第2話 負けられない戦いが、そこにはあったりなかったりする。(1)


     ◇◇◇



「えー、席替えをします」



 週も明け、朝のホームルームが始まると開口一番、担任の櫛田くしだ先生はなぜか敬語でそう言った。


「おっ、やっとかー」

「まったく、学校での楽しみなんてそのくらいしかないんだから、もっと頻繁にやってほしいぜ」

「くっしー、忘れてたでしょー」


 佐々木と高木に続いて珍しく声をあげた田中に、くっしーこと櫛田先生は頭を掻いて苦笑いを浮かべる。



「いやぁ、昨日隣のクラスの丸山先生に言われるまですっかり忘れてた。すまん」



 新しいクラスになってから三か月弱。学園祭も経て教師と生徒の距離はずいぶんと近づいてきているようで、教室のあちこちから「しっかりしてよー」だとか「くっしードジっ子―」だとか声が聴こえてくる。なんでも女子の間では、ちょっと抜けてる感じが可愛らしいと言われているらしい。三十手前くらいで見た目もそれなりに良いということもあり、友達感覚で男子からはもちろんのこと女子からもかなり親しまれているそうだ。


 閑話休題。


 ともかく、出席番号一番の委員長から櫛田先生が準備してきたらしい手作りのくじを引きに教卓へと向かう。入れ違いで次の人が引いて、また次の人が引いて、何度か繰り返したらすぐに俺と琴葉の番で、同じように紙袋に詰められたくじを一枚掴んで開いた。



「うわっ、一番前だー」



 俺が手元の番号を確認するよりも先に、ほとんど同時にくじを引いた琴葉が黒板に書かれた新しい席とくじとの対応表を見てため息を漏らす。どうやら、最も避けたい席の一つを引き当ててしまったらしい。


 俺は一度息を吐き、それから手元に視線を落とす。最前列というのはあまり望ましくはないけれど、琴葉がそうだというのであれば俺はその隣の席でいい。


 来い。なるべく琴葉の近く。



「……俺は、一番後ろか」



 ダメだった。まあそうそうそんな思い通りにいくはずもない。これまで慣れ親しんだ窓際後ろから二番目の席のもう一つ後ろ。つまりは、ついさっきまで琴葉の席だったところが、俺の引っ越し先だった。


「だいぶ離れちゃったね……」

「そうだね」


 席替えでいったらベストプレイスといっても良い席を確保できたというのに、少しだけ悲しくなる。家でいくらでも会えるとは言えど、学校での席というのはそのくらい大切なのだ。多少怠いような授業だって近くに好きな子を感じられればそれだけでテンションが上がるし、学校生活が楽しくなる。席替えとはそういうものなのだ。


「先生。最近目が悪くなってきたので、最前列の人と席を交換してもらってもいいですか?」

「立花。お前この間の視力検査で両目とも A だっただろ。彼女と隣の席になりたいからってずるするなよ」

「……」


 くそっ! 最終手段も通じないとはくっしー恐るべし。


 仕方がないので、席に戻って机の中に詰め込んだ教科書類を整理する。


「ゆーくん、またね……」

「うん」


 そうこうしている間にクラス全員がくじ引きを終えたようで、琴葉とお別れをして新しい席(一つ後ろに移るだけだけど)へと移動した。



「(はぁ。こんなんなら席替えなんてしない方が良かったのに)」



 今までにも席が離れることは何度もあったが、やはり何度でもそう思ってしまう。席が離れていたって休み時間にはどちらかの席でおしゃべりをするし、そんなに変わらないと言えばそうなんだけれども、それでもやっぱりなるべく近くにいたいものなのだ。



「そう? 私は席替えがあって良かったけれど」



 ふいに、机に突っ伏して放った俺の独り言に右から声が投げかけられた。


 その声はいつも以上に澄んでいて、どことなく弾んでいて、なんとも嬉しそうな響きで――。


「……鮫島が隣だったのか」

「なによ、悪い?」

「悪くはないよ」

「ふーん」


 顔を上げた俺に、その声の主はいたずらな笑みを向けた。



     ◇◇◇



「ゆーくん。最近駅の近くに新しくクレープ屋さんができたみたいなんだけど、良かったら放課後行ってみない?」



 昼休みが始まり、授業のテキストやらノートやらを片づけていると、琴葉が二人分の弁当を持って俺の席へとやってきて言った。これまでは前後に席が並んでいたので簡単に机をくっつけられていたけれど、これからも四人で昼食を食べるには俺以外でもう一つ、机を確保しなくてはいけなさそうだ。


