第5話







合宿施設は、バスで一時間半ほどかかる距離に位置している。幸いにも連休の渋滞にはあまり引っかかることなく、マイクロバスはほぼ予定通りに目的地へと到着した。


引率の甲斐田先生がまず行ったのは、部屋の割り振り。

とはいえ、学校所有の合宿所だ。細かい割り振りができるほど部屋数があるわけもなく、僕達はカラーひよこのごとく五部屋の客室に学年と性別で仕分けられた。

結果として、僕と南海くんが違う部屋。

雪路と西藤、東田さんは同じ部屋に割り当てられた。

女子の方はいい感じなのではないだろうか。同室とフレンドリーなコミュニケーションがとれなさそうな物静か系女子二人に、緩衝剤になってくれそうな西藤がついたわけだし。

男子の方は、まあうん。

正直助かった。陰キャ男子は陽キャ男子のオーラに弱い。


部屋割りが無事に決まれば、次は掃除場所の割り振りだ。

これまた甲斐田先生が、荷物を置いてきた僕達の希望を聞いて仕分けていく。僕達は無事、西藤が提案した講堂を掃除することになった。

古びた講堂はやや埃っぽく、フローリングのためか四月末だというのに薄ら寒かった。


「えーっと」


先生から受け取ったメモを見ながら、すっかりリーダーになった西藤が声を上げた。


「ドア拭き、床拭き、あとは舞台の上の方も見てほしいってあるね」

「上?」


モップの柄を杖代わりにしたまま、僕は講堂のステージに目を向ける。


「照明やバトン……えーっと、照明や幕の位置を上げ下げするのに使う装置とかがあるの。そこらへんのワイヤーが老朽化してないか、はしご上って確認する感じかな」

「その作業もなかなか危ないのでは?」

「転落防止ネットがあるから大丈夫。昔、照明の角度をいじろうとした生徒がうっかり落ちて怪我しちゃったらしくてさ。同じことが起きないように設置されたんだよね」

「へえ」


珍しいなと思いつつ、ステージに近づいてみる。

ほぼ真下から見上げれば、網目状のロープが橋のようにかけられているのがわかった。ああいうものがあると余計に二の舞が発生しそうだが、安全対策を声高に主張する層に限ってそこまで頭が回らないのはわりと世の常である。


「以来、この講堂で劇をすると怪我をする生徒がいるとかなんとか」

「某さんの呪いみたいな前口上はよすんだ」

「あははは」


あはははではないが。


「昔演劇部で、そういうネタの創作劇やったんだってさ」

「不謹慎だなあ」

「うん。まあ、罰が当たったのか怪我する生徒多かったらしいんだけどね、その年」

「……それ、無から呪いが生まれてないかい?」

「最初の怪我は偶然だったんだろうけどねえ」


伊達に二年来の付き合いではないので、僕の言わんとしていることはすぐ伝わったらしい。背後で、西藤が珍しく苦笑いを浮かべたのが伝わってきた。

呪いだなんだと言われていたということは、すなわち、そういうオカルトを思い浮かべてしまうだけの後ろめたさがあったということ。そんな中で一度でも関係者が見過ごせない負傷をすれば、思考は自然とただの不運から某さんの呪いへとシフトするだろう。

