第13話
「まずはリスクの話をしましょう」
二本立てた指で円を描きながら、雪路は喋り始めた。
「学校側が事故死として判断し、警察に届け出なかった。あるいは、警察に届けられたが彼らもまた事故死と判断された。殺害を意識した行動なら、そう処理されなかった時のことをリスクとして考えなくてはいけません」
もう一度、今度は反対側に指を回して、東田さんに視線を向ける。
「東田さんの主張は、殺人にはリスクがある以上、死ぬ可能性があったならそもそも行動を起こさなかった。概ねこれで間違っていませんね?」
「……ええ、そうよ」
「そのご意見はごもっともです。リスクがあるから殺人をしないという論調には個人的に物申したいところですが、人が他者に殺意を抱いた時、その殺意を抑え込む理由の一つであることは全面的に同意いたします」
「じゃあ」
「ですが」
東田さんの言葉をぴしゃりと遮り、さらに言葉を続ける。
「そのリスクをどうにか踏み倒そうとする人達がいます。物理、心理、密室、アリバイ……多くのものを利用するからくり、ミステリーではトリックと呼ばれるものを弄して」
「……私がそれを使ったって?」
「ええ。死ぬ可能性があっても行動を起こしたかった貴方は、そのリスクを回避する方法を模索した。南海さんに協力を求めて犯人像を「不死川雪路を抱えて移動できる人物」にしようとしたのも、言ってしまえばトリックの一つでしょう」
「でもっ」
「はい、言いたいことはわかります。それだけでは、犯人像に該当してしまう南海さんが話を聞かれた時に口を割ってしまう危険を考慮していない、ということでしょう?」
思考を先回りするように、東田さんの代わりに彼女の主張を口にする。
まさに、現在の状況がそうだろう。
共犯者を特定された結果、彼から情報が漏洩している。答えが容易く返ってきそうなものから聞くという雪路式の質疑で得た情報だが、警察だって人死が出たらその線から辿るだろう。そして、人が死んでいるのであれば南海くんの反応も変わってくるはずだ。
罪悪感に耐えきれなくなるか、自分可愛さに提案者を売るか。
どちらにせよ、信用はできない。
「だからこそ貴方は、もう一つトリックを用意した。トリックと呼べるほど緻密でも大仰でもないけれど、ゆえにトリックならば緻密か大仰だろうという盲点を突いたものを」
そう言いながら、雪路は指を立てていない方でジャージのポケットを探る。
最初は怪訝な顔をしていた東田さんだったが、ポケットから取り出されたものを見た瞬間、またしても羽交い締めにしたままの体が強張った。
「個人的な話になりますが、密室トリック、あれはお粗末ですよね」
取り出した髪ゴムをかざしながら、雪路は話を続ける。
「密室と呼ばれる空間で、殺害されたとしか言いようがない死因で人が死ぬ。こんなもの、計画を練った殺人犯がいると自ら宣伝しているようなものでしょうに。これを逆手にとって「密室殺人なのだから、密室トリックに使えるものを所持していた人物が犯人」と罪を他人に着せようとした作品もありますが」
ふう、と小さく溜息をつき。
「捕まりたくないのなら、第一に殺人と断定されるのを回避すべきです」
そう言い切った。
ミステリー好きにはナンセンスと言われる意見だろうが、僕も概ね同意見だ。
殺人になってしまうから、警察や探偵は殺人犯を特定しようと躍起になる。
しかしそれが自殺や事故ならば、よほど不審な点でもない限り、少なくとも警察はその線で調査を進めるだろう。何せ現実の日本では、殺人事件なんてテレビに取り上げられるほどレアケースなのだから。
「そして、貴方も同じことを考えた」
雪路はさらに続ける。
もちろんこの貴方は、僕ではなく東田さんにかかっている。
「殺人ではなく、不幸な事故だと認識させるにはどうするか。リスクをどうやって回避するかに、思考を働かせていた。そんな時、私が西藤さんに、お借りしたヘアゴムを紛失した旨を報告する場に立ち会ったのではないでしょうか」
ぎゅっと。髪ゴムを持っていた手を握りしめる。
