第14話







「話を少し戻します」


くるり。また指の先が円を描く。


「過剰な報復行為を幇助するのは、要求者に一定以上の好意がなければ難しいでしょう。これは逆説的に、要求者は対象が自身に一定以上の好意を持っているのを確証していることになります。すなわち、南海さんは貴方に好意を寄せており、貴方はその好意を認識していたということです」

「それは……。っ」


反論しかけた東田さんは、その口を閉じる。

返す刀で切り捨てられるのを恐れたのか。それとも、一度否定しそこねたことを改めて否定するのは不利になると思ったのか。

東田さんの出方を窺った後、雪路は改めて口を開く。


「南海さんが貴方に好意を寄せているのは、ほぼ間違いないでしょう。話す時の顔や体の向きに、声のトーンの変化、加えて折に触れて貴方を気遣っている姿。これを他の人との態度と比べてしまえば、友人以上の感情を抱いているのは傍から見て明らかですから」


雪路の目から見ても、彼の好意はわかりやすいらしい。


「対して貴方は、そんな彼の態度をうまくさばいていたように見えました。彼に距離を詰められても一歩距離を置き、気遣いも適切なら受け取って、過剰なら受け流す。事務的とも言える所作は、好意を寄せている男子への態度としてはやや不自然さが否めません。好意の質がわからないにしても、脈がないことをうまく伝えすぎているように思えます」


そして、同じ女子ならではの視点が東田さんの言動を解体する。

言われてしまうと、そういえばとなる。好意を寄せる女の子が一緒に行動してくれて、自分の気遣いを受け入れてくれる。それなのに、南海くんの認識は全く脈がないなのだ。

客観的に見ても脈がないので、言われた時は彼の認識に違和感を覚えなかった。だが、できすぎではないかと言われてしまうと、身を潜めていた違和感が首をもたげる。寄せられる感情の質がわからない状態で、はたしてうまく距離感が図れるのか、と。


振り返ってみると。

東田さんが南海くんに対してわかりやすく困惑していたのは、ただの一回だけだ。

そしてその一回に、雪路のメスが入る。事前に聞かされていることではあったが、僕は体を身構えずにはいられなかった。


「そんな貴方が南海さんに困惑を示したのは、今回の合宿では一度。バスでの移動中、彼から男女交際について振られた時です」


僕達を見て、羨ましそうな口調で話を振った南海くんを思い出す。

その時、東田さんは全身で困惑を示していた。


「あれを見た時は、恋愛感情を寄せていない男性に色恋の話題を振られて困っているか、はたまた興味がない分野の話をされて戸惑っているのかと認識していました。しかし、その後の言動と照らし合わせるとそれでは違和感がある。貴方は南海さんの好意をうまくはぐらかしていたように見えましたし、色恋に興味がなさそうにも見えなかったので」

「……あの時は、興味がない話題を振られたから困っただけよ。どうしてろくに話したこともない貴方に、関心のあるなしを図られないといけないの?」

「色恋に興味がないと?」

「そうよっ」

「それにしては、随分と私の恋人に色目を使っていたようですが?」

「っ、な…!」


いきなりのあけすけな物言いに、東田さんが愕然とした声を出した。


「話す時の顔や体の向き、声のトーンの変化、隙あらばと図られる接触に詰められる距離。わかりやすいことこの上なくて、南海さんも一時剣呑な空気を出していたくらいです。先輩に恋人がいると認識していたにも関わらず、実に露骨なことで」

