姫様の休日(5)
翌朝、冴子は武田山の洋館の近くにある電力設備を点検しに来た電力会社へ向かった。
何かの胸騒ぎを感じた。
違和感のようなものを彼女が感じたからだ。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません!」
応接室で最初に面会した設備課の課長が冴子に頭を下げた。
「謝らないでいいんですよ。こちらも通達をしなかったのですから」
冴子は課長をなだめるように言って頭を上げて貰った。
帝国日本においては二一世紀の現在も軍人に対する畏れが民間人には多い。特にこうした社会人としての立場で話すと尚更だ。
「今回来たのは武田山へ点検に来られた社員に話を聞きたくて・・・これは貴社の社員が何か違法な事をした訳ではありません、ご安心を」
課長が動揺しそうなのを見て冴子はそう言った。
「では、すぐに呼びますので」
課長は部下に羽田と望月を呼ぶように指示を出した。
冴子は二人が来るまでの間に事務員が運んできた緑茶と羊羹をたいらげた。
「大尉殿、課長の羽田と望月です」
課長は冴子に羽田と望月が来た事を伝えた。
二人とも落ち着かない様子だ。
「どうもはじめまして、中国管区憲兵隊の神楽坂冴子大尉です」
冴子は羽田と望月を落ち着かせようと笑顔で挨拶をする。
「どうかお座りになって、今回はお仕事に関してお話をしに来ただけですから」
冴子はソファーを指して立ったままの羽田と望月へ座るように促す。
それでも二人はぎこちなくソファーに座る。
「それで、仕事の話とは何でしょう?」
羽田が座ると冴子へおずおずと尋ねた。
「昨日、点検に来られた時に私は気づきました。電力や水道などの設備にも気を配るべきだと」
冴子からお叱りを受けるのではないかと思っていた羽田や望月に課長は冴子の怒りを感じない、朗らかな態度に少し拍子抜けする。
「我々の任務を遂行するには電力の維持は欠かせません。ついては、武田山の電力設備については貴社がよくご存じのようなので、すぐに連絡が出来るようにしたいのです」
冴子は名刺を課長と羽田へ渡す。
「この名刺に書いてある電話番号が私に繋がる番号です。もしも武田山で電力関係の問題が起きた時に貴社へ連絡がしたいのです。なので、電話番号をお互い知っておく必要があると思い、今日は来たのです」
「なるほど、そういう御用でしたか。では私の番号をお渡しします」
課長がまず名刺を冴子へ渡し、羽田も名刺を渡した。
冴子の目的が分かったからか、課長と羽田の顔は緊張が解ける。だが望月は緊張したままだ。
「いつの時間でも御用があればおかけ下さい」
名刺を渡した課長はそう熱心に冴子へ言った。
「そうさせて頂きます。では、私はこれにて失礼します」
冴子は重役でも見送るように深々と頭を下げる課長や羽田・望月を背にして電力会社のビルを出た。
「どうでしたか?」
武田山から乗ってきた三宅が運転する七三式に冴子は戻った。すると三宅が尋ねる。
「昨日来た二人の若い方、望月と言う男は何か我慢している様子に見えた」
冴子はこうして下士官である三宅と捜査について話す事が多い。
気易い仲でもあるし、三宅が人生の苦さをよく知る人物だからでもある。
「大尉が怖く見えたのでは?」
三宅は七三式を発進させながら冴子をからかう。
「失礼ね。緊張を解そうと笑顔で話していたんだから」
「しかし、憲兵の笑顔というのは見る側にとっては怖いものですよ」
「じゃあ、望月は私を怖がっていたと?」
「憲兵を怖がる人間は兵隊だった時に憲兵の世話になってしまったか、憲兵や特高に睨まれそうな事がある。そのどちらかです」
「その通りなら望月は隠し事がある?」
「そうだと思いますよ。姫様や我々に関係があるかは分かりませんが」
「望月を調べたいけど、電話番号を交換していないな」
冴子は望月に名刺を渡さなかった事を後悔した。
「明日外出したいと殿下から要望がありました」
電力会社から武田山に戻った冴子はラウエルからカイラの要望を聞いた。
「明日とは急ですね」
さすがに外出用に警備態勢を敷く問題から冴子はカイラの外出を認めるつもりは無かった。
「どうにかなりませんか?」
ラウエルは困った顔で冴子に頼み込む。
「ミルダナオの情勢が落ち着いているならともかく、不安定な現状では警備責任者として要望は認可できません」
冴子は強い語気でラウエルに言った。
「御尤もです、無理を言って申し訳ない。殿下を説得します」
ラウエルは引き下がった。
だが、ラウエルの様子が冴子には気になった。