「違うものを用意するのはリスクが増えます。これはおそらく、私がなくしたものなのでしょう。それをどうやって手に入れたかはあえて問いません。本筋には関係ないですから」
トリックに使うために盗んだのかもしれない。しかし、善意で拾ったものがたまたまトリックに使えそうだった可能性もある。
雪路が言いたいのは、おそらくそういうことだろう。
推理の暴力で東田さんを攻撃している中でも、潔癖な彼女は変なところで気を使う。
「ですから、私はその後の思考についてを徹底的に攻め、責め立てます」
かといって、本命の暴力を緩める気はないようだが。
「手順としては至って簡易。私の髪をつけたヘアゴムを、講堂のステージに置いておく。ゴミとして扱うには異物ですから、現場検証があれば調べられる可能性は高いでしょう。さて。はしごに付着した真新しい指紋は私のものだけ。死因は高所からの転落。そんな状況で、誰かがヘアゴムを「それは不死川雪路が紛失した借り物」と証言すれば、どうなるでしょう」
「……」
「紛失物を捜索していた際に起きた事故。こんな考えが、よぎるのでは?」
「……た、たかがヘアゴムでしょう? そんなものを探すために、わざわざはしごを上ってネットの上を探したって言うの?」
「少なくとも私自身は、そんなことはしません。ですが私が死んでいた場合、私の行動の真意は全て推測で形作られます。不死川雪路が借り物を紛失して動揺していたと誰かが言い、それが正しいと思われれば、例え事実と異なっていても真実になるわけですね」
例えばの話。
一人の少年が遺書を残さず自殺したとする。
原因は、好きな子にフラれたから。しかし、彼の家では父親による家庭内暴力が絶えなかった。それを知っていた周囲は「ああ、彼は暴力に耐えかねたんだろうな」と思うだろうし、警察も事情聴取すれば同様の結論に至るだろう。
そうなると、彼の自殺の原因は家庭内暴力が真となる。
なぜならそれを唯一否定できる人間は、もはやこの世にはいないからだ。
死人に口なし。
死者は、虚偽を否定できない。
それこそ、雪路のように蘇らない限り。
「深夜にわざわざ危険を犯すのは非合理的な行動です。しかし、非合理的だからそれは真ではないと言えません。人間――特に焦りを覚えた人間は、突拍子もないことをしますからね。それにこの方が、不死川雪路に恨みを持つ誰かが彼女をわざわざあんなところまで運んだ、に比べればまだ現実味もあるでしょう」
東田さんが用意したのは髪ゴムが一つ。
こんなものがトリックの道具だとは、とっさに浮かぶことではないだろう。だからこその盲点。トリックならば緻密なものか大仰なものだろうという心理を突いた仕掛けだ。
「このトリックを用いる場合、警戒すべきは客観的な視点で「不死川雪路はこの時点までヘアゴムをつけていたと認識していた」と判断できるものの有無。掃除終了後の時刻に、私のスマホにヘアゴムをつけた自撮りデータがあったなら、講堂を探しに行くはずがないですからね。そこの確認は怠らなかったようですが、私が見れば収納場所が変わっていたことに容易く気づくしまい方をしたのはずさんでしたね」
髪ゴムを握っていた手が開かれて、黒い布製品が布団に落ちた。
「さて、この話の大事な点ですが。そんなトリックを思いつくのは当然、私のヘアゴムが借り物で、かつそれを紛失しているのを知っている人物に限られます。該当者は先輩、西藤さん、そして東田さん、貴方になりますね」
「ま、待ってよ!」
布団に落ちた髪ゴムを見つめていた東田さんが、弾かれるように顔を上げた。
「それなら、西藤先輩だっていわゆる容疑者の一人でしょう? 南海くんと一緒にいたのは本当は西藤先輩で、南海くんがあの人を庇って嘘をついた可能性だってあるわよね」
「ええ、そうですね。南海さんにとって、西藤さんは親しい知人。何より先輩とあっては、彼女に非倫理的なことを頼まれても断れない可能性はあるでしょう」
ですが。
そう短く区切った後、雪路は三本目の指を立てる。
「彼女には、私を殺すに足る動機がありません。これからそれをお話しましょう」
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