」

「なに言ってるの、元々たいした怪我じゃなかったのよ。ちょっと転んで腰を打っただけだったんだから、わざわざ入院するまでのことでもなかったの。そんなこといいからささ、中に入って」


 続いて母さんが会話を交わして、そのまま家の中へと入っていく。


 ばあちゃんは四月に交通事故に巻き込まれて、それから何日か入院していた。そのときには母さんがお見舞いに行って、それからゴールデンウィークには父さんと母さんで様子を見に来ていたらしいけれど、俺としてもちゃんと顔を合わせてばあちゃんが元気なことを確認できたので一安心だ。


「あれ、親父は?」

「おとうさんは畑にいってるよ。たぶん一時間くらいで帰って来ると思うけど」


 ふーん、とだけ言って、父さんは仏壇に線香をやる。


 じいちゃんちの見た目はお屋敷とまではいかないけれどけっこう立派な日本家屋で、線香の匂いが普段よりも心地よく感じられる。居間の窓にはなんの植物か分からない緑のカーテンが張ってあって、エアコンはついてないのにどこか涼し気だった。


「今年は、泊まっていくのは佑斗だけなんだって?」

「うん。私は夕飯食べたらお父さんたちと一緒に帰るよー」

「そうかい」


 毎年、俺と唯は二人してここに何日か泊まっていくのに今年はそうではないということで、ばあちゃんはいつもより少し寂しそうに言う。唯は明日、和葉とどこかへ出掛ける約束をしていたらしいので、ばあちゃんには悪いけど仕方ない。



「まあ、また佑斗を迎えに来るときにも連れてくるからさ」



 父さんの言葉を聞いたばあちゃんは立ち上がって、それから飲み物を準備しにか台所へと向かった。


 考えてみると、琴葉と今日から三日間、会うこともないのか。


 畳に仰向けで寝転がりながら、ふとそんなことを思う。


 学園祭前に喧嘩をしていたときだって顔を見ることはあったし、普段から土日だってどっちかの家で会ったりしている。琴葉のじいちゃんちはここからすぐ近くで、三日後には来るという話ではあったけれど、こうして物理的に距離ができて、何日か会えないとなると寂しくもなってくる。


「はい、唯は梅じゃなくてしその方が良いんだったね?」

「うん。ありがと」


 そうこうしているうちにばあちゃんがお手製の梅ジュースとしそジュースを持って、戻ってきた。


 たまにジュースを飲んで、畳の上でだらだらと過ごして、時々コップの中の氷がからんと鳴って。時間だけが、流れていく。


 車で家から三十分ほどなのに、ここへ来るといつも時間の流れが外の世界とは違うように感じられて、そんななんとも言えない感覚が、昔から俺は好きだった。


「ちょっと日向ぼっこしてくる」

「じゃあ廊下に敷いてある布団、そのまま使っていいよ」

「はーい」


 部屋を出て、ばあちゃんが言った通りに南向きの窓際の廊下に敷かれた布団へ体を預ける。


 布団からは家のベッドにはないお陽さまの匂いがして、なんだか気持ち良くなった俺はそのまま、夢に沈んだ。





    ◇◇◇



『もー、りっかちゃんなんでもひとりじめするからやだ! きらい!』



 今はもうはっきりとは思い出せない、けれど保育園時代、同い年にいたのであろう子が、そんな言葉を言い放ってそっぽを向いた。そして、その子に賛同した周りにいた子どもたちもだんだんと、そこから散り散りに離れていく。


 そんな中に取り残された女の子がたった一人。



 俺は確か、あのとき――。



 はっと、何かが伸ばした手をすり抜けていったような感覚と一緒に、俺は目を覚ました。寝不足だったわけでもないのにだいぶ寝てしまったようで、陽はだいぶ傾いていた。


 これまで琴葉が夢に出てくることなら数えきれないほどあったけれど、鮫島が出てくるなんて彼女が転校してきた日に学校の机の上で見た夢以来だ。


 なんとも言えない夢の余韻に浸っていると、それを壊すかのように玄関の呼び鈴がなる。


 なにか、変な予感がした。


 もしかしてと、恐るおそる玄関まで足を運び、ばあちゃんが開けた扉の先に視線をやる。



「回覧板です」



 そこに立っていたのは、近所のおばあさんだった。



「(そりゃそうか)」



 俺は思わず、そんな言葉を漏らす。何の根拠もなく、そこに鮫島が立っているんじゃないかだなんて急に思った自分が今さらながら不思議で仕方ない。


 本当に、どうしてしまったんだろうか。


「――じゃあ、私たちはそろそろおいとましますね」

「あぁ、気をつけてね」

「安全運転で帰るんだぞ」

「大丈夫だよ」

「ごちそうさまでした、お義母さん」

「じゃあね。おじいちゃん、おばあちゃん」


 それからは特になにか変わったことが起こるでもなく、また畳の上でテレビでも見て過ごして、ばあちゃんお手製の夕飯を皆で食べて、その少し前に帰ってきたじいちゃんとばあちゃんに見送られて母さんたちは帰って行った。


