第6話 大国の継承者⑥

「エルシ………最後に……街を、見回ってから、帰りましょ」

「!うん、わふぁっはー!」

「食べてから、お喋り、なさい………ね?」


 エルシとセーレンが任務を終えたのは、日がすっかり傾き始めた頃だった。

 王都の広場を見回したセーレンは、夕暮れの太陽の眩しさに目を細めながら街の人達と談笑していたエルシに声をかけた。セーレンの呼び掛けに、パンを咥えたままエルシが振り返ってね。駆け寄るエルシの腕にはたくさんの紙袋が抱えられていた。それら全部は、ヴィランズ退治や調査で訪れた先々の店や家で貰ったものだ。ハインリヒ女王の代役として王都の治安維持を担う童話学園フェアリアの学生は、王都の住民達から慕われている。街中を歩くだけで差し入れやら感謝の言葉を浴びることが多かったの。


「見回りってヴィランズと対峙しないから、何だか不思議な感じがするね。継承者ライブラは昼夜問わずヴィランズを退治していると思っていたよ。ほら、カタリーナと一緒にいる時はヴィランズとの戦闘ばかりだったから」とエルシ。大量の紙袋を抱え直し、そのうちのひとつから取り出したチョコレートを頬張った。奇妙な生き物を見たという情報をもとに、ヴィランズの調査に赴いた家で貰ったものだ。


「見回りも、大事なの……」とセーレン、

「私達の、存在は……抑止力を、持つから」チョコレートを食べるエルシをうっとりと見つめながら話しているとね、エルシの方もじっとセーレンを見ていることに気付いた。


なぁに………?私に、恋した?」

 ポッと、ランプにあかりが灯るようにセーレンが頬を染めた。


「違うけれども」とエルシ。超絶恋愛体質なセーレンの扱いにすっかり慣れてしまってね、扱い方もお手の物ってわけだ。


「セーレンはとてもゆっくり喋るんだなぁって」

「気に、障った、かしら……?」

 セーレンが顔を曇らせると、エルシは首を横に振った。


「ううん。カタリーナが早口のお喋りだから、対照的だと思ったんだ」

「ああ………そういう、事ね………」

 セーレンは合点がいったように小さく頷いた。世話好きで物知りなカタリーナは、聞けば何でも答えてくれるけれど、相手が聞き取りやすくお喋りしようという配慮がとことん欠けていた。


「私は………地上に、まだ、慣れなくて………早く、お喋り………できない、の。此処は………酸素が、多すぎる、から」

 地上という単語にエルシはきょとんとした。それって何だかへんてこりん。まるで別の場所から来たみたい。


「セーレンは、御伽大国このくにの人じゃないの?」

「違うわ」とセーレン。まるで内緒話をするような囁き声で言うもんだから、エルシは聞き逃さないように顔を近付けた。


「私は、深海帝国の、出身なの」

 ひっそりと、セーレンがエルシに耳打ちする。


 聞き慣れない、けれど知識としてだけ知っているその名前に、エルシは目を真ん丸にした。


 深海帝国。


 それは、海の深い深ぁい場所にある国。

 海とヒトが交わって生まれたモノを起源とする帝国民は、地上に住まう人間とは異なる時間を生きていて、とっても長生きだという(そこまで思い出したエルシは「見た目が同い年に見える彼女も、もしかするとお婆さんくらいの年齢なのだろうか」と、隣を歩くセーレンを垣間見たの)。しかも「その血肉を喰らえば不老長寿の体質になれる」なんて根も葉もない噂が広まったせいで、色んな国から命を狙われちゃってね。そこで深海帝国の初代皇帝は、外界との接触を一切禁じ、鎖国状態にすることで国と民を守ったの。暗くて、冷たくて、息も出来ない場所にある、海獣達の聖域。


「でもさぁ」とエルシ。

 セーレンに倣ってこそこそとお喋り。


「それだとセーレンが此処にいるのはへんてこりんじゃないか。外界との接触が禁止されているのなら、帝国の外に居たらダメじゃないの?」

 地上には、不老長寿の噂が未だに残っていることをエルシは知っている。もしセーレンが深海帝国の出身だとバレちゃったらどうしよう。バラバラにされて、パイに包まれて、パクリと食べられちゃったら大変だ!心配そうに見つめるエルシに、セーレンはクスッと笑みを零した。