実際に呪われていなくても、呪われたと思い込むだけで人は不調をきたすことがある。怪我の連鎖はつまり、そういうことだろう。

まさしく、無から生まれた呪いだ。

自業自得、因果応報とも言う。


「埃が落ちるだろうし、ステージを拭く前にやるのがいいだろうね」

「うん、そのつもり。……あ、そうだ」


話を掃除に戻していると、何かを思い出したように西藤が声を上げる。

つられて振り返れば、モップを持って突っ立っている雪路へと歩み寄る姿が見えた。

怪訝そうに首を傾げる雪路に向かって、西藤はポケットから取り出したものを差し出す。遠目からでも、それが髪ゴムっぽいことはわかった。


「掃除するわけだし、髪邪魔でしょう? これで結んでおきなよ」

「……。ありがとうございます」


差し出されたそれを一瞥した後、雪路は素直に受け取る。

数秒後、セミロングの髪がやや強引に一つに束ねられた。後頭部でちょんとはねているのが尻尾みたいで可愛い。

しかしあれ、ちょっとしたことでとれるんじゃなかろうか。

雪路のサラサラヘアーの感触を思い出していると、入り口の方から声がした。


「明梨せんぱーいっ、バケツ持ってきましたぁ」


視線を向ければ、モップ用の空バケツを持った南海くんと東田さんが立っている。僕は道すがら自分のモップを雪路に預けつつ、彼らの方へと向かった。


「バケツ、ありがとうね」

「い、いえ」


声をかけながら手を差し出せば、東田さんは上ずった声とともにバケツを差し出した。

雰囲気こそ雪路と似ているものの、彼女とは違うタイプだなと思った。これが雪路なら、先輩だろうが赤の他人だろうが怯まず受け渡しているだろう。


……ん?

不意に南海くんの方から視線を感じた。

ちらりと一瞥するが、僕と目が合う前に彼は顔を逸らした。そしてバケツを掲げると、まず東田さんに屈託ない笑みを向け、次に雪路と西藤に気さくな笑みを向けた。


「じゃあ、行ってきますわー」

「すぐ戻るから、そうしたら始めよう」

「りょーかいりょーかい」

「お気をつけください」

「き、気をつけて……」


そうやって友人と恋人に見送られながら、男二人は水汲みに旅立った。

最初からこのメンツでバケツを取りに行けと思われそうだが、僕は先行して人数分のモップを運んでいたので仕方ない。西藤が後輩の恋路におせっかいを焼いたのもある。


さて。

南海くんと二人きりになったのはこれが初めてである。

それだけなら別に問題はない。

強いて言うなら、コイバナでも振られたら困るなと思っていたくらいだ。当たり障りなく雪路の良さを伝えようと思うと僕の語彙力では可愛いしか出てこないし、なれそめに至っては説明が難しいのだ。


「……」

「……」


しかし、そんな僕の想像に反し、彼は講堂を出た途端に黙ってしまった。

心なしか、彼から感じる雰囲気が重くなったというかなんというか。

悲しいかな、僕は陰キャなので陽キャのピリピリした雰囲気には怯んでしまう。なるべく一緒にいる時間が少なくなるよう、僕の歩調は自然と早くなった。

ほどなくして、僕達は屋外の水飲み場に辿り着く。

さっさと水を汲んで戻ろう。そう思いながら、水道にバケツをセットしたところで。


「とも先輩」


黙っていた南海くんが、ようやく口を開いた。

なんだい。

僕は君に喧嘩を売った覚えはないよ。


「……とも先輩は、東田と知り合いなんすか?」


内心びくびくしていた僕に対し、南海くんが投げかけたのはそんな質問だった。


「東田さん?」

「そうっす」

「知り合いも何も、今日が初対面だけど」


そのはずである。

もしかしたら何かで顔を合わせているかもしれないが、記憶に残っていないということはろくに話したことがないということだ。さすがにそんな相手のことをいつまでも覚えていられるほど、僕の記憶力は優れていない。

しかし、なぜここで東田さんなんだろうか。


「じゃあ、東田のこと、どう思います?」


内心首を傾げる僕に構わず、南海くんは次の質問を口にする。

それでやっと、彼の意図らしきものがわかった気がした。

男二人女三人のグループの中に、自分が好きな女の子と近しい属性をした人間がいる。陰属性に片思い――それも好意が伝わってない――をする陽属性としては、例え相手が平々凡々とした先輩でも十分に気にかかるファクターなんだろう。

そういうことなら、僕が返す言葉はこれしかあるまい。


「知っての通り、僕には彼女がいるから。大人しい子だなって思うだけだよ」

「……ですよね」


異性としては見ていない。

暗にそう伝えれば、南海くんはあからさまにホッとした顔になった。それを見て、僕も胸中でホッと安堵の息をつく。


「見た目なら、あの中だと不死川がダントツっすからねえ」

「まあ、そうだね」


東田さんへのネガティブキャンペーンに人の彼女を使わないでほしかったが、先輩らしくぐっと堪えて頷いた。それに僕の恋人は、とても可愛い。


「二学年の男子はみんな不死川に惚れてたんじゃないっすかねえ。俺も結構気になってたし。まあとっつにくい雰囲気だから、すぐ高嶺の花っつーか、鑑賞用女子になったけど」

「三人を待たせているからさ」


強引に話を打ち切った。


「早く水を汲んで戻ろうよ」

「あっ、そうっすね」


そう促せば、南海くんは慌ててバケツの中に水を入れ始めた。

モップ用の大きなバケツだから、水を注ぎ終わるのにも時間がかかれば、なみなみと注いだものを持ち上げればずっしりと腕に負担がかかる。そんなものをさほど苦もなく持っているご様子な南海くんに羨望の眼差しを向けつつ、彼とともに講堂へとUターンした。


