第7話 大国の継承者⑦
「うぅうわぁあぁんっ!」
全身で悲しみを表現するかのような劈く泣き声の主は、小さな男の子だった。年齢は見たところ4~5歳くらいでね。目からは大粒の涙を流し、布で包まれた荷物をぎゅっと抱き締めていたの。道の真ん中でわんわんと泣きじゃくっていて、他の人の通行の邪魔をしているのもお構い無しだ。
「迷子かな?」とエルシ。
この世の終わりみたいな顔をしている男の子に心を痛めた。あんな幼い子供がこんな薄暗い場所で独りぽっちになるのは、さぞや心細いに違いない。僕もセーレンとはぐれたら同じように泣いちゃっていたかもしれないぞ。そう考えると何だか他人事とは思えなくなってね。エルシは人波を潜って男の子に駆け寄った。
「どうしたの?」とエルシ。
男の子の目線に合わせてしゃがみ、できるだけ優しい声色に努めた。
「おっおうちが!わかんないっ、の!」
吃りながら男の子が答える。エルシは持っていたハンカチでぐちゃぐちゃの顔を拭ってあげた。
「泣いて………困ってる顔も、可愛い、わね…………素敵……」
エルシに追い付いたセーレンが、年端もいかない男の子をうっとり見つめてね。頬を染めるセーレンに気付いたエルシが目を疑った。
「セーレン、さすがにそれはアウトだよ」
「そう?………残念、だわ………」
と言いながらも、セーレンの視線は男の子に注がれたままだ。やっぱりそれはアウトだよ。エルシは2人を遮るようにセーレンと男の子のあいだに体を滑り込ませた(「もう………見えない、じゃない………意地悪、ね」とセーレンが頬っぺたを膨らませたけどエルシは聞こえないふりだ。友人をみすみす犯罪者にするわけにはいかないからさ)。
「僕らが一緒に家を探してあげるよ、行こう?」
エルシが手を差し出すと男の子の瞳が不安そうに揺れた。暫くだんまりを決め込んでいた男の子だったけれど、これは自分だけじゃあ帰路につけないぞと思い至ったのか、ついに恐る恐る小さな手を重ねてきた。
迷子の男の子はジャックと名乗ってね。数分もすればエルシとセーレンにすっかり心を許していた。
エルシに貰ったチョコレートを食べながら言うことにゃ、「僕のお家にはね、十字架に張り付けられた男の人が居てね。わき腹をね、槍で刺されてるの!」だそうで。
家を探すヒントが何とも物騒で、エルシは体をブルリと震わせた。家のなかに血塗れの男がいるなんて、地下都市はなんてこわい場所だろう!
「ジャックの家はホラーが過ぎるね………恐ろしいよ」
とエルシ、
「僕だったら、こわくて夜にひとりでトイレに行けないや」
「多分、エルシが………想像、してるの、とは………違うと、思う、わ」
とセーレン。ジャックのヒントに心当たりがあったようで、エルシの勘違いを一刀両断した。
「セーレンは何処のことか分かったの?」
「ええ………」
セーレンは指でピストルの形を作って顎下に添えると、得意気な顔をした。
「謎は、すべて………解けた、わ」
セーレンの推理に導かれて向かったのは、地下都市の中心部にある孤児院が併設された教会だった。無法地帯と呼ばれる場所に神に祈りを捧げる場所があるのはへんてこりんだったけれど、「どんな、人でも………拠り所は、必要、なの」というセーレンの言葉に、「………なるほど!」エルシは納得したの。
教会に近付くにつれて女の人の声が聞こえてきてね、それが隣でキャンディを頬張る男の子の名前だとエルシは気付いた。
「ジャック!どこですか、ジャーック!」
教会の前を行ったり来たり、忙しなく歩く女の人は修道服を着ていてね。血相を変えて男の子の名前を叫んでいた。
「シスター!」
パッと表情を明るくしたジャックは、エルシと繋いでいた手を離すと修道女目掛けて一目散に駆け出した。
「ジャック!」
修道女はジャックを抱き取ると、その小さな体が怪我でもしていないかって隈無く探したの。
「よかった、無事に見つかって!どこに行ってたんです、心配したんですよ!」
「あのねシスター、お兄ちゃん達が一緒にお家を探してくれたんだよ!」
