第9話 大国の継承者⑨

 爆発音に次いで、訪れたのは静寂だった。

 キィイイン………!と頭蓋内に感じた耳鳴りで周囲の音が聞こえないなか、異形の影が消し飛ぶさまに、エルシは息を呑んだの。


「(風船みたいに破裂するなあ)」


 突発的に機能を失った聴覚がようやく戻ってきた頃。ヴィランズの断末魔の叫びが轟くなか、エルシの目の前に細い背中が降り立った。

 それは長い髪を風に遊ばせる麗人。ゆったりと振り返ると、エルシに微笑みかけるのは花のかんばせ


「これで、終わり………みたい、ね」

 セーレンだ。

 ヴィランズからエルシを守るように立つ美少女はセーレンだった。

 エルシは翳した手の先を見た。其所にはなんにも居なくてね、可哀想にエルシはしゅんとしちゃったの。また御伽能力フェアリーテイルが発動しなかったのだ。


「怪我は、ない?」

 とセーレン。


「うん、大丈夫だよ………」

 エルシは俯いたまま答えた。


「?元気、ないわ、ね」

 意気消沈するエルシを見て、セーレンは首を傾げた。ヴィランズは須く退治したのだ。何を憂うことがあるのかしらってね。


「僕の御伽能力フェアリーテイル、発動しなかった」

 拗ねたように言うと、エルシは自分の手の平を見下ろした。姉のエリーシャが能力を使うところは幾度となく見てきた。やり方は間違ってなかったはずだ。それなのにエルシの手の中は空っぽのまんま。つまり失敗ってこと。


「やっぱり、僕じゃダメなのかな………」


「あら、いいじゃない」

 即座に肯定したセーレンに、エルシはぽかんと口を開けた。


「ダメな子ほど、可愛いもの」


「………それってフォローしてくれてるの?」


「可愛い、エルシ………素敵、よ」


「そういうことにしておくよ、フォローありがとう」


 うっとりするセーレンに、エルシはちょっぴり呆れた。こんな時でも惚れる事は忘れないようだ。


「カタリーナの、ぼ………特訓を、一回、受けた………だけで、御伽能力フェアリーテイルが、覚醒、するなら………苦労、しないわ」


 一瞬、セーレンが暴力と言いかけた気がしたけれど、エルシは言及しなかった。彼女なりに励ましてくれているのだ。その厚意を無下にするやつは、ひどいやつに違いない。だから口を挟むのは止めようって思ったの。


「できないの、なら………できるまで、頑張りましょ?」


「………うん」

 セーレンの言葉を素直に受け止めたエルシだったけれど、それでも自分への落胆が消えることはなかった。







「おぉ疲れぇ~ッス!」


 帰宿したエルシとセーレンを出迎えたのは、真っ赤なエプロンを着けたカタリーナだった。フリルがふんだんにあしらわれたエプロンはどう見ても女性用だけれど、それすらもカタリーナは着こなしていた。


「今からエルシの歓迎会したいんスけど、二人とも暇ッスよね?エルシの部屋に集合ッスよ~!」

 もはや確定事項らしい。オーブンから取り出したばかりなのか、カタリーナはミトンを装着した両手で型に入ったままのケーキを持ち上げた。焼きたてのアップルパイからは湯気が立っていてね。甘い香りに誘われて、エルシとセーレンの咥内に唾液が溢れた。面倒見の良い美丈夫は、菓子作りも得意なのだ。




「ようこそエルシ!て・わけで、腹減ったから前置きは割愛して乾杯ッス~!」


「ようこそ、エルシ………」


「………ありがとう」


 勝手知ったるエルシの室内を物色したセーレンの淹れた紅茶を飲みながら(「もしかすると、僕よりも部屋のどこに何が置いてあるのか詳しいんじゃないのかな」エルシは姉のストーカーであるセーレンを横目で見たの)、エルシはアップルパイを一切れ手に取ってかぶり付いた。うん、美味しい。元気がなくてもお腹は空くのだから、人間ってへんてこりん。