 じいちゃんちへ来ると、何もせずにゆっくりする時間ができて、いろいろと考えごとをしてしまう。


 鮫島と言えば、そうだった。近いうちに、彼女の気持ちに自分の言葉で応えなくてはならないと、そう決心していたんだった。近いうちではなくて夏休み中に、なにか奢るという約束をしたのでそこで、ちゃんとしないと。


 琴葉と海へ行ったり、遊びに行ったり、はたまたアルバイトをしたりですっかり頭の隅に追いやってしまっていたけれど、それはしっかりけじめをつけなければいけないことのはずだ。


 鮫島のためにも、自分のためにも。


 大きくひとつ息を吐いて、目を瞑る。


 さっき見た夢。あれは、俺が――俺たちが入園式を終えてから、初めて保育園に行った日のことだった。 


 それぞれが好きなように遊んで、初めて会う子と仲良くなって。そんな中、おもちゃを独り占めしようとした鮫島が、他の子どもたちから距離を置かれてしまった。


 そのときの記憶、そのままだった。


 ついさっき夢に見るまで忘れていたけれど、その時の俺は確か、彼女に手を差し伸べた。



『――いっしょにあそぼ?』



 それだけ言って、その日は二人だけで遊んで、次の日からは何もなかったように他の子も一緒に何人かで遊ぶようになったはずだ。


 ただそれが彼女の高飛車に拍車をかけてしまったのか、俺はそのうち酷い扱いをされるようになって、しばらくして、琴葉と仲良くなった。


 それから鮫島とはあまり関わるようなこともなく、小学校も中学校も同じではなかったので、卒園してから次に再会したのは高二の四月。鮫島が転校してきた、つい数か月前のことだ。


 改めて思い返してみても、保育園時代に彼女に好意を持たれていたと思えるようなエピソードはないし、やっぱりなぜ俺を好いてくれているのか、それはどうにも分からない。


 でも、ただひとつ――想いにはちゃんと応えなくちゃいけないということだけは分かる。それが、彼女の望む答えではないとしても。


「佑斗、私たちはそろそろ寝るよ」

「布団はいつもの部屋に敷いといたから、あんまり夜更かししないようにするんだよ」

「うん。俺ももう寝るよ。おやすみ」


 日付がまわるよりも少し早く、何度同じことを考えてもやはり同じ結論にしか行きつかなかった俺は、二人に挨拶をして布団に入った。


 眠る前に目を瞑って、瞼の裏に一番に浮かぶのはもちろん琴葉の顔。


 それがこの夏休みで鮫島に伝えなくてはならない、俺の想いで俺の答えなのだと、改めて強く思った。



     ◇◇◇



 慣れない布団や枕だといつものように眠れないという意見は俺にも理解できるけれど、じいちゃんちの布団はよっぽどいいものなのか、いつも寝すぎてしまうくらいに熟睡してしまう。


「……なの? じゃあ…………なのねぇ」

「……なんですよ」


 じいちゃんちに来て二日目の朝。俺は、居間から聴こえてくるテレビの音と、誰かの話し声でだいぶ遅い起床をした。


 スマホの画面を見て確認したところもう十時半。聴こえてくる声は女の人のものが二つなので、おそらく近所のおばちゃんでも来ているのだろう。


 目を擦りながら洗面所に向かい、少し調子の悪い蛇口を捻って顔を洗う。ついでに何度か口をゆすいで、それから俺は、居間へと向かった。


「おはよう、ばあちゃん」

「あぁ、おはよう。あ、佑斗。こちらお客さんの――」

「「え」」


 そして、ばあちゃんに紹介されるまでもなく知っていた彼女と目を合わせて、間の抜けた単音とともに俺の覚めかけていた意識は完全に覚醒した。


「な、なんで鮫島がここにいんだよ⁉」

「な、なんで佑斗がここにいるのよ⁉」

 

 そこには、つい昨日夢に見たばかりの女の子――鮫島六花が、当たり前のように座っていた。


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