第16話 不審者

 瑞浪みずな駅の近く、雑居ビルの2階に居を構える、連休2日目も通常営業中の南雲探偵事務所。そこに空を埋め尽くすような雨雲の下、新たな依頼人がやってきた。


「……その医者の住所とこの先2週間の動向が知りたい、と」


 銀髪で右目を隠した男と向かい合う。妖怪退治でもしてそうだな、というのが第一印象だった。いやそれは左目だったか? 彼の顔立ちは整っている方に入ると思うが、何せ顔の半分は髪で隠れているので分かりにくい。

 その依頼人に、探して欲しい人間がいると言われて話を聞いてみれば、夜拆御影よひらみかげという医者についてだそうだ。


「あなたとその人の関係は?」

「……親戚です、遠縁の。長い間連絡がつかなかったものですから、心配で」


 目を逸らしながら言う。多分嘘だ。


「失礼ですが、あなたのご職業と、お名前は? あと年齢も」

一色いっしき和真と申します。25歳です。けんきゅ、あ、いやフリーター、フリーターです! ただの!」


 嘘が苦手な人のようだ。疑わしきは罰せずだとかの精神で、すぐに追い返すこともしないが。

「身分証の類はお持ちですか? 免許証とか、保険証とか」

「持ってないです」

「ではその、夜拆御影さんのご親戚だということが証明できるものは?」

「……ありません」

「ならご依頼を受けるわけにはいきませんね。本当の目的と関係も分からないままですし。あなたはフリーターじゃないし、名前だって偽物だ」


 相手が慌てふためく様でも見てみたかったが、青年は逆に落ち着き払った態度になって、別人のような冷たい視線を寄越した。


「よく分かりましたね。でも歳は本当ですよ」


 むしろ驚いたのは俺の方だった。名前に関しては適当に言ったつもりだったのに。

 それならこの青年には、自分の名前と職業を隠さなければならない理由が必ずある。それを探らずには帰せない。


「あなたの本名は」

「言えませんね」


 なら矛先を変える。彼が職業を言った時、一瞬本当の仕事を言いかけた。

「さっき、研究職と言いかけましたよね」


 図星だったのか、髪と同じくらい色素の薄い左目を一瞬細めて反論してくる。

「聞き間違いじゃありませんか。……どうしても受けないって言うなら、仕方ないですね」


 青年はそう言って、上着の中に手を突っ込んだ。

 この展開、見たことあるぞ。銃を出してきて脅しにくるやつだ。脅しを聞かなかったら殺されるし、聞いても用済みになったら殺される。正体を探るまでは帰せないと言ったが、これは話が別だ。


「やめといた方がいいですよ」


 青年が上着の下から「何か」を出す前に少し強めの口調でとどまらせる。言葉を続ける前に、机の下に右手を添えた。


「ここにあるボタンひとつで通報できるようになってます。そうでなくとも、この部屋の中と外には監視カメラがいくつもあるんですよ。気付きませんでしたか? ここで俺を殺したとして、カメラ壊して逃げるのと警察が来るの、どっちが早いでしょうかね」


 もちろんはったりだ。問題は相手が騙されてくれるかどうかだったが、青年は悔しそうに、眉間に皺を寄せながら手を下ろした。その事に九死に一生を得たような気持ちになったのを表に出さないようにして、とどめの言葉をさす。


「……今すぐボタンを押してもいいんですが、今日のところは見逃してあげます。何も聞かなかったことにしますから、二度と来ないで下さい」


 二度と来ないで、というのは心の底からの言葉だ。次に会ったら殺されそうな気がする。俺はせめて、今期アニメの最終回を全部見るまでは死ねない。


 妹を養うためにも、なんて言ったら夏夜はらしくないと笑うだろうか。


「……分かりましたよ。命拾いしましたね、南雲さん。そこいらの探偵を甘く見ていたようです」


 怪しくなるばかりの雲行きの下、結局名前のひとつも明かさなかった青年は悠々と出ていった。



 あー、失敗した。銃を突きつければ、大人しくなるものと思っていたのに。あの男を処分し損ねた自分の責任とはいえ、1人で来るんじゃなかった。所長ならもっと上手くやれてたはずなのに。

 暗く広がる雨雲から雫が零れる前に、重い足取りで研究所へ戻った。


「依頼、断られました。なんでか、名前を偽ったのもバレました」

 死を覚悟して所長に報告すると、彼はいつもの眠そうな目をいまいち構造の掴めない機械からこちらに向けた。その表情からは何の感情も読み取れない。つまりいつも通りだ。


「へぇ、一般市民がやるじゃないか。まぁうつみ嘘つくの下手だもんな。……そうだな、夜拆も生きてたくせに何ヶ月も来なかったんならもうこんなとことは関わりたくないって訳かもな」


 ひとまず、殺されずには済みそうだ。これも4年間の献身あってか、その事に感謝しながら話題を逸らす。

「あの、ところで研究の方はどうするんです? 実験体は何ヶ月も前にほぼ全員死にましたし、残った失敗例にも逃げられましたし」


 そう、この地下研究所では何年も前から所長の探究心で続けてきた研究がある。

 人体実験を使った研究で、その多くはすぐに死んだ。ある者は指先から壊死して時間をかけて死に、ある者は内臓が破裂して即死だ。

 その後処理を全て僕に任せるものだから、最初は吐きそうになりながらやったけど、最後の1人を処理する頃には自分の部屋の掃除をする感覚で出来るようになった。

 たった1人、最後に残った実験体は数か月前に夜拆御影が逃がしてしまったけれど、あの様子じゃ長く持たないだろう。


「まだ再開しなくていい。もうちょっと実験方法考えてからにする」


 その研究の内容は、「不老不死になる方法」だ。

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