第4話 負けられない戦いが、そこにはあったりなかったりする。(3)


     ◇◇◇



「午前終わったぁー」



 四限終了の号令とほぼ同時、立ち上がって伸びをした高木と佐々木の声が教室に響いた。


 昼休みが始まり、いつもなら楽しそうに話しかけてくる琴葉も今日はただならぬ空気を纏っている。対照的に、ノリノリな感じで自分の机を俺の机とくっつけ始めているのは鮫島。


 そう。今日はこれから、琴葉が鮫島の口車に乗せられて決まったお弁当バトル(命名:俺)が繰り広げられることになっている。


「ゆーくん、ちゃんとお腹空いた?」

「朝飯食ってないからね」


 いつもより心做こころなしか地面を踏みしめるようにしてやってきた琴葉に訊かれて、俺は答える。今日は朝から家にやってきた琴葉が、「今日は朝ご飯抜いてお腹空かせといて! 空腹は最高のスパイスだから!」と言ってきたので、何も食べずに来たのだ。


 正直腹が減ってなんかいなくたって琴葉の弁当は最高に美味しいし、なんなら一生食べ続けたいけれど、いつにもまして必死な琴葉が可愛かったので何も言わずにおいた。


「あら佑斗、そんなに私の手作り弁当が楽しみだったの? 可愛いとこあるのね」

「違うよ! 六花ちゃんのじゃなくて私のお弁当が楽しみだったの!」

「…………」


 さすがに「いや、琴葉に朝食抜けって言われたから……」とかいうわけにもいかないので、黙って二人の様子を見守ることにする。


「まあ、食べ比べてもらえばはっきりすることね」

「望むところだよ!」


 ダンッ、と。琴葉が持っていた弁当箱を机に置いて、俺を見た。鮫島の視線にも同じように、ロックオンされる。


「おいおい、佑斗。お前いつからそんな主人公体質のモテ男になったんだよ」

「ッ……るせーよ。そんなんじゃねぇ……よ」


 遅れてやってきた瑛太に言い返そうとして、ふと気づく。


 確かに。なんで俺、今こんな状況になってるんだ? やめて二人とも! 俺のために争わないで!


 真面目な話、鮫島が俺に好意を持っているという事は、だいぶ前から薄々感じていた。それから告白とまでは言えないにせよ、本人の口から好きだというようなことを学園祭前に言われて、確信にも変わった。


 ただひとつ、なんで鮫島が俺を好いてくれているのかという事に関しては、納得がいっていない。人を好きになるのに理由なんて必要ないというのも分かるし、琴葉が前に言っていた、保育園時代の横暴な態度が好意の裏返しだったとしても、それから長らく会ってすらなかった俺に高校で再会して、なんで急に好きになるのかが分からない。


 もちろんどんな理由があったって俺が琴葉を大好きで愛しているという事実は変わらないけれど、そういう現状を作っている原因は、どうしても気になってしまう。


 つい最近まで、俺のことを好きになってくれる女の子なんて琴葉しかいないと思っていたし、彼女さえ俺を好いてくれればそれでいいとも思っていた。


 でも、鮫島が俺に好意を持ってくれているというのはどうやら紛れもない事実で、なぜそういうことになったのか、俺は単純に知りたいと思った。


「ちょっと佑斗、なにぼうっとしてるのよ」

「ッ……悪い、ちょっと考え事してた」

「もう、しっかりしてよ。ゆーくんったら」


 二人に言われて、頭を埋め尽くしていた考え事を振り払う。今は考えごとよりも目の前のことだ。


「じゃあ、私のから食べてもらうから。はい、あーん」

「ちょっと六花ちゃん! 抜け駆けはダメだよ!」

「ちょっと……え」


 ぱくっ、と。


 箸でおかずを掴んで俺の口に運ぼうとした鮫島と、それを阻止しようとした琴葉が交錯し、箸から滑り落ちて放物線を描いた出汁巻き卵が俺の口に飛び込んできた。


 そして内心「そんなことある⁉」と驚きながらも、口に入った鮫島の料理を咀嚼した瞬間。びっくりするくらいに心地良い絶妙な風味が口に広がり、鼻から抜けていく。


「あ!」

「どう、かしら」


 悔しそうにする琴葉と少し不安そうな鮫島を見比べて、俺の口から零れた言葉は短かった。



「……美味い」



 これ絶対にお高い出汁を使ってるだろ、とか、出汁と味付けの具合が絶妙すぎる、だとか、普通に料亭で出せるレベルだろ、とか。いろんな言葉が頭に浮かんで、しかしそれらすべてが無駄に思えるほどに鮫島の出汁巻き卵は美味かった。


「やった!」

「……ゆーくん! 私のも! た・べ・て!」


 クールなキャラを置き去りに小さくガッツポーズをした鮫島を押しのけて、琴葉も負けじと自作の卵焼きを俺の口へと運ぶ。



「うん。やっぱり琴葉の卵焼きは安心する味だな。美味しい」



 鮫島の出汁巻きとは違って、牛乳が混ざっているのか明るい色の卵焼き。俺の好みはすべて分かっているんだとでもいうように、甘さは少し控えめな味付けだ。


 毎日でも食べられそうでいてどこか懐かしい、鮫島の出汁巻きとはまた違った、俺の口に卵焼きが帰って来るような安心感がある。



「……なんか違う」



 しかし琴葉は俺の感想に不満があったのか、むすっとして言った。


「え?」

「六花ちゃんのを食べたときと、なんか違う!」


 訊き返した俺に、彼女はさらに目を細める。


「そ、そんなことないよ! 毎日食べたい味だよ! 琴葉の方が!」

「ふーん……」


 圧に負けてまたなんとも言えないようなことをを言ってしまった気もするが、とにかく、機嫌を少しは直してくれたらしい琴葉に一安心して、差し出された弁当箱を受け取る。


 そして、卵料理以外のおかずもどちらも甲乙つけがたい美味しさで、久しぶりに苦しくなるくらいまでほんの五分足らずで食べてしまった。


「ふぅ……ごちそうさまでした」

「「お粗末さまでした」」


 びっくりするくらいぱんぱんに膨れたお腹をさすって、息をひとつ吐く。



「えっと、勝負ってことだったとは思うんだけどさ」



 それからこれだけは言っておきたい、言っておかなくてはならないことだと思い、口を開く。



「どっちのお弁当もびっくりするくらい美味しかった。琴葉はいつも以上に頑張って俺の好きな味付けで俺の好きなものを作ってくれたのが伝わってきたし、鮫島のは店で出てきてもおかしくないくらい美味かった。だからさ――」



 甲乙をわざわざつけなくたっていいんじゃないかと、身勝手ながらに思ってしまった。そのくらい、二人の料理はどちらも素晴らしかった。


 だから――。


「もう、分かったわよ。私のお弁当の方が美味しかったけど、龍沢さんが悲しんじゃうから気を遣ってるんでしょう? まったく、しょうがないわね」

「……いや、そうじゃ――」

「違うよ! 私の料理の方が一生食べ続けたいくらい好きだったけど、六花ちゃんを傷付けないようにって思ったんだよ! ねっ、ゆーくん!」


 いや、そういうわけでも……。


 それからはああだこうだの応酬で、ただ、二人が存外仲良くやっているようでなんだか安心した。


「おい佑斗、ちゃんとするとこはそのうち、ちゃんとしろよ?」

「…………分かってる」


 二人から逃げるように駆け込んだトイレで瑛太に答えて、大きく息を吐く。



『そのうち。近いうちには、ちゃんとしないと』



 俺は自分に言い聞かせるように胸の中でそう唱えて、また教室へ戻った。




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