第14話 幼馴染との二人きりの海に、今までとは少しだけ違う夏を感じた気がした。(4)


     ◇◇◇


「じゃあゆーくん、オイルを背中に塗ってもらってもいいかしら?」

「琴葉、キャラと口調が合ってないよ」

「細かいことは気にしないの! ちょっと言ってみたかったんだよ!」

「はいはい。じゃあシートに寝ころんで」


 砂が引っ付いた体を洗いつつも浅瀬でまただらだらと過ごして、それからテントに戻った俺は予備でもってきていたシートをテントの外に敷いた。


 特に理由はないけれど、あえて言うとしたらサンオイルを塗る的なことはやっぱりお陽さまのもとでするのがデフォルトかな、とか思ったからだ。


「てか良いの? 琴葉の肌、色白で綺麗なのに」

「ん……? だから塗るんじゃん。良いから塗ってぬって」


 俺が敷いたシートにうつ伏せになった彼女に、俺はオイルを塗っていく。個人的には少し躊躇する気持ちもあったけれど、本人がああ言うなら問題ないんだろう。考えてみれば小麦色に日焼けした琴葉というのも見てみたい。絶対に可愛い。


 途中で琴葉が上の水着の紐を取ろうとしてきたので、紐一本くらい別に外さなくても大丈夫だよと伝えると少し残念そうだった。きっと漫画みたいにやってみたかったんだろう。分からんけど。


 ともかく、背中周りやふともも、ふくらはぎとだいたい塗り終わり、あとは自分でと琴葉にサンオイルを渡す。


 琴葉はお腹や膝周りに自分でオイルを塗っていき全身隈なくてかてかになると、またうつ伏せになってすやすやと昼寝を始めた。


 そういえば、肌を焼きに海へと来る人って一定数いるんだろうけど、そういう人たちってどうやって全身均一に日焼けしているんだろう。俺のイメージだとサングラス掛けて日焼け用の椅子だとかシートに座ったり寝ころんでいるイメージが強いけれど、それだと前と後ろどちらかしか焼けないだろうし。うつ伏せで背中側が焼けたら今度は仰向けになって、というようなことをしているんだろうか。もし日焼けで肌が剥けたりしてたら痛そうだな……。


 そんなことを考えながら琴葉を眺めているうちにこっちまで眠くなってきたので、俺はテントに敷かれたシートで横になることにした。


 目を瞑ると聴こえてくるのはカップルや学生だけのグループ、家族連れの話し声と波の音。楽しそうに笑っていたり、転んでしまって泣いていたり、キャッハウフフとはしゃいでいたり。誰もがこの夏を満喫しているようで、目で見なくとも光景が頭に浮かんでくる。


 時折吹く潮風も心地よくて、なんとなく薄く瞼を開けて、閉じて――。


 次に目を開いたときには、数十分が過ぎ去っていた。



「…………えっ⁉」



 視界に飛び込んでくる明るい光にも慣れて、そぐそこに寝ていたはずの琴葉に最初に目をやって、思わず声が飛び出る。彼女の背中が、それはもう綺麗な小麦色に染まっていたからだ。


「琴葉⁉ めっちゃ焼けてるよ⁉」

「ん……なになに? どしたのゆーくん……?」


 一方、当の琴葉はまだ目がしっかりと覚めていないようで、寝惚ねぼまなこを擦りながら、きょろきょろとあたりを見渡していた。



「ほら、こんなんになってるよ」



 琴葉が一向に起き上がろうとしないので、スマホで彼女を撮ってありのままの現状を見せる。


 すると――。



「え、なにこれ⁉ 私、なんでこんなに焼けてるの⁉ って痛ッッ!」



 お腹側とは比にならないくらい綺麗に焼けた背中の写真に驚いた琴葉は勢いよく起き上がって、それからぴょんぴょんと砂の上を跳ねた。


「ねえゆーくん、どういうこと? なんでこんなに日焼けしてるの? サンオイル塗ったのに!」

「いや、なんでってそりゃサンオイルを塗ったからでしょ」

「え?」

「え?」


 日焼けした背中はヒリヒリと痛むらしく、時折表情を歪めながらも俺に説明を求めてくる琴葉。しかし、俺たち二人の間には何かすれ違いというか認識の違いがあったようで、二人して目を見合わせて、しばらく時が止まった気がした。


 そもそも、サンオイルを塗ったんだから日焼けするのは当然なわけで、それでなんでこんなに日焼けしているのか、という質問の意味がよく分からない。むしろ日焼けをしたかったからオイルを塗ったんだろと、そういう話だ。