「私は、特例なの………継承者ライブラ、だから」

 秘密を打ち明けるようにそっと告げたセーレンは、唇に人差し指を縦に当てた。


「深海帝国は、閉鎖的な国で………継承者ライブラ育成の、ノウハウが………なかったから………長年、強い継承者ライブラが、育たなかった、の。だから………今の、皇帝陛下は………継承者ライブラに、関する………知識と、技術を、得る為に………継承者ライブラ育成に、特化した………童話学園フェアリアに、私を、編入………させたの。そうね、………留学生って、とこかし、ら」

「そっか………じゃあセーレンがミートパイになる不安はないね。安心したよ」

「?それは………良かったわ、ね?」

 エルシの言っている意味が分からず、セーレンは適当に相槌を打った。


継承者ライブラと、いえば………」

 周囲に目を配りながら、セーレンが切り出した。

「カタリーナから、聞いた、わ………エルシは、能力を、使いこなせないって」

 振り向いたセーレンが真っ直ぐにエルシを見つめる。今日もヴィランズ退治の任務はセーレンに任せきりだったのだ。


「………うん。面倒かけてごめんね」

「どー………んと、任せなさい」

 気にした素振りも見せず、セーレンは首を横に振った。

「エルシの、気持ち………分かるもの」とセーレン、「能力を、使うのは、こわいものね………私も、同じだから」

「……………えっ」

 まさか共感する者がいるとは思いもしなかったエルシはセーレンを二度見してね。

 それって一体どういうこと?エルシは問い質そうとしたけど、セーレンが突然立ち止まったので聞けず仕舞いになった。今度は何事だと隣を見遣ると、セーレン越しに巨大な噴水が見えた。最初にいた広場に戻ってきたのだ。気づかないうちに王都内を一周していたらしい。お喋りに夢中で街の様子をこれっぽっちも見ていなくってね、エルシはしまったと顔を顰めた。


「………ちゃんと見回りしてなかった」

「あら………いけない子、ね」

 素直に白状すると、セーレンが小さく笑った。ゆったりと腕をあげると、エルシの額をコツンと小突いたの。あんまり痛くはなかったけれど、「うっ」エルシは反射的に呻いた。


「これで見回りは終わり?」

 額を擦りながら、エルシはセーレンを見た。


「ええ……」

 セーレンはもう一度広場を見回してから、ある一点を凝視した。エルシが視線の先を辿ると、遠くの方にひっそりと佇む教会が見えた。


「地上は、ね………」とセーレン。意味が分からずエルシが首を傾げると、セーレンは自分の足元を指差した。






 街外れにある教会の地下深くに、その都市への入口はあった。礼拝堂の隠し扉をくぐり抜け、長くて急な階段を落っこちるように降りてゆくと、眼下に広がる光景にエルシは息を飲んだ。巨大な洞窟内に所狭しと並んだ家の数も、米粒のように小さく見える人の多さも、どれも王都と変わらない。まさか自分の足元にこれほど大きな街が存在していたなんて!先に階段を降りていたセーレンは、口をあんぐりさせるエルシを振り返った。


地下都市アンダーグラウンドに、来るのは………初めて?」

「うん………こんな場所があったなんて、知らなかったよ」とエルシ。好奇心に突き動かされるがまま、あちらこちらに忙しなく視線を動かすさまは、まるでテーマパークに来た子供のようだ。


「地上とは少し雰囲気が違うね。電気は通っているみたいだけれど、薄暗いし…………それに、少し、こわい」と呟くようにエルシが言う。路上で酒を浴びるように飲む薄汚れた身なりの男を一瞥した。あんな人、地上では見たことない。はぐれて迷子にならないようにしなくっちゃ!エルシは前を歩くセーレンを慌てて追い掛けた。


「地上とは………何もかも、違うから」とセーレン。


地下都市アンダーグラウンドは、王都の、暗部と………呼ばれている、わ。ハインリヒ女王の、目が………届きにくいから、無法地帯と、化しているの。犯罪の、温床………ならず者の、楽園…………呼び方は、何でも………いいのだけれ、ど」


「無法地帯………何だかとってもこわそうだね」

 ゴクリ、とエルシが生唾を飲んだ。


ヴィランズの、発生率も……ヴィランズの強さも、地上とは………桁違いなのよ」

 セーレンの言ったことは、想像に容易いものだった。多くの負の感情が集まるほど、負の感情が深く強いほど、それを根源とするヴィランズも強くなる。継承者ライブラだからこそ感じる、地下都市全体を包みこむような禍禍しい気配にエルシは息苦しさを覚えてね。きっと地下都市このばしょは、そこに居るだけで人間を密やかに堕とすのだろうと確信したの。