「エルシ、任務で何かあったんスか?随分としょぼくれてんじゃん」

 もそもそと咀嚼するエルシがあんまり静かだから、目敏いカタリーナは直ぐに気付いたの。


ヴィランズ退治で………能力が、発動………しなかった、の」

 セーレンが代わりに答えてね。ちゃっかりエリーシャのお気に入りのティーカップを使っている彼女は、先ほどからご機嫌だ。ご機嫌すぎて、いつになく口数が多いセーレンは、今日の任務で起きた事の次第をすべて話した。

地下都市アンダーグラウンドのこと。

孤児院で出会った修道女や孤児達のこと。

切り裂き魔が出没していること。

遭遇したヴィランズに意気込んで立ち向かったものの、エルシの御伽能力フェアリーテイルが発動しなかったこと。


「つーか、地下都市アンダーグラウンドって」

 話の一部始終を聞き終えたカタリーナは目をぱちくりとさせた。


「あんな治安悪いとこ連れてったんスか?新人エルシちゃんにはハードル高くね」


「谷に、突き落とす………的な?」

 アップルパイのアップルだけをフォークで穿り出しながらセーレンが言った。


「獅子の仔落としのつもりッスか?成長するどころか、余計に自信無くしちゃってんじゃん」

 カタリーナがエルシを一瞥する。その姿は親に怒られた子供のようにしゅんとしちゃってね。カタリーナは落ち込む友人を心配したけれど、

「ま・見聞を広めるにゃ、地下都市は調度いい場所ッスもんね」

 すぐにけろりとした顔をつくった。

 紅茶を一気に飲み干すと、


「エルシ、いつまで落ち込んでんスか。俺ら継承者ライブラにはそんな暇ないんスから。ちゃっちゃと切り替えな」


いったい!?頭蓋が割れちゃうよ!」


「お勉強の時間スよ、しょぼくれてないで話聞きな」

 とカタリーナ。

 長い腕を伸ばしてテーブルの向こう側に座るエルシの頭を鷲掴むとね、強制的に顔をあげさせたの。気落ちしてる上に追い撃ちのアイアンクロー。エルシは踏んだり蹴ったりだと泣きたくなった。


地下都市アンダーグラウンドについてまだ教えてなかったッスね。セーレンが言ったように、あそこはハインリヒ女王とは別に支配者がいるんスよ」


「悪徳結社、グースチルドレン」

 セーレンが続いた。


「頭領の、マザーグースを、中心に………地下都市を、牛耳る、ヴィランズで………構成、された………犯罪者、集団よ」


ヴィランズが徒党を組んでるの?」

 思いもしなかった事実にエルシは目を丸くしてね。衝動のままに暴れる存在のヴィランズに仲間意識があるなんて。驚きのあまり頬張っていたアップルパイを喉に詰まらせた。


「そゆこと。無法地帯の荒れ放題とか言われてるけど、実質は地下都市あそこの住民はヴィランズによって恐怖統治されてるんスよ」

 とカタリーナ、

地下都市アンダーグラウンド全体が奴等の庭だから、事件や犯罪にヴィランズが関与している確たる証拠がない限り、俺らも安易に手出し出来ないんス。グースを下手に刺激すりゃ、王都にまで被害が及ぶッスからね」


 言いながらエルシに紅茶を差し出した。


「グース・チルドレンの、全体像は………把握できて、ないの。分かって、いるのは………強者揃いって、ことくらい」

 アップルパイを流し込むエルシの背中をセーレンが優しく擦った。


「人間の心の闇から生まれるヴィランズのなかでも地下都市で誕生したヴィランズはとりわけ強いんス。なんたって地下の住民は心に余裕がないッスからね。より濃密で、膨大で、深厚な心の闇が集まれば、ヴィランズのちからもそれに比例して強くなる」