「……っ」


東田さんの口が、ぱくぱくと空気を求める金魚のように動く。

雪路の声音は変わらず淡々としたものだったが、その言葉には今までで一番棘があった。嫉妬心が強い僕の彼女は、かなりご立腹だったようだ。


そうなのだ。

恥ずかしながら、鈍いと散々言われた僕は気づかなかったが、東田さんは――――


「バスでの一件は、言ってしまえば単純な話。好意を寄せている人の前で、お前は恋愛に興味がないのかと第三者に言われれば、困惑するのも当然ということです」


どうやら、僕のことが好きらしい。


「――――」


東田さんが絶句する。構わず、雪路は言葉を続けた。


「貴方は先輩に好意を寄せていた。隠すつもりはなかったようですけど、言うつもりはなかったのでしょう。なぜなら貴方の視点では、先輩は西藤さんと交際していたから」


もう一度、バスでの南海くんを思い出す。

彼は僕を見て、彼女がいるのはいいなと言った。僕は当然それを僕と雪路のやりとりを指したものだと認識していたが、ここには一つのすれ違いがあった。


これもまた、南海くんには事前に確認済みである。

彼は、僕と雪路ではなく、僕と西藤が付き合っていると認識していたのだ。


どうやら第三者には、その方が自然な組み合わせに見えるらしい。確かに凡庸な僕と美少女な雪路よりは、陰キャの僕と陽キャの西藤の方がカップリングとしてしっくりくると言われれば頷くしかないが。

西藤としては僕と雪路が付き合っているという認識なので、当然あの時の南海くんの台詞はそちらに向けたものだと思うだろう。わざわざその詳細を問う理由がなく、だからこそお互いの認識はすれ違い続ける。

固有名詞できちんと訂正しない限り、誤った認識は正されない。


「貴方と西藤さんでは、パーソナリティーが大きく異なります。いざ恋に落ちれば従来の好みなど関係ないと思いますが、おそらく貴方はそう思わなかった。先輩の好みが西藤さんなら、そこから外れた自分ではどうあがいても土俵に乗れないと考えたのでしょう。だから隠すつもりはなくても、言う選択肢はなかった」

「……」

「しかし、貴方は知ってしまった。先輩が付き合っているのは自分と正反対の西藤さんではなく、比較的近しい特徴を持った不死川雪路だと」


それもきっちり盗み聞きしていたのを知った時は怖かったよ、雪路。


「貴方は思った。西藤明梨には勝てなくても、不死川雪路には勝てるのではないかと。そして一度そう思ってしまうと、私という存在が邪魔になる。その思考が、私が永遠、あるいは長期に渡って先輩の隣からいなくなればチャンスが生まれるのでは、というものになるまで、さほど時は要さなかったのでしょう」


あるいは、東田さんは見てしまったのかもしれない。

僕が雪路と仲睦まじくしているところ。ただの先輩と後輩ではありえない、恋人という関係だからこそ出せる雰囲気で接していた場面を。

雪路の被殺体質ならば、発破としてはそれで十分だ。

雪の坂道で転がるボールのように、殺意は瞬く間に大きくなっただろう。


「動機がこれなら、南海さんに対して嘘を口にした理由にも説明がつきます。自分に好意を寄せてくれる男性に、自分の恋路に邪魔な人間の排除を頼むなんて、できませんものね」


言いながら、雪路は指を立てた手を下ろす。

自分の口から言うべきことは、あら方伝えたとばかりに。


「それが動機だとして、西藤先輩にどうしてそれがないって言えるの?」


だが、東田さんは食らいつく。


「私がとも先輩と西藤先輩が付き合ってるって思ったのは、西藤先輩はとも先輩のことを好きだなって思ったからだった。なら、西藤先輩にだって貴方が邪魔だと思う理由が――」

