第15話 ただ、親切な人だなって
地上から見上げると、薄氷のように薄く白い雲が青空を覆い隠す、気分が沈まないタイプの曇りで幕を開けたゴールデンウィーク初日。
白刃君の家は藤原君しか知らないので、駅前で待ち合わせて案内してもらうことになった。
正直、どんな服を着ていけばいいのか分からなかった。何せ友達と休日に会うのは人生初だ。兄に相談すると、天と地でもひっくり返ったみたいに大袈裟に驚かれた。
「お兄ちゃん、私だって高校生なんだから休日に友達と遊ぶのは不思議じゃないでしょ」
らしくもなくそんなことを言ってみせると、兄は別人を見るような、兄の例え方で言うなら「1話の時点では大人しいだけのヒロインだった子が最終回を手前にしてラスボスだったことが判明した」時のような顔をした。
「これは……考えを改める必要があるな……」最後に兄はよくわからないセリフを呟いて、無難な服装をアドバイスしてくれた。
「葵衣ちゃん、この服変じゃないかな」
藤原君が来る少し前に、そう聞いてみた。するといつもの明るい笑顔で凄く可愛いと思うよ、と言ってくれた。
白刃君の家は、学校から近いところにあった。そこそこ大きな一軒家で、3、4人の家族で住んでいそうな印象だった。
白刃君は私達を居間に通して自分はお茶を持ってくる、と消えていった。
「……結構大きい家だよね」
誰にともなく呟くと、藤原君がそうな、とどこか棘のある声で言った。
しばらくして、お盆に4つのコップとクッキーの大袋を載せてやかんを提げた白刃君が戻ってきた。個々にお礼を述べる。
今日の目的は勉強会なので、それぞれの苦手教科の対策をして、分からないところは教え合う、という感じになった。広い机にそれぞれの問題集やノートが広げられる。
ちなみにそれぞれの苦手教科は、私は生物、葵衣ちゃんは英語、藤原君は数学だ。
白刃君には苦手教科などないので、終わってない提出物を片端からやることになる。
「白刃君って、提出物以外に家で勉強したりするの?」
しないんだろうなと思いながら聞いてみた。案の定、してないよとだけ返された。
「今日は誰もいないみたいだけど、親が忙しかったり?」
白刃君の家が1番気兼ねなく勉強出来るはずだと藤原君は言っていたから、白刃君の親が今日いないことも彼は知っていたことになる。
私の言葉に1番早く反応したのは藤原君だった。バッと顔を上げ、白刃君の方を見たのは一瞬で、すぐに何事も無かったかのように教科書と向き合った。
「親はいない」
ペンを走らせるのを止めずに先に結論から言って、白刃君は少し昔の出来事を語りだした。
白刃君の母親は彼が小学校に上がる前に出て行って、その時から父親も家に帰らなくなったらしい。行き先は不明、今どこでなんの仕事をしてるのかも不明、驚きなのは10年近く父親には会っていないという事実だった。
「生活費は毎月振り込まれてるし、何も困ったことはないよ」
彼は幼少期から1人で住むには大きすぎる家で暮らし、それを自分にとっての普通だと言い切った。
気になったのはひとつ、
「それ、私達に話しても大丈夫だったの?」
すると藤原君が苦笑して横槍を入れた。
「俺と双葉さんは知ってるよ。小学校の時からの友達だから。それとも、聞きたくなかった?」
まさか、とんでもない。
「私もちょっと境遇は違うけど親とは暮らしてないんだ、だから別の意味でびっくりだよ」
白刃君の事情に、別段同情した様子も気まずさも見せず、むしろ目を輝かせた私を藤原君は不思議な生き物を見るような目で見た。
「なんかさ、南雲さんって変わってるよね」
するとそれまで黙っていた葵衣ちゃんがいきなり、方向転換を促すような明るい声を上げた。
「藤原君、今更気づいたの? 夏夜ちゃんはかなり変わってるよ。1年の時から知ってるもん」
「あ、なんかそれ最初言ってたよね」
「そうそう。それより英語全然わからないから誰か教えて欲しいな〜、夏夜ちゃんとかに」
2人の会話の中で、不意打ちの指名に反応が遅れる。
「……私? いいけど、教えるのは得意じゃないよ」
「いーのいーの、完璧に教えられる人なんていないんだから」
この日も白刃君と仲良くなれたかはわからなかったけれど、彼について1つ新たに知ることができた。
出会ってから4年、毎日毎日来る日も来る日も食すのはカップラーメンと水、たまにリンゴというあの上司のために今日も週に1回の買い出しである。年に1度も研究所を出ることの無いあの人に代わって近所のスーパーに足を運ぶ。
仕事上、地下での引きこもり生活を送る自分には眩し過ぎる光を、片目を隠す銀髪が反射した。慣れない人ごみに眩暈がしそうになる。
その帰り道、ついに幻覚を見たかと思った。
その男を捉えた瞬間、思わず近くの電柱に隠れる。しかし、所長への報告のために嫌でも接近するしかないと悟ったので、しばらくストーキングでもしようかと腹を括った。人違いかもしれないし、そうでなければおかしい。
すると幸運(なんて言いたくない)にも、自分の前を行くそいつが何かを落とすのが見えた。これを拾って話しかけたら、本人確認くらいはできる。
そっと近づき本人が気付く前に、落ちた財布を拾った。
「……あの、これ、落としましたよ」
彼は振り返って、至って普通の反応を見せた。
「あ! ありがとうございます」
「!? ……いえ」
人のよさそうな笑顔、男にしては長い横髪、間違いなく本人だ。なのに、自分を見ても初対面であるかのような反応をした。これは一体どういうことだろう。僕は昔から、顔の半分ほどを覆う長い前髪のおかげで人には覚えられやすかったのに。
いやそもそも、何故こいつは生きている?
普通に歩いて視界から消えようとするその人物を、混乱の中呆然と見送った。
「所長、申し訳ありません。自分が処分し損ねたせいで……。生きてました、あの男。僕のこと見てもなんの反応もありませんでしたが」
戻ってすぐ、所長に報告した。彼は振り返り、この瞬間ばかりはいつも怠そうにしている目を見開いた。しかしさすが、すぐ冷静になり足を組む。その表情はどこか嬉しそうでもあった。
「いいぞ別に。なるほどなぁ、
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