第9話 ようやく夏休みに辿りついたのに、前半は雨続きだったりする。(2)


     ◇◇◇


「で、先輩。アルバイトをするのになんで女連れで来てるんですか。バカなんですか」

「いや、だからさっきから説明してる通りなんだけど……」

「よろしくね、陽菜ちゃん!」

「……」


 七月の終わりが見えてきた、そんな平日の昼過ぎ。俺たちは陽菜の部屋に三人で集まっていた。


 少し能天気なくらいな琴葉の声の余韻に、時計の針の音だけがチクタクと呼応する。


「えっと一応、お母さんにも話をして、陽菜が良いって言えば琴葉も家庭教師として雇ってあげるとは言ってくれてるんだけど」

「良くないです。全然良くないです! だいたいお母さんもお母さんで、なんでそんなことを」

「……たぶん、陽菜の成績がかなりやばいからだと」

「…………」


 再び沈黙。


 机の上に出された人数分よりひとつ少ないコップに入った氷が、からんと小気味い音を立てた。


「とにかく! 私は認めませんから。家庭教師なら先輩一人で十分間に合ってます。それに、琴葉さんはどちらかというと教えてもらう側だと思います!」

「それは……」

「いや、ゆーくんそこは否定して⁉」


 なんとも言えない空気のまま、時間だけがゆっくりと流れていく。


 そもそも、なぜこんな――琴葉も陽菜の家庭教師をやるというような状況になったのか。いったん整理しよう。


 そう。それを説明するには、それなりの時間が必要に――。



『――もうアルバイト見つからないしさ、ゆーくんの家庭教師カテキョー先で働かせてもらえないか頼んでみてよ! もしなんなら二人で一緒に教えれば仕事中も一緒にいられるし!』



 ……ほんの一瞬で大丈夫だった。


 三日ほど前だろうか。琴葉がちゃんとバイトを探すと宣言してから、数日が経った頃。


 いつものように俺の部屋へとやってきた彼女がナイスアイディアとばかりに嬉しそうに言ってきて、そして、俺は前回の家庭教師のときに陽菜とそのお母さんに軽くその話をした。陽菜のお母さんは少し考えこみ、「二人で一緒に教えてもらうとしても今と同じ金額しか出せないけど……」と前置いてから、陽菜が良いと言えば良いという答えをくれたのだった。


 琴葉が一緒に家庭教師をしたとしても金額的にもらえる額が増えるわけではないが、それでも自分で使う分を自分で稼ぐということが重要だろうということで、俺はその旨を琴葉に伝えて、今に至る、だ。


 特に整理するほど複雑な事情もなかったが、一応これまでのことを一通り回顧し終えて、それから机上の烏龍茶を一口、啜る。


「とりあえずさ、今日はお試しってことで頼むよ、陽菜」

「むぅ……まあ、先輩がそこまで言うんだったら……今日だけですけど。じゃあ飲み物準備してきます」

「悪いな」


 ともかく、なんとか陽菜を説得出来た。陽菜の家に来てから十分以上だらだらと話してしまったけれど、これでようやく勉強が始められるというものだ。


「先輩、やっぱりこの問題よく分からないです……」

「あぁ、これはまずは式の形を覚えちゃうんだよ。直線の式って言われたらこの形で、aが傾き、bが切片だって。まずはそれからだね」

「陽菜ちゃん、最初のうちはaとかbって言われてもなかなかピンとこないから、もっとなんとなくで覚えた方が良いかもよ? 式のこの場所に傾きが入って、後ろのところにはxがゼロのときのここの値が入る。みたいに」


 いつも通り陽菜が問題を解き進める中で出てきた疑問点に俺が答えて、それを琴葉が見守るという形式でしばらく進めていると、琴葉が俺の指導に付け足すようにようやく口を開いた。


「私は昔、定数を文字で置くっていうのが全然イメージできなかったから、あえて文字で考えないようにしてたんだ」

「なるほど。確かにそっちの方がやりやすいかもですね……」


 陽菜は琴葉の助言でなにかを掴めたのか、問題集を相手にすらすらとシャーペンを動かし始める。それからも時々、琴葉が俺の返答にさらに付け足す形で助言をして、それは思いのほか陽菜にも分かりやすいようだった。



「――終わったぁー」



 一度休憩は挟んだが数時間があっという間に過ぎ、家庭教師の時間が終わった陽菜が大きく伸びをして後ろに寝ころぶ。可愛らしいおへそがちらりと顔を覗かせているが、言うとまたセクハラだあなんだあと言われそうなので触れないでおこう。


「で、どうだった? 見てる感じだと琴葉の教え方のほうがむしろ俺より良いくらいに見えたけど」

「……先輩より良いってことはないですけど。まあ、勉強があまりできない人っぽい教え方というか、勉強があまり得意じゃない私にも少なからず共感できるようなことがある教え方でした」

「あれ⁉ 私、貶されてる⁉」


 なんでか言い方こそちょっと棘はあるものの、かなり分かりやすかったんだろう。正直な話、いつもより良いテンポで問題が解き進められていたと思う。


「じゃあ、これからも――」

「――それはちょっと」

「なんで⁉」

「冗談です。二回……三回に一回くらいの頻度で、琴葉先輩が来るときにもちゃんと先輩が来てくれるなら、まあ良いです。実際、思っていた百倍くらいわかりやすかったですし」

「それは流石に私の期待値低すぎない⁉」


 今日は終始陽菜にいじられ続けて、ツッコミ担当の琴葉。思えば昔も、琴葉はよく陽菜にからかわれていた気がする。


「じゃあ、また連れてくるってことでよろしく。次は……明後日でいいんだっけ?」

「はい。明後日に、同じ時間でお願いします」

「了解」


 少し残っていた烏龍茶を飲み干して、俺たちは階段を下る。


「(明後日はちゃんと、先輩だけで来てくださいねっ! あと、女子中学生のおへそ見るとか、セクハラですよ)」

「(おまッッ……知って……⁉)」


 玄関での見送り際、俺にだけ聴こえるように耳元で囁いた陽菜は、二つ下とは思えないほどに小悪魔感満載だった。





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