「ないのですよ」


それを一蹴。

断言に呆気にとられる東田さんに向けて、雪路は一つの事実を口にした。


「西藤さんには現在、交際している相手がいますので」

「――――は?」


唖然。

そんな言葉が似合う表情で、東田さんが固まった。

以前から知っていましたとばかりに口にしたが、雪路がその事実を知ったのは昨晩。僕から耳打ちされた時の彼女も、今の東田さんみたいにぽかんとしていた。


これもまた、認識の行き違い。

東田さんも雪路も、西藤が僕のことを好きだと認識していた。

しかし僕は、その西藤本人から少し前に教えてもらっていたのだ。彼女が現在、甲斐田先生といけない恋をしていることを。

だから雪路は二者択一を決めかね、そもそも僕には動機が思いつかなかったのだ。


「私しかはしごに触っていないことを知っている人物は四人」


呆気にとられている東田さんを見つめながら、もう一度指を立てる。

今度は四本を一度に。


「私がヘアゴムを紛失したことを知っている人物は二人」


そう言って、指を二本下ろす。

立っているのは二本。


「そして」


二つ残ったうちの一本も、折りたたむ。

残るは一本。


「私を殺す動機がある人物は、一人」


立てたままの人差し指を、東田さんに突きつける。


「東田祥子さん。貴方は、私を殺そうとしたのです」


犯人はお前だと。

そう告げる、名探偵のように。


「――さて」


ただし、不死川雪路は名探偵ではない。


「私の講釈に長々とお付き合いいただき、ありがとうございました」


ゆえに彼女はあっさりと指差す手を下ろすと、そんなことを口にした。

ミステリー作品ならば犯人の自供が始まるフェイズを前に、彼女は強引に幕を下ろす。


「……え?」


当然、東田さんも再び呆気にとられる。

そんな彼女を見て肩をすくめた後、ゆるりと雪路は腰を上げた。


「私の推理が真実に肉薄していたとしても、犯行は不発に終わったのは動かぬ事実。不死川雪路が死んでいない以上、私の推理は貴方を傷つける刃にはなっても、貴方を裁く銀の弾丸足り得ない。枕の件はこちらが誘ったのもありますので、不問といたしましょう」

「……私を許すって言うの?」

「許しはしませんよ。裁く権利がないだけです」


ただ。

そこで言葉を切ってから、ずっと東田さんに向けられていた視線が動く。


「貴方がどう思うか、どう行動するかはわかりませんけどね。?」


さて。ようやく僕の仕事が終わるらしい。

東田さんが逃亡を選ばないように、何より彼女が努めていた僕は、雪路の言葉を合図に彼女を羽交い締めするのを止めた。

自由になった東田さんは、ゆっくりと後ろを振り向く。


そこには、南海豊くんが立っていた。

雪路のお見舞いとして、僕と一緒にこの部屋に入り。

僕と一緒に押入れの中に隠れて。

僕に視線で制されて、ずっと息を潜めていた、南海くんが。


「――――ぅ、ぁ」

「……」


悲鳴の一歩手前の声が、東田さんの口から零れた。

そんな東田さんを、南海くんは恐ろしいほど冷めた目で見つめた。


「許しはしませんよ。貴方達を」


そう言いながら、雪路は東田さんの脇を、南海くんの隣を横切って外に向かう。僕もそれに続くように、二人の後輩達の間から退いた。


「私が死ななかったからという理由で罪が裁かれない貴方達を、私は決して許さない。殺人という行為は、それほどに罪深いものなのですから」


雪路の推理は、真実を解き明かし、罪を裁く銀の弾丸ではない。

彼女が弄する推理はどこまでも攻撃的で、苛烈で、容赦がない刃だ。


これから東田さんがどれほど否定の言葉を重ねても、雪路が振るった推理やいばでついた傷が完全に埋まることはないだろう。さっきの推理が完全なるでたらめだと証明する術はなく、仮にあったとしても一度南海くんの心に芽生えた疑心が納得を許さない。

二人の関係は致命的に変わる。

それこそが、雪路が彼らに与える報復だ。


「先生方には、貴方達は遅れると伝えておきますよ」


冷え切った空間にそんな言葉を投げ入れてから、雪路は扉を開けて部屋を出る。

えげつないやり方だ。三度、そう思う。


「――――とも先輩っ!」


雪路を追うように閉まりかけた扉を支えたところで、東田さんが僕に呼びかけた。

振り向けば、悲壮な顔をした東田さんの姿が映る。助けてくれと全身で訴えている姿には同情を誘われるが、しかしこの状況で彼女を助けるほど僕も聖人や菩薩の類いではない。

正直に言えば、別に怒っているわけではなかった。

彼女のおかげで、僕は見られたのだから。

ただ、僕は雪路の味方だ。こうやって行き過ぎた報復行為を幇助するくらいには、僕は雪路のことが好きだ。


「いやあ、まあ」


だから彼女の懇願を――おそらく、今まで無自覚に無視し続けてしまったものを、今度は確かな意図をもって切り捨てることにする。

いや、切り捨てるという言い方は、少し大げさかもしれない。

どちらかといえばこれは、これから可哀想な目に遭うかもしれない彼女への手向けだ。


「僕、君のことを今日が初対面だと思っていたからさ」

「……え」

「君と会った記憶も話した記憶もないから。えっと、ごめんね?」


何せ、ただ彼女に完全に脈がないことを伝えるだけなのだから。


「……」


絶句しながら、東田さんは力なくその場に座り込む。

そんな姿に心の中で合掌してから、僕もまた部屋を出て行った。

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