「姫様の休日」(6)
「課長、少し良いですか?」
社内の駐車場に停めた営業車の中で望月が羽田へ話しかける。
「どうした?」
緊張気味に言う望月に羽田は構える。時間は夕方、この日に点検で回る仕事を終えたばかり。退職や異動の希望を相談する頃合いの時間ではある。
羽田はそうした話をすのかと思い望月へ顔を向ける。
「あの憲兵に武田山での事を話さなくていいんですか?」
望月は会社を訪れた冴子について話したいようだった。
「話さなくていい。俺もお前も危ない目に遭うからな」
羽田は当然のように答えた。レイエスによって自身や家族へ手を出す不安があるからだ。
だが、望月はどこか心配が残る様子だった。
「望月、憲兵と何かあったか?」
望月へ羽田は尋ねる。
「はい。二年前に陸軍から脱走した友人を泊めたせいで憲兵隊に連れて行かれた事がありまして・・・」
望月はバツが悪いような顔をした。
「だから憲兵を見て落ち着かなかったのか」
羽田は武田山や社内で望月が憲兵の前で見せた怯えているようにも見える態度に納得した。
「もう少し話を聴かせてくれんか?」
「はい。あれは陸軍に招集された友人がいきなり僕の部屋に来たんです。高校の時からの友人だったから懐かしさもあって部屋に上げたんです。部屋にあった酒で呑んでいたら『実は逃げて来た。明日の朝には出て行くから、今日一晩は泊めてくれ』と本当の事を言いました」
「脱走兵と分かった上で泊めたのか?」
「そうです。新兵だからと古参兵が何かにつけて殴られ、いじめらると聞いて休ませてやりたいと思ったんです」
「そうか・・・」
「友人は次の日の朝に出て行きました。しかし、すぐに僕は憲兵隊に事情聴取で連行されました。憲兵は僕が友人の脱走を手助けしたとして厳しく追及しました」
「殴られたりしたのか?」
「そこまではありませんでしたが、何度も脱走兵に協力した国賊だと怒鳴られたり、職場や親へ伝えたらどうなるかと脅しのように言われました。それが三日間続けてです」
「キツイ思いをしたんだな。憲兵を見れば怖がるのも無理はない」
「連行から三日後に反軍思想での脱走兵援護ではないと分かったと言われて、帰る事ができました」
昭和の反軍や反戦思想の学生運動が激しい時期に脱走兵を匿う団体があった。
憲兵も特高もそうした団体の取り締まりをしていた。だから脱走兵に関わった者に対して反軍思想の有無が拘留を続けるかの基準になっている。
「その友人は?」
「大阪で憲兵に捕まって、陸軍刑務所に行ってから陸軍に復帰したようです」
「話してくれてありがとう。降りて少し休憩しよう」
羽田は語ってくれた望月を気遣いながら営業車を降りる。
営業車から降りた二人は社内の外にある喫煙所で煙草を吸い一息つく。
「俺はな、中東戦争の時に軍属としてサウジアラビアに行っていたんだ」
ふと羽田が語り始める。軍属とは従軍する民間人の事である。
中東戦争は平正時代のはじめに起きた日本とサウジアラビアとイラン・イラクの間で起きた戦争である。
「課長は何をしていたんですか?」
望月は尋ねる。
「外に作った司令部に電気を通す仕事をしていた。その司令部が砂漠に幾つも天幕を張っていてな。発電機を置いてから天幕の間に電線を通して、電灯を天幕の天井に吊るす。後は停電しないように管理する仕事をしていた」
「なるほど」
「その司令部に居る将校が偉そうな態度でさ、遅れてないのに作業を早くしろと叱って来る。とにかく、軍属だからと俺達を馬鹿にしていたよ」
望月は煙草を吸いながら黙って聞いている。
「一番酷かったのは敵のロケット弾か砲弾が撃ち込まれた時だ。電線がズタズタにされて発電機も故障して司令部は停電になった。その時に俺は大怪我をした同僚と先輩の二人を介抱していたんだ。すると将校が『おい、早く停電を直せ!』と言って来た」
「・・・すぐに直しに行ったんですか?」
「その前に将校へ頼んだ。大怪我した同僚と先輩を医者の所へ運んでくれと。でも将校は『周りを見ろ、兵士も誰もが負傷してるんだぞ。お前達だけ優先にできるか、作業にかかれ』と来たもんだ。上司も早くやれと言うから仕方なく復旧作業を始めたさ」
羽田は煙草を灰皿スタンドに煙草を押し付けながら語る。
「怪我をした同僚と先輩はどうなりました?」
「先輩は亡くなった。同僚は片足に後遺症が残ったが日本へ帰れたよ」
「辛いですね。それは」
戦争の経験が無い望月は言葉を選ぶように言った。
「うむ。だから俺は軍人は好きになれん。脅迫されている危険があるのに軍人に協力はできん」
「ですね」
羽田と望月、軍人に対して悪い印象を持つ二人はレイエスについて冴子に言わない事を決めた。
武田山は夜になる。
明るいのは洋館と洋館を繋ぐ道路の照明灯ぐらいだ。山全体は暗くなっている。
「……」
明るい洋館から周囲を伺う者が居た。
周囲を見渡し何かを確認している。三度も左右に目を振って視界の中に誰も居ないと分かるとその者は窓の縁に足をかけて外に出る。
静かに地面に着地できた事に満足した時だった。
「おでかけですか?殿下」