「というか」とセーレンは続けて、「カタリーナに、地下都市アンダーグラウンドのこと………聞いて、ないの?」


 カタリーナがエルシの世話役であることはハインリヒ女王から聞かされていてね。王都のことは勿論、その地下に広がる地下都市アンダーグラウンドのことも当然知っているとばかり思っていたの。


「………聞いてない」とエルシ。拗ねたように頬っぺたをプクリと膨らませた。


「何でそういう大事なことを、僕は教えてもらってないの?」

「カタリーナは、適当だから…………でも、適当な人って、素敵……」

 セーレンはそう言うと、此処にはいない同級生を思い浮かべて頬を赤らめた。

 まぁた恋してらぁ。

 恥じらうセーレンに、エルシは呆れ顔をした。


「本当にセーレンは誰でもいいんだね。四六時中恋してて疲れない?」とエルシ。率直な意見にセーレンはきょとんとした。


「………考えたことも、なかったわ」

 セーレンは碧色の目をパチパチとさせた。

「私にとって………恋を、しないことは、死んだも………同然なの。この恋愛体質は、先祖オリジナル譲り、だから」


 そう言うと、セーレンが歌うように語り始めた内容はこうだ。


 それは昔々の物語。

 クリスチャン家の先祖オリジナルは、とある船の事故で溺れていた青年を助けてね。そして、美しい青年に恋をした。先祖オリジナルは何もかもを捨てて、一族の反対を押しきって、青年のそばにいることを選んだけれど、代償として呪いを受けて、声を発することが出来なかった。その為に想いは届かず、青年は別の女性と結婚したという。


「…………悲しいね」とエルシは鼻を啜った。

「でしょう?」セーレンは目尻に浮かんだ涙を拭った。

「だから、先祖オリジナルは、青年を………殺そうと、したの」

「過激だね……!」

 まさかの展開にエルシは目を剥いた。相手が手に入らないのなら、いっそのこと手に掛けてやるというものなのか。恋愛って奥が深いんだなぁ。驚くエルシを余所に、セーレンの話はまだまだ続く。


 クリスチャン家の先祖オリジナルが青年を殺そうとしたのには理由があった。先祖オリジナルに呪いをかけて声を奪ったヴィランズに唆されたのだ。

「青年を殺し、心臓をくり抜いて潰せば、すべて元に戻る」と。

 けれど先祖オリジナルは青年への深い愛情から殺すことを思い止まり、ヴィランズを道連れに死んだとさ。


「めでたし、めでたし………」

 パチパチとセーレンが拍手を自分に送る。


「…………愛が重いね」

 若干引きながらも、セーレンを真似てエルシも拍手をした。


「だから、私は………恋せずには、いられない、体質なの。自らを………犠牲に、してでも、守りたいと………思える、愛しい人を、見つけろと、遺伝子が………訴えるの」

「なるほどなぁ」

「エルシも、ない?体が、勝手に………動いて、しまうような、こと」

 と言われて、エルシはちょっと考え込んだ。


「あっ!確かに白ウサギが目の前にいると、つい追いかけちゃうや……!」

「そういう、こと」

「白ウサギのやつを発見したら、体がウズウズしちゃうんだよなぁ」

 エルシは姉のエリーシャと一緒になって白ウサギを追いかけ回していた幼い頃を思い出した。ひとり納得するエルシを、セーレンは微笑ましく見守っていた。


「ところでセーレン」

 地下都市の住民で賑わう闇市に差し掛かったところでエルシが聞いた。


「元に戻るって何のこと?」

 エルシは聞きたがり屋だ。


「それは、先祖オリジナルが………失ったものを、取り戻せる、ということよ。彼女は、青年の、ために………多くを、捨てたから………家に、帰れなかったの。足の、ままじゃあ………速く、泳げない、でしょ?」セーレンが丁寧に答えてやるけれど、

「足?」エルシはちっともピンとこない。


「クリスチャン家の、先祖オリジナルはね」

 それでもセーレンは根気よく教えてやろうと口を開いた。けれど、セーレンの言葉はエルシに届くことはなかった。辺りに響き渡る、耳を劈くような泣き声に掻き消されたの。


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