第8話 ようやく夏休みに辿りついたのに、前半は雨続きだったりする。(1)

     ◇◇◇



「そういえば先輩は、なんでバイトしようと思ったんですか?」



 夏休みに入って早一週間。曜日感覚がなくなってきたのを見計らったようにやってきた土曜日に、俺はアルバイトをしていた。


「いや、せっかくの夏休みだし、海にでも行きたいと思ってさ。遠出するとお金も掛かるし、稼ぎたいなぁって」

「海かぁ……いいなぁ」


 もう完全に打ち解けた陽菜が、遠い目をして言う。夏休みが始まったら空いている日はできるだけ入ってほしいと言われて、今日で怒涛の六連勤。


 毎日のように顔を合わせているうちに俺の呼び名からは名前がするりと抜け落ちて、ただの『先輩』へと変わっていた。


「っていうか梅雨、ちゃんと明けるんですかね」

「明けない梅雨はないよ」

「それ、夜ですよ」

「ここ、間違ってるぞ」


 くすっと笑う陽菜の手元をシャーペンで示して、雑談もそこそこに仕事に集中する。ここ最近の雨雲と同じように、俺は真面目な働き者なのだ。


 昼過ぎの一番眠くなる時間帯なので、時々うとうとしそうになる陽菜に喝を入れながらビシバシと教えていく。学力はともかく、やる気がちゃんとある子ではあるので、俺としてもちゃんと教えてあげたいと思わされるのがまだ救いだ。


 ……学力はともかく。


 もしも本人にやる気がなかったりなんかしたら、俺としてもモチベーション駄々下がりだっただろう。勉強だとかスポーツだとかなんにしたって、こういうことは本人次第なところが大きいと俺は思う。


 もちろんお金をもらってやっていることなのだから誠心誠意、最大限の努力は惜しまないけれど、それでも実際に試験を受けるのは、問題を解くのは俺じゃない。


 だから、本人が本気で頑張ってくれないと家庭教師として結果を出すのは難しいです。


 そんなようなことを、初日に陽菜のお母さんにも話していた。


「ちょっと休憩にしようか」

「ふぅ……疲れたぁ」


 勉強を開始してから一時間と少し。そろそろ集中力も切れる頃かと思って提案すると陽菜は大きく伸びをして、それから机の隅においてあったお茶菓子の袋を開けて食べ始めた。


「ふぇんぱいもはべまふ?」

「……じゃあひとつだけもらおうかな」


 口一杯におかきを詰め込んだ陽菜からひとつ受け取って、俺も袋を開ける。正直、米菓べいかは大好物なので、ちょっと嬉しい。


「先輩、さっき言ってた海って、誰と行くんですか?」

「え?」


 唐突にさっきの話を蒸し返されて、言葉に詰まった。


 こういうバイト先というかなんというかとにかくそういうところで、「女の子と二人で出掛けるんだー」みたいな話をするのはどうなのかとも思ったし、琴葉と二人で海に行くという事は、なんとなく二人の秘密にしておきたい気がしたからだ。


 それを抜きにしても中学生相手に自分のことをひけらかそうとは、どうしても思えないし。


「もしかして、彼女さんとかですか?」

「えっ……いや、彼女ではないけど」

「ふーん。っていうか先輩って、彼女いるんですか?」


 どうやら陽菜に遠慮だとかそういう概念は存在しないようで、やたらとプライベートなことを訊いてくる。


「いないけど……今は」

「ふーん……」


 やってしまった。


 言って、それから思い返して、一気に恥ずかしさが込み上げてきた。年上としてのちっぽけなプライドなのか、ぼそっと「今は」とか付け足すのは流石にダサすぎる。


 ち、違うし! 今まで彼女がいたことはないけど、俺には琴葉がいるし! 嫁(予定)がいるし! 


 だからそのなんとも言えない目で、口角を吊り上げながら見てくるのやめて! 年上をそんな目で見ちゃいけません!


「そういう陽菜はどうなんだよ。可愛いし中学じゃ引く手数多あまたなんじゃないか?」

「か、かわっ⁉ 急になんなんですか先輩! 教え子を口説くなんてセクハラですよ!」

「なん……だと……?」

「あとそれ、私がたまたま毎週欠かさず読むくらいの少年誌好きだったから伝わりましたけど、そうじゃなかったら女子中学生には通じませんから」

「え……」


 とにかく話題は逸らせたけれど、俺は心に深い傷を負った。


 ……まあでも、ネタが通じてくれると少しほっとはする。


「……ちょっと休憩しすぎたな。さ、続きするよ」

「はーい」


 陽菜の気怠げな返事を合図に、俺たちは勉強を再開した。



     ◇◇◇



「ゆーくんの浮気者っ! 毎日毎日女の子の家にばっか行って! 夏休み入ったらもっと二人でいろいろな所に行こうと思ってたのに!」



 六連勤を終えて五時過ぎに家に帰ると、俺の部屋でプンスカと効果音を出しながら地団太を踏む幼馴染に出迎えられた。


「えっと……琴葉さん。ここ一週間ずっと雨だったから、もし俺がアルバイトに励んでなくてもあんまり夏らしいところには行けなかったんじゃないかな?」

「お出かけできなくても一日中ゆーくんと一緒にいたかったの!」

「えー……」


 ちょっと理不尽なことを言われている気もするけれど、焼きもちを焼いてもらえるというのはなんとも嬉しいことだ。琴葉の口からこんなに甘々な台詞を聴くと、にやけてしまいそうになる。


 しかし俺は全力で顔の筋肉を総動員させて、不満げな声を漏らした。これも二人の将来のため。未来への投資だ。いや、投資ではないか。



「ゆーくんは私とずっと一緒にいたくなかったってこと?」



 むっと可愛く眉間にしわを作った琴葉に、俺は事実を突きつける。


「そんなことあるわけないでしょ。でも琴葉は結局アルバイトを見つけてこなかったし、海とかそれ以外にもいろんな所に出掛けるんだったら俺が二人分稼がないといけないんだから、仕方ないじゃん。俺ももっと二人でだらだらしたかったけど、琴葉がヒモなのが悪い」

「……」


 反論できずに黙り込む姿を見ているとかわいそうにも思えてくるが、それでも仕方がない。将来同棲や結婚をしたときに彼女が本当のヒモになってしまったら、俺はきっと養うことを良しとしてしまう。それなら、今のうちから少しでもその芽を摘んでおくのが吉だろう。


「……私も、バイトちゃんと探す」

「偉い!」

「えへへ……」


 本当は家庭教師の時給が思いのほか良くて、もう現時点で二人で海へ行くくらいのお金は賄えてしまいそうなことは、内緒だ。


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