 カタリーナはやれやれと首を振った。


「今日遭遇した蛙みたいなヴィランズよりも強い?」


「あれは、ザコよ?あんなのとは………比べ物に、ならないわ」


「………そうなの?」


 ザコヴィランズすら自分で倒せないエルシは内心ショックを受けた。


「しかも奴等の能力のせいで、グースチルドレンの気配は継承者おれたちでも感知出来ない上に、見た目も人間そっくりで、正直見分けがつかないんス。群衆に紛れて何食わぬ顔で過ごしながら、裏では散々悪事を働いているんスわ」


「本当に、厄介なのよ………」


 カタリーナとセーレンが揃ってため息を吐くものだから、エルシは不安に駆られた。

 果たして自分はそれほど強いヴィランズを退治できるんだろうかってね。まだ能力すら使いこなせてないのに。紅茶に映る情けない顔をした自分と目が合った。


「エリーシャは、ね」

 ティーカップから唇を離したセーレンがぽつりと呟いたの。


「グース・チルドレンの………調査中に、消えたの」


「………なんだって?」

 途端にエルシの表情が強張る。身を乗り出し、ティーカップをテーブルに叩き付けるように置くものだから、零れた紅茶がカーペットを汚したの。


「どういうこと?」


「おい、セーレン」


「隠すことじゃ、ないわ………エルシは、エリーシャの、弟よ。知る権利が………あるわ」

 咎めるようにカタリーナが睨み付けるけれど当の本人は何処吹く風。外方を向いたセーレンは、真剣な面持ちのエルシを見た。


「エリーシャは、先輩と組んで………グース・チルドレンを調査してた、最中に………行方不明に、なったと………聞いて、いるわ」


「じゃあグース・チルドレンを調べれば、エリーシャに辿り着くかもしれないってこと?」

 ゆっくりとセーレンが頷く。

 たちまちにエルシはやる気が漲ってね。落ち込んでいたのが嘘のように活気付いた。エリーシャが行方不明となって以来、ようやく可能性を掴むことが出来た。見つかる確率は限りなく低いかもしれないけれど、エルシは信じて疑わなかったの。何故ならセーレンからの情報だ。友人の言葉なら絶対間違いないはずだってね。


「ただ、地下都市は………広い、から………闇雲に、探しても、ダメよ。案内人が、必要………だわ」

 とセーレン。独り言にしては大きな声量で、意図に気付いたカタリーナが分かりやすく眉間に皺を寄せた。端正な顔には、面倒事は勘弁してくれって書いてあってね。自分をじっと見つめるセーレンの視線を知らんぷりしようとした。


「ね?………カタリーナ」


「………そッスね」


「案内人………ほしい、わね。エルシも………そう、思わない?」


「うん、僕も思う!」


「だって………カタリーナ」


「あーもう、分かったッスよ!」

 けれど熱い眼差しに堪えられなかったようで、先に白旗をあげたのはカタリーナの方だった。


「そのシスターってのが言ってた切り裂き魔ッスけど」

 とカタリーナ。髪を乱暴に掻くとため息を吐いた。


「もし正体がヴィランズなら継承者おれらも正式に討伐出来るし、グース・チルドレンに繋がる手掛かりが見つかるかもッスね」


「!じゃあ」

 エルシの表情がぱっと明るくなる。クリスマスのプレゼントを楽しみにしている子供のように、目を爛々と輝かせるものだからカタリーナは苦笑した。


「俺も手伝うッスよ、地下都市のことなら他のヤツより詳しいから。明日もう一度行ってみようぜ。俺は地下都市したで別の用事があるから、付きっきりってわけにゃいかないスけど」


「ありがとうカタリーナ!頼りにしてるね!」

 エルシが全幅の信頼を寄せるような笑みを浮かべるものだから、カタリーナはその眩しさを直視出来ずに目を瞑った。


「うッ………そんな期待に満ちた目で見ないでほしいんスけど。無意識にプレッシャー掛けんの止めて」


「優しいのね………頼りになる人って、素敵」


「だからそんな目で見るの止めてッス!」

 とセーレン。追い打ちをかけられて、とうとうカタリーナは顔を覆った。どれだけ性根が捻り曲がっているカタリーナだって純心な眼差しには弱いのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

落ちこぼれアリス 2138善 @yoshiki_2138

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