「姫様の休日」(10)


 宮島にある弥山(みせん)を冴子とカイラは登っていた。

 厳島神社の参拝を早々に済ませたカイラは急く様に冴子ら伴を弥山へ誘った。

 この登山で同行するのは冴子に三宅だ。三宅を先頭にカイラを挟んで冴子が後ろに付いて行く。冴子も三宅も私服だが、格好は登山に向いた物をカイラの分と合わせて揃えて着ている。

 「見習士官だった時を思い出すな」

 冴子は憲兵士官学校を卒業し、憲兵少尉になる前の見習士官だった時を思い出していた。

 見習士官は士官学校での教育を終えた者を指す、見習士官は原隊として指定された部隊で勤務してから原隊の将校から推薦されて見習士官から少尉に任官する制度だ。

 以前は陸軍士官学校から陸軍部隊での勤務を経て、推薦と身辺調査を受けてから憲兵科に移り憲兵となっていた。だが、国内外に広がる施設や部隊に対テロ作戦と憲兵の担う範囲が広がり人員が必要となると、希望者を最初から憲兵科で育成する事になった。

 憲兵科を志望すると陸軍士官学校を卒業の次は陸軍憲兵学校へ入学となった。

 冴子は東京にある陸軍憲兵学校から、中国管区憲兵隊広島地区隊が原隊として指定された。この時に競技会の為として冴子は弥山を登った。

 「山岳地での任務に慣れる為」とした弥山での競技会は同時期に広島の原隊に入った見習士官を対象に行われる。競技の内容は登山と下山を走り順位を競うものだ。

 この競技会は海軍が始め、陸軍でもやろうとなったのは三十年前からだった。

冴子は第五師団や暁兵団などからの見習士官達と共に練習の時から弥山を走って上り下りした。そうして迎えた本番当日の順位は二十人中で十一位だった。

 「丁度、この道だった」

 カイラとの弥山登山は三つある登山道の中で真言宗の寺である大聖院の前を通る道になった。

 カイラは大聖院からの登山道を白糸川が流れ、白糸滝があるのが良い光景だとして決めたからだ。それが奇しくも冴子が見習士官の時に走った道と同じで登りながら懐かしさを感じていた。

 「殿下、お疲れではありませんか?」

 登山道の中間地点である幕岩にまで登った一行は、登山道の石段の横に設置された木製の手すりに腰かけて休憩する。

 「テニスをするよりもまだ余裕よ」

 カイラは余裕の笑顔を見せる。

 その笑顔は無理をしている訳では無い様子のは冴子には分かった。

 それは三宅も同じで、山登りを楽しむ少女の笑顔に顔が綻んだ。

 「さあ、頂上まで行きましょ」

 手すりから離れたカイラは二人を促し、冴子と三宅は休憩を止めカイラに続く。

 三人が仁王門をくぐり、山頂に辿り着いたのは正午を過ぎていた。

 「これは…良い眺め」

 弥山の頂上、岩が地に並ぶものの周囲の視界を遮るほどではない。

 カイラは岩と岩の間に立ちながら瀬戸内海を一望に眺める。晴天と海の蒼さに島々の緑が広がる。これにカイラは目を輝かせた。

 「これが見たかった」

 カイラは誰ともなく言った。

 「海をですか?」

 冴子は不意なせいもあり、そう言ってみる。

 「違う、上から眺めて見たかった。私は宮殿より高い場所に行く事は出来なかった。日本軍の飛行機に乗った時も姿を見られてはならないと、窓から外を見る事は出来なかった。だから山登りをしたかったのよ」

 「そうでしたか」

 思いのほか、カイラの行動が制限されていたのだなと冴子は察した。

 怪我をさせてはならない、予想外の所へ行ってしまい誘拐や事故などに遭わせてはならないと王や臣下達が危ぶんだからだろうか。

 今のカイラは身体を動かす事を喜んでいたのは、そうした縛りから解放されたからだろう。

 「大尉、少しお話しましょう」

 カイラは頂上の風景を楽しんだ後で冴子との会話を求めた。

 冴子はその場所を頂上にある展望台にした。そこならベンチがあり座って話す事ができる。

 「私がこの国に来た直後は不安だった。宮廷内が分裂状態になった時にラウエルに言われて来たのだけれど」

 カイラから話し始める。隣に座る冴子は聞き、三宅は展望台の入口で見張っている。

 「ラウエルと日本軍が私を日本へ連れて来てくれた。それからすぐに日本の皇子や軍人や政治家色んな人達が私に会いに来た。それが私には怖く思えたの。私は日本の傀儡にさせられるのかと思えたから」

 カイラの独白に冴子はグサリと身を刺される思いだった。

 冴子が呼び寄せた訳では無いが、要人の訪問に協力したのだからカイラの不安を募らせた原因の一端だったと思えたからだ。

 「私の知る限りでは、殿下を担ぎ上げようとは聞いてはいません。資源開発などでの便宜を貰おうと考えているようでした」

 冴子は謝る様に言う。

 「貴方を責めている訳ではないの。ここに来てからの私の思いを聞いて欲しい」

 「そうでしたか」

 冴子はカイラが怒りを伝えている訳では無いと知り、強張りそうな身体を緩めた。

 「一族もいつ戦い合うか分からない。そんな心が落ちく事が無い時にテレビで見たのがプリンセス・ソードだったの」

 「見たのは日本で初めて?」

 「そうよ。日本のアニメはミルダナオでも幾つか見たけど、プリンセス・ソードはここに来て初めて見た。あの作品はあの時の私の心に響いた」

 「作品について少し調べた程度ですが。主人公は祖国を滅ぼされたお姫様で、仲間と共に祖国を取り戻すと言う内容でしたね」

 冴子はカイラの心理状態を知る一環として「プリンセス・ソード」について調べていた。

 お姫様が主人公ではあるが、敵から逃げ生きて行く為に意地の悪い領主に頭を下げ、そこから知識を蓄え身体を鍛え、仲間を集めて反撃に出る逞しい姿が描かれている。

 「その通り。主人公のアルテシアがプライドを傷つけられても、裏切りに遭っても、死にそうになっても立ち上がる姿が私に響いた。空想でもアルテシアの強さにとても魅かれたの」

 「アルテシアがカッコ良く見えたのですね」

 「ええ、最初は彼女の強さ魅入られていた。落ち着かない日々でアルテシアの姿を見るのが支えになっていた。最近だと私はアルテシアになりたいと思っている」

 「アルテシアになりたい?」

 冴子はそれは所謂愛好者がするコスプレなる仮装かと思えた。

 「アルテシアのように強い王女でありたいとね」

 「なるほど」

 冴子は感心した。心的な成長をカイラはしようとしているのを感じたからだ。

 「ミルダナオが落ち着いたら、早く戻って王女らしい事が出来たらと思っている」

 「殿下、その心意気なら望むような素晴らしい王女になれますよ」

 冴子はお世辞では無く、心からそう思った。きっかけがアニメであれ、乱れが続くであろう祖国で自分を役立てたいと思う少女に称賛をするのは自然なものだった。

 「大尉、本当に私が王女らしくできると思う?」

 カイラは冴子へ尋ねる。

 「勿論です。外出をしたいと実現させたワガママさ、これは失敬、力強さがあるのですから大丈夫ですよ」

 冴子はあえて砕けた言い方をした。

 カイラは冴子の答えに思わず吹き出し笑う。

 「大尉がそう言うなら、自信が持てるわ」

 カイラは納得できたと言う清々しい顔になっていた。

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