「そういや、とも先輩はどうやって明梨先輩と仲良くなったんすか?」


道中、今度はそんな質問が飛んできた。

予想していた話の方向に転がる気配がない。そっちに舵取りされても困るからそれはそれで助かるのだけど、若干肩透かしというかなんというか。

ともあれ、僕は南海くんの質問に答えた。


「僕の方から特別なことは何も。入学オリエンテーションの時に同じ班になったのをきっかけにあっちから声をかけて、話をするうちにいつの間にか親しくなっていたよ」

「……それだけ?」

「それだけ」

「えー……」


南海くんはなんともいえない表情になった。

より正確に言うなら、参考にならないと言いたげな顔だ。しかし、これが事実なのだから仕方ない。僕がやったことと言えば、筆記用具を貸したことくらいだ。

なぜそんなことを覚えているかと言われれば、覚える理由があったからである。

それなりに長くなるので説明はしないが。

そのやりとりから、しばらく歩いた後。


「とも先輩」


足を止めた南海くんが、真剣な顔で呼びかけてきた。


「なんだい?」

「俺、東田のことが好きなんすよ」

「うん」


知っている。

喉元まで出かかった言葉を飲み込み、頷く。


「結構、露骨にアピールしてるつもりなんすけど。あいつ、全然気づいてくれなくて。あそこまで好き好きオーラ出したら、言わなくても伝わると思いません?」

「うーん」


思わず唸った。

確かに南海くんのアピールはわかりやすいし、それに気づかない東田さんはだいぶ鈍い。けれど、それとこれとは別問題じゃないだろうか。


「言わなくても気づいて欲しいってのは、ちょっと自分勝手じゃないかな」


言葉にすべきか悩んだが、結局口は動いてしまった。

我ながらきつい言い方だが、ちょっとイラッとしてしまったので許してほしい。さっきの失言に怒らなかった分も合わせて、僕の口は動く。


「東田さんはエスパーじゃないし。仮にエスパーだったとしても、君の願望を汲んで彼女からそれに応える義理も義務もないよ」

「……」

「好意をアピールするのは大事だけど、動物の求愛行動じゃないんだからさ。自分はここまでしたのにどうして気づいてくれないんだって、相手側に不満を抱くのは駄目じゃないかな」

「手厳しいなあ、おい」


そうは言うものの、彼も思うところはあったのだろう。

南海くんは肩をしょんぼりと落としてしまった。

カッとなられるのは覚悟していたので、へこまれると申し訳ない気持ちになってくる。こっちは言いたいことを言ってすっきりした気持ちになった分、余計に。


「……東田さんだけど」


だからちょっとだけ、彼の恋路を応援することにした。

とはいえ、無責任に彼の背中を押すわけにもいかない。南海くんの恋を失敗させたいわけではないが、どちらかといえば僕は東田さん寄りなのだ。


「君のことは多分、嫌いじゃないよ。むしろ好いている部類なんじゃないかな」

「マジっすか!」

「推測、あくまで推測だから。事実じゃないから」


 一気に食いついてきた南海くんを宥めすかしてから、こほんと咳払いをする。


「でも、恋愛感情ってものは彼女の中でいまいちピンとこないものだとも思う。だからそっち方面の話で押すんじゃなくて、たまには引いてみせるのも大事なんじゃないかな」

「……ふーむ」


彼女に被害がない方向でアドバイスっぽいことを言えば、南海くんは難しい顔になった。

一例を要求されたら正直に無いと白状するしかなかったが、幸いにもそんな無茶ぶりはされなかった。難しい顔から屈託ない笑顔になった南海くんは、ぐっと拳を握る。


「がんばってみますわ。ありがとうございます、とも先輩!」

「どういたしまして」

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