第5話 幼馴染が一人とは限らない。(1)


     ◇◇◇


「えぇ、突然だが転校生を紹介する。と言っても、本当は学年が変わったタイミングでの編入だったんだがな。春休みに交通事故に遭ってしまったので、こんな半端な時期になってしまった。皆、仲良くするように。入ってきなさい」


 学年が上がり、新しいクラスになって早一週間。


 新学期の少しわくわくとした雰囲気が毎日学校へ行かなくてはならない憂鬱な気分へと変わり始めた頃合いに、彼女はやってきた。



「初めまして……じゃない人も何人かいるかもしれませんが――」



 先生に呼ばれて静かに入ってきた長い黒髪の彼女は、教卓の前で立ち止まってそう言葉を紡ぐ。



「――はじめまして。今年度から転校してきました、鮫島六花さめしまりっかです。よろしくお願いします」 



 そんな短い挨拶だけ済ました彼女は、とても凛々しく美しかった。


 彼女は耳にかかったきれいな黒髪をすっと手で払い、先生に示された空いている席へと向かう。


 まあその空いている席というのがまさに俺の目の前にあるのだが、彼女が腰を下ろす一瞬、きりっとした瞳がこちらを見たような気がした。


 鮫島六花。

 姓も名も珍しいと思うが、しかしどこかで聞き覚えのある、そんな名前。


 こころなしかその整った顔にも見覚えがあるような、そんな気もする。


 ――前にどこかで会ったかな……?


 頭の中で思い出そうとしてみるが、やはり心当たりはない。  


「よし、じゃあいつも通りホームルームを始めるぞ。委員長、号令」

「起立っ!」


 ――まぁ、いいか。


 委員長の切れのある声で、俺は続けていた思考を停止する。


 鮫島六花。


 俺が彼女のことを思い出すのに、それほど時間はかからなかった。



     ◇◇◇



『ねぇ、ゆうと。わたしのことわすれちゃったの?』



 目の前に立っているのは、小さな可愛らしい女の子。懐かしい保育園時代の園服を着ている。


『り、りっかちゃん……』

『ひどいわ。わたしたち、あんなになかよしだったのに』


 そう言って笑った彼女の笑顔に、なぜか背筋が冷たくなるのを感じた。



「――おい、立花。俺の授業で寝るとはいい度胸だな」



 頭に鈍い衝撃が走り、ふと顔を上げる。凶器は数学教師が持つ、厚いクリアファイルだった。


「すみません、寝てました」

「知っとるよ」


 なんだか周りからくすくすと笑い声が聞こえる。


「お前は今日の宿題、多めに出しておくからな」

「は、はぁ……」


 ため息を吐いて肩を落としていると、前方から刺さるような視線を感じた。



「ふふっ」



 恐るおそる顔を上げた先で笑っていた彼女は、保育園時代に散々俺をこき使っていた鮫島六花、その人だった。


「お、おい、琴葉。鮫島って……」

「ん? もしかして忘れてたの? 保育園の頃、あんなに泣かされてたのに」


 反射的に顔を逸らして、その勢いで後ろに座っている琴葉に話しかける。


「もう完全に忘れてたよ。つか、知ってたなら教えてくれよ」

「嫌だよ。なんで私が教えなきゃいけないの」

「はぁ……」


 なんだか今日は、ため息がたくさん出てしまう。


 前へ向き直ってノートを取ろうと黒板に目をやると、教卓へ戻った数学教師が「黙れ、喋るな」と睨みを利かせていた。俺はまたしてもため息を吐き、真面目にノートをとることにした。 


 数学はちょうど六限目だったので、授業が終われば部活動に所属していない俺は掃除を済まして速やかに下校することになる。


 部活がある瑛太とそれが終わるまで学校に残っている咲を待っているわけにもいかないので、俺はいつものように琴葉と二人で帰路につく――はずだった。


「ねぇ、祐斗ったら、私のこと忘れちゃったのかしら。久しぶりに会ったんだからもっとかまってくれたっていいじゃないの」

「六花ちゃん、ゆーくんはいつも私と一緒に二人で帰ってるの。邪魔しないで!」


 なぜだか俺たちについてくる鮫島に、いつもは温厚な琴葉が噛みつく。


「え、あなたたち付き合っていたの? まあそういうことなら仕方ないけど」

「うっ、付き合ってはない……けど」


 言葉に詰まった琴葉を見て、鮫島はにやりと口角を上げた。


「なら、別に私がどうしようが勝手でしょ。あなたはただの女友達なんだから」

「…………」

「だいたい、祐斗も迷惑してるんじゃないの? 付き合ってもない女子に彼女面されて」


 何も言い返せずにいる琴葉へ、鮫島の口撃は続く。


「俺が好きでそうしてるんだよ、鮫島」

「へ?」


 しかし、それも予想外だったらしい俺の一言でぴたりと止んだ。


「行こう、琴葉」

「え、うん」


 あっけにとられて立ち尽くしている鮫島を放置して、俺は琴葉の手を引く。


「ゆーくん、ありがとね」

「こちらこそな」


 保育園に入ったばかりのころ、俺はお山の大将だった鮫島によくいじわるをされていた。


 自由時間が始まるとすぐに「遊具を早く行ってとっておきなさい」だとか言われて、それができないとぐちぐちとお説教をされた。もちろん人気のある遊具は上級生がいち早く確保していて、それよりも先に行って場所を取ったりなんてできるはずもないので、俺は毎日のように鮫島のお説教。たったそれだけのことかといわれるかもしれないが、幼かった俺にとってそれは結構な苦痛だった。


 そんなときに俺を助けてくれたのが、琴葉だった。元から親つながりで関わりはあったのだけれど、それをきっかけにして更に仲良くなり、お互いの家を行き来するまでになった。保育園から小学校、中学校とあがってもそれは変わらなかった。


 つまり、俺が琴葉にお礼を言うようなことはあっても、彼女が俺にお礼を言うようなことは何一つないのだ。



「それにしても、なんでまた今になってあんなに絡んできたのかな」

「え? ゆーくん、分からないの?」


 夕飯を食べ終わり、「宿題教えてー」と俺の部屋に上がり込んできた琴葉とそんな会話をする。


「さっぱりだよ。あ、琴葉、そこ間違ってる」

「え? どこ?」

「ほら、そこのx、二乗忘れてる」

「あ、ほんとだ」


 いつもは琴葉の宿題だけ教えてだらだらしている俺だが、今日は筆記用具を出して一緒に問題を解いていた。数学の課題がいつもの倍はあるからね。

   

「で、何の話だっけ?」

「だから、六花ちゃんがなんで付きまとってきたのかって話でしょ」

「おぉ、そうだったそうだった。で、なんでなんだ?」


 琴葉はさっき俺が出してやった甘いカフェオレを一口すすり、ふぅ、と息を吐く。


「……私から言うことではないかな」

「なんだよ。そう言われると余計気になるんだけど」

「まあ、そのうち分かるでしょ。それよりほら、この問題分からないんだけど!」

「どれどれ?」


 なんだか聞きたいことをはぐらかされてしまったが、その後の勉強会はなぜかいつもよりも捗った。



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