「ごめん琴葉。今日は例のバイトが入ってるから、また今度でもいいかな?」

「えっ、バイトってこないだ言ってた家庭教師?」

「うん」


 琴葉との放課後デートを断るなんてそれはそれは勿体ないのだが、今日は例の家庭教師先に初めてお邪魔して顔合わせをするという予定が先に入っている。さすがにバイトの約束を無下にするわけにもいかないので渋々断ると、琴葉はまったく気にする様子もなく、むしろ家庭教師に興味津々なくらいだった。


「お母さんの知り合い繋がりなんだっけ?」

「そうそう。なんか昔、たまに遊んだりしてたらしいから琴葉もたぶん知ってる子だって言ってたよ」

「ふーん……」


 教室であまり大っぴらにアルバイトの話をするわけにもいかないので、少しだけ声量を押えて、二人でこそこそとそんな会話をする。


「佑斗、家庭教師なんて始めるのね。わたしも今度教えてもらおうかしら」

「げっ、六花ちゃん聞いてたの⁉ ダメだよ! ゆーくんは私専属だから!」


 しかしすぐ隣の席の鮫島にはしっかりと聞かれていたようで、ちょっかいをかけられて、琴葉がそれに反応した。


「いや、別の子に教えるバイトを始めるって話をしてるんだから専属ではないと思うのだけれど……。そうね、私もお金を払おうかしら」

「さすがに同級生から金はとれないわ!」


 ちょっと真面目な顔をして少し阿呆なことをいう鮫島に、思わず突っ込んでしまった。この間は欠席だったけれど、勉強会に来れば俺だってみんなと同じように教えるくらいのことはするつもりだ。


「そう。それよりも佑斗、もしなんだったら私の机使ってもいいわよ? みんなで食べるのに机ひとつじゃ狭すぎるだろうし」

「……まあ、鮫島が良いっていうなら借りさせてもらいたいけど」


 ちらちらと空いている机を探していたことに気づかれたのか、唐突に願ってもない申し出をされて少しきょとんとしてしまった。断る理由もないので、鮫島がそう言うならと快く机を貸してもらうことにする。


 俺と鮫島の机をくっつけて、ちょうど瑛太と咲も椅子を持ってやってきて。いつも通りに四人で昼食をとろうとして、それに待ったをかけるように琴葉が口を開いた。



「なんで六花ちゃんもいるの!」



 なんとも言えない、微妙な雰囲気が流れる。


 いつもなら二つの机を四つの椅子で囲んでいるところに、しれっと鮫島が紛れ込んでいたからだ。



「なんでって、私の席だからに決まってるじゃない。貸してあげるとは言ったけど、私が使わないとは言ってないし」



 してやったりみたいな顔で鼻を鳴らして、鮫島は俺と琴葉を順に見る。その表情はついこの間、琴葉とお家デートをしようと思って龍沢家に行ったら、当たり前のように鮫島がいたときに見たそれと全く同じだった。


「誰か友達のところで食べればいいじゃん!」

「酷い……友達のいない私にそんなこと言うんだ……」

「いや、お前そんなキャラじゃないだろ!」


 悲劇のヒロインぶる鮫島だったが、それでも本気で追い出すのもどうかということで、結局五人で食卓を囲むことになる。


「あれ、今日は佑斗の母さん早番なんだな」

「あっ、ほんとだー」

「お前ら、いつまでそのノリ続ける気なんだよ」


 琴葉から弁当を渡された俺を見ていつにもましてわざとらしくおどけた二人に、俺は呆れてため息を吐く。


「あら、そういうことなら言ってくれれば私が佑斗のお弁当も作ってきたのに」

「それは私の仕事なの! 六花ちゃんの出る幕はないよ!」


 なんだか一人増えただけで、これまでの倍くらい騒がしくなった気がする。気のせいか鮫島は琴葉の扱いが上手い気がするし、彼女がいると普段おとなしい琴葉が騒がしくなるからちょっと新鮮だ。


「それはどうかしら。私、普段から弟たちのご飯を作ったりしているから料理の腕には自信あるのよ。なんだったら今度、佑斗に食べ比べしてもらいましょうよ。負けるのが怖くないんだったら」

「なんでそんなことっ……むぅ」


 案外負けず嫌いなところがある琴葉が、言葉を詰まらせる。


「決まりみたいね。じゃあ明日、私も作ってくるから。いつもより少し少なめに作ってくるようによろしくね」

「……」


 なんとも言えない表情で、じっと鮫島を見つめながら弁当を食べ始める琴葉。


 普段なかなか見られない色んな表情をする琴葉を見ながら、俺は彼女と同じ中身の入った弁当を開き、手を合わせた。

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