 それなのに、琴葉はなぜかあんな質問をした。


 ほんの数瞬で、俺は思考を巡らせた。


 そして、普通に考えたら絶対にないであろう――ただ、琴葉ならありえてしまいそうな結論に辿りつくことができた。


「えっと……琴葉さ」

「うん。なに?」


 いやぁ、そんなこともあるんだなぁと息をひとつ吐いて、俺は言う。



「――もしかして、サンオイルを日焼け止めと同じようなものだと勘違いしてる?」

「え……」


 潮風に攫われた彼女の単音が、すべてを物語っていた。



     ◇◇◇



「ヒリヒリするぅ……」



 あれから、背中だけ日焼けしたままだと琴葉がオセロになっていまうということで、今度は仰向けでも同じように三十分ほど肌を焼くことになった。


 その間、俺は特にすることもなく、琴葉と適当に駄弁りながら時間を潰した。


 ちょうどよく表も裏も小麦色に焼き上がったころにはもうおやつ時を過ぎていて、最後に少し海に入って、そしたら帰ろうということで今である。


「さっきちょっと調べたら、日焼け後はしっかり冷やした方が良いらしいよ。塩水でっていうのはありなのか分からないけど」

「うぅ……サンオイルが日焼けするためのものだったなんて知らなかったよぅ……。教えてよ、ゆーくん」

「いや、サンオイルを日焼け止めと同じものだって思う人がいるってことの方が知らなかったよ」

「むぅ……」


 外から見る分には皮が剥けているわけでもないし、比較的綺麗に焼けているように見えはするが、それでもけっこう痛むらしい。琴葉は海の中を彷徨いながら時々うめき声をあげて、最後には俺の腕に縋り付いてきた。


「まあでも、こんなに日焼けした琴葉っていうのも新鮮だし。イメチェンだと思えばけっこうありじゃない? 俺は日に焼けた琴葉も結構好きだけど」

「むぅ……」


 なんとも言えない反応の琴葉を連れて、そろそろ海から上がることにする。


「あ、そうだ。水着で写真撮ろうよ。二人でさ」

「……うん。撮る。撮ろ!」


 テントを畳んでしまう前に、スマホを取り出してツーショットを撮る。インカメにしたときや画面が黒くなっているときに自分の顔が映るとなんだか気まずくなるけれど、今回は横から覗き込んでいる天使の顔も画面に映し出されているので、そんな変な空気にもならない。


 砂浜と海も背景としてしっかり写るように、角度を少しずつ変えてちょうどいい位置を探していく。


「よし、じゃあ撮るよ。ハイ、チーズ」

「ゆーくん、もう一枚!」


 琴葉に言われて、もう一度。



「ハイ、チー――」



 ――ズ。


 シャッター音は一度目と同じパシャリではなく、もっと短い。


 チュッ、という可愛らしい乾いた音と一緒に、頬に柔らかい感触が走った。



「…………」



 ふぅ。もう海ともさよならか。今日一日、あっという間だったな。やっぱり県外に日帰りで行くとなると慌ただしくもなるし、今度はもう少しゆっくり出来たらいいなぁ。



 うん。



 もしできるなら泊まりとか……って、それはさすがに高校生には無理か。



 うん。



 ……うん。



 …………うん?



「…………ッッ琴葉⁉」

「う……浮島までの競争、ゆーくんが勝ったから」


 勝ったから、ご褒美ってこと⁉


 夏の海水浴場の陽射しも加わってか、顔はどんどん熱くなる。


 熱が、加速する。


 目線を泳がせて手元のスマホに落とせば、そこには完璧なタイミングでのツーショットが一枚。


 いや、落ち着けって。つい四、五年前まで一緒に風呂にも入っていて、一緒の布団で寝たりなんかもしていて、間接キスだっていつもしてるじゃないか。学園祭でなんて、その……マウストゥマウスだったし、劇が終わった後にだって頬っぺたにキスくらいされている。もっと前に遡れば昔は普通にキスされていたし、していたはずだ。


 だけど、どんなに今までのことを思い返したって、顔から熱は引いていかない。


 学園祭のときですらそんなことはなかったのに、なぜだか今は、今回は特別なようだった。


「ゆーくん、帰ろっか」

「……うん」


 琴葉の言葉で、ひとまず片付けを始める。


 琴葉が砂を払いながらシートを畳んで、荷物をまとめて、その間に俺はスコップを借りてきて、引っこ抜いたパラソルを返却しにいく。十分も掛からずにすべて片付け終えてテントも畳み、更衣室で水着から着替えて――。


 その間中、琴葉のことがずっと頭から離れなかった。


 これまでも琴葉のことが頭から離れたことはなかったけれど、そういうことではなかった。


「お待たせ、ゆーくん」

「うん」


 小麦色に染まった肌を白いワンピースで着飾って、琴葉が更衣室から出てくる。


 来たときとはまた一味違って、でも、白のワンピースにはこっちの方が似合うんじゃないかと、そんなことを思った。



「あ、ちょうどバス来たみたいだね」



 最寄りのバス停まで、歩いて数分。ちょうどのタイミングで着たバスに乗り込み、駅へと向かう。


 それまで横を歩く幼馴染に見惚れていた俺は結局、ワンピース姿の彼女と海とのツーショットを撮影し損ねた。




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