「殿下はそこまで外出を望んでいるのですか?」
「そうです。どうもテレビでこの街を特集した番組を見てから熱望されたようで」
「熱望ですか」
「はい」
冴子はカイラがかなりワガママを言っているのだと容易に想像できた。
「私がご説明申し上げます。殿下に面会させてください」
ラウエルが不憫に思い冴子は自分でカイラに言おうと決めた。
「いえ、殿下を御諫めするのは私の役目です」
ラウエルは侍従長の役目を譲らない。
「二人共、どうしても外出はダメなの?」
そこへカイラが通りかかった。
「はい。殿下の母国の情勢が安定しておりません。殿下の御身を守るには警備態勢を整える必要があります」
冴子はカイラへ説明する。その姿勢は直立不動でカイラに向き合い反論を許さない構えだ。
「警備?今日の今まで私を狙う者は居たのかしら?」
カイラは不機嫌に尋ねる。
「確認しておりません」
「なら大丈夫でしょう」
「しかし、殿下は第三王女です。狙われないと言う確証もありません」
海軍の坂堂からの情報がまだ冴子の頭の隅にあった。
「第三王女、こんな地位は貴方が思っているよりも低いのよ。狙う価値なんて無いのに」
カイラは呆れたような声色で言う。
「殿下の価値は低くはありません」
「分からない人ね」
冴子に呆れた様子のカイラは部屋に戻った。
「殿下の無礼をお詫びします」
カイラが部屋に入るのを見届けてからラウエルが謝る。
「これぐらいの憎まれ口は気にしません。それよりも殿下は自身の立場を過小評価されておられるようですが」
冴子はカイラが自分が第三王女である事をあまり高く評価していないように思えた。
「場所を変えましょう」
ラウエルは洋館の応接間で冴子に話す。
「カイラ殿下は不遇な方でありました。御母上であるジョアン様が早くに亡くなれたせいで、御父上である国王陛下からの愛情を受ける事が無かったのです」
カイラを生んだジョアンは第二夫人だった。カイラにとって姉である第一王女と第二王女が第一夫人が生んだ娘である違いもあって、カイラはミルダナオ王室では疎外されてしまっていたのだ。
「当時の私はジョアン様の御傍に居まして、カイラ殿下が生まれると殿下のお世話をするようにもなりました。ジョアン様が亡くなられると私はカイラ殿下のお世話を主に行うようになりました」
「つまり、カイラ殿下とは一番長く共に過ごしていたのですね」
「いいえ。侍女のニコル・サントスの方が一番長く過ごしております。私は侍従長に任命されてからカイラ殿下と会う機会が減りました。どうも、それからサントスだけでは手に余る事が多くなったようです」
「手に余るとはどんな風に?」
「色んな要望がありました。深夜に夕張のメロンが食べたいと言い、イタリアで有名な歌手を明日連れて来て自分の為のコンサートをして欲しいなど色々です」
「・・・なるほど」
それから冴子は小一時間ほどラウエルからカイラについて話を聴く事になる。
同じ頃、広島市内某所
「山の上ですが、電力を止めた上で夜襲をかければ成功します」
レイエスはアジトでミルダナオから来た仲間達へ偵察の報告をしていた。
「できれば日本軍との交戦は避けたいのだかな」
レイエスの報告と提案を聞いたフェルドナンド・リベラ中尉はそう感想を述べた。
「警備がある以上は戦闘は避けられないかと」
「レイエス伍長、我々は合わせて八人の部隊だ。二〇人ぐらいの憲兵が警備する施設へ突入できる戦力では無い」
「ですから夜襲なんです」
「伍長、そのぐらいにしとけ」
収まらないレイエスを止めるのはベンジャミン・ロペス曹長だ。
一番逆らえない相手であるロペスにレイエスは渋々従い口を閉じる。
「伍長の熱意は分かる。だが、やるなら山から下りて街に出た時だ。街角と人垣が日本軍の行動を抑える筈だ」
リベラは自分の複案を述べた。
「良い案だと思います」
ロペスはすぐに賛同する。
「しかし、いつ街に出ているのか分かりませんよ」
レイエスはまた反論する。ロペスは「おい」と嗜める。
「その為に偵察が今は重要なんだ。武田山を中心にカイラ王女が外出しているか、よく見張るんだ」
リベラは方針を示した。
「何度も言うが、我々の目的は王女の身柄確保である。殺してはならない。無事に国へ連れて帰る。分かったな?」
リベラは特にレイエスへ向けて言った。
「了解です」
レイエスは口ではそう言ったが、目は不満そうであった。
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