「………お兄ちゃん達?」と修道女。
ジャックが振り返り、指差す先を追った。エルシとセーレンの姿を捉えると眉を顰めたの。
「この辺りでは見ない顔ですが、貴方方は?」
「ええと………怪しい者じゃないです」
大方、地下都市の住人とは毛色の違う2人を訝しがっているのだろうと見当をつけたエルシは小さく会釈した。
「こんにちは、
じゅうじゅうと肉の焼ける音。ぼうっとフライパンから燃え上がるフランベの炎。漂うグレイビーソースの匂いが鼻腔を擽れば、食欲を唆られたエルシの腹の虫が鳴いた。唇から垂れる涎を慌てて拭うと、キッチンから戻ってきた修道女がクスクスと笑った。
「お腹が空きましたか?」
「はい!とっても美味しそうな匂いがします」とエルシ。
「もうすぐ夜ですからね、今日の夕食当番の子供達が準備中なのです」と言うと、修道女はエルシとセーレンにと淹れた紅茶をテーブルに置いた。
「私はシスター・エリザベス。この教会兼孤児院の責任者です」
「僕はエルシ・リデルです」
「私は………セーレン、よ」
「エルシさん、セーレンさん。この度はジャックが大変お世話になりました」
シスター・エリザベスが深々と頭を下げた。
「お気に、なさらず………」とセーレン。
ティーカップのハンドルを摘まんで、ゆっくりと紅茶を飲む優雅な所作に、エルシは感心したの。超絶恋愛体質で頭がぶっ飛んでる女の子だと思っていたけれど、本当にお嬢様だったんだなぁ。
「それにしても、地下都市には子供がこんなにたくさんいるんだね」とエルシ。
エルシとセーレンは大きなテーブルの端っこに座っていてね。窓際に位置するそこからは教会の裏手がよく見えた。裏手には小さな畑と庭があり、狭いスペースに20人くらいの幼い子供が遊んでいたの。
「治安は良くなさそうなのに」
エルシは素直だ。
「その通りです。ここは治安が悪いですから、孤児も多いのです」と言ってシスター・エリザベスが窓の外を見遣った。庭先でジャックが他の子供達と縄跳びをしている姿があった。
「ジャックには、他の子どもと一緒にお使いを頼んだのですが、上のきょうだいが目を離した隙にはぐれてしまったようで。ここに来たばかりなので迷ったのでしょう」
「そう………なの、ね」
とセーレンが相槌を打った。
「貴方方に見つけて頂いて本当に良かった。子供がひとりで彷徨いていれば、直ぐに奴隷商やら人買いに誘拐されてしまいますから。それに、近頃は切り裂き魔が出没するので、事件にでも巻き込まれているのかと肝を冷やしました」
「………………切り裂き魔?」
紅茶に砂糖とミルクを入れていたエルシの手が止まった。
「誰がそう呼びだしたのかは分かりませんが………夫婦を狙った殺人鬼のことですよ。もう何組もの御夫婦が亡くなっていて、此処にいる子供達の大半がその被害者遺族です」とシスター・エリザベス。悲しげな顔で目を伏せた。
「もしかして、ジャックが孤児になった理由は……」
察したエルシがハッとした。
「ええ」
シスター・エリザベスが頷いた。
「親を殺された身寄りのない子供を引き取っていたら、大所帯になりまして」
切ない声だったけれど、シスター・エリザベスの表情は柔らかいものだった。
窓の外ではしゃぐ子供達を眺めるシスター・エリザベスの眼差しを、エルシは知っていたの。
それは姉のエリーシャが自分を見る時によく似たものだった。
困ったようでいて、それでいて見守るような慈愛に満ちた顔。たちまちにエルシは胸があったかくなってね。ジャック達がとても大切にされていることにホッと安堵したの。両の親を殺されてしまった悲しい子供。けれど独りぽっちではないのだ。
「孤児が増えるのは喜ばしいことではありません……………ですが、毎日賑やかでとても楽しいですよ」
シスター・エリザベスが微笑む。
「そっか、楽しいのは良いことだね!」
つられてエルシも笑みを浮かべた。
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