壁に背中をもたれながら立っている冴子が窓から外に出た者、カイラへ話しかける。
「これは大尉」
着地でのしゃがんだ姿勢のままカイラは冴子へ苦笑いの顔を向ける。
「その御召し物は外出ですね?」
冴子はカイラの服装を指摘する。ジーパンに長袖タイトのポロシャツを着てシューズを履いている。
「そうよ。付いて来なさい」
カイラは立ち上がりながら開き直る。
「殿下、急な外出は私が認めません」
冴子は毅然と言い、カイラの目の前に立つ。
「どきなさい、大尉」
「どきません」
冴子はカイラを見下ろしながら自身を壁にする。
カイラはそんな冴子を睨んで見上げる。
「・・・殿下の目的はラーメンでしょうか?」
「その通りよ」
カイラは何故知っているのかと不思議がる。
「ここから出る事はできませんが、ラーメンを持っては来れます」
武田山にラーメンの屋台になっている小型自動貨車(所謂、軽トラックである)がチャルメラの音を鳴らしながらやって来た。
「みんな、今晩は大尉の奢りでラーメンだぞ!交代で食べるんだ」
三宅が警備している憲兵達に呼びかける。誰もが屋台から流れて来るラーメンの匂いに期待していただけに歓喜の声を上げる。
「大尉!御馳走になります!」
「ありがとうございます大尉!」
冴子に憲兵の誰もが感謝を述べる。
「日本のラーメンです。皆さんもどうですか?」
冴子はラウエルに呼びかける。
「おーい。神楽坂大尉が日本の食事を用意してくれましたよ」
ラウエルは屋敷の中で働く侍女達へ呼びかける。
憲兵は交代しながらラーメンを食べ、警備をする。侍女達は物珍しそうに屋敷から顔を出して屋台に向かう。
「カイラ様の姿が見えません」
侍女はラウエルに困った顔で告げる。
「それなら大丈夫、殿下は神楽坂大尉と一緒だ」
ラウエルはそう告げると侍女は安堵する。
一方、冴子は屋台から二人分のラーメンを持ち洋館の裏に回る。
そこでは末松とカイラが待っていた。
「大尉、用意はしましたがこれで良いのですか?」
「良いね、良い感じ」
末松は洋館から醤油の瓶を入れていたプラスチック製の瓶ケースが四個にに、木製の板一枚に加えてオイルランプ一個を運んで来ていた。
瓶ケース二個を足場にして、板を敷き机にする。急ごしらえの机の真ん中ににオイルランプが置かれて緋色の明かりが灯されている。
その机に冴子はラーメンが入っている器を箸を載せて置く。ラーメンは醤油スープで背油の塊が幾つもある平麺の尾道ラーメンだ。
「少尉ご苦労だ。貴方もラーメンを食べに行ってらっしゃい」
冴子は末松を下がらせるとカイラと二人きりになる。
「殿下、こちらへ」
冴子は逆さにした瓶ケースに小さなシーツを被せカイラを誘う。
「これが椅子?」
「そうです」
冴子が言うとカイラはおずおずと瓶ケースに腰を下ろす。
それを見ると冴子は何も被せていない瓶ケースに座る。
「座り心地は良くないわね」
カイラは少し戸惑う。シーツを敷いたとは言え瓶ケースの固さは直に伝わる。
「これは殿下に屋台の雰囲気を味わって貰いたいと思い、用意しました」
「え、そうなの?」
思わぬ事にカイラは驚く。
「そんなに外出できませんからね。雰囲気だけでもここで堪能して貰おうと思いまして」
「…感謝します」
カイラは警備担当の冴子がこんな準備をするとは思わず驚いた。
「殿下、早く食べないと麺は伸びてスープが冷めますよ」
冴子がカイラを促す、カイラは箸を持ったが迷うように箸が動かない。
「殿下、マナーはありませんよ。品が無くてもいいんです。こんな風に食べればいいんです」
冴子はカイラがラーメンを食べるのにマナーがあるのか、食べるにあたっての品性を気にしていると分かってアドバイスをする。
冴子は箸で麺を三本ほど掴むと口へ運んで吸い上げる。次いでチャーシューやメンマを摘まんで食べると麺を再び吸い上げる。
カイラはその動作を見ると、同じように食べる。
「おいしい・・・」
母国語でカイラは自然と呟いた。
「お気に召したようですね」
ラーメンを食べ終えたカイラを見て冴子が言った。
「どうして私がラーメンを食べたいと分かったの?」
カイラは口をハンカチで拭きながら言う。
「殿下がテレビ番組でラーメンに興味を持たれたと、侍従長から聞きまして」
冴子はラウエルから聞いていた。
「そうだったの。でもこれで、外出をせぬとは言わないわよ」
カイラは口を尖らせる。
「承知しております。それより、替え玉をしませんか?」
「カエダマ?」
「麺だけおかわりが出来るのです」
「・・・・頂こうかしら」
カイラは尖らせた気を挫かれたようになったが、替え玉を頼む。
冴子は末松へ屋台に替え玉を頼むように無線機で指示する。
「大尉、昼間とは態度が違うじゃない」
カイラは昼間の厳しく自分の職務を貫こうとする冴子の姿と、今のどこか寛容な姿な冴子が違うと戸惑う。
「ええ、少し考えが変わりました」
冴子が笑みを見せる。
「殿下には休日を楽しんで貰おうと考えています」
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