第17話 煮込みうどんが紡ぐ話

夏夜かや。最近は変な奴とか、不審者とか多いから気を付けろよ。間違っても知らない人に自分の名前は教えるな」


 変な時間に起きてしまった連休3日目。雨音に起こされて昼前に部屋から出てきた私に、昨日は言い忘れたけど、という前置きをした兄の第一声がこれだった。


「おはようお兄ちゃん」


 そう言って時計を見たら、11時30分。全然早くない。


「おそよう、だ全く。……お前昨日何時に寝たんだ?」

「確か、3時くらいかな。だから昨日じゃなくて今日だね。お兄ちゃんだって、それくらいだったでしょ」


 兄は呆れたように、ソファから立ち上がって私の前に立った。

「それは仕事が夜中まで続いたから! お前は部屋でゴロゴロしてたんだろ。夜更かししたら体調崩すぞ」

「勉強してたんだよ! お兄ちゃんだって週に何回かは深夜アニメ見てから寝るじゃん」


 勉強してたというのは、半分は嘘だ。むしろ日付が変わったあたりからはずっと本を読んでいた。

 それを知ってか知らずか、兄はこれ以上の議論は不要と言いたげに台所に向かった。その背中は、少し疲れているようにも見えた。


「……もうお昼だから、今日は俺が作る。明日は仕事だから、悪いけど1人で」


 5連休のうち、兄が休みなのは3日目の今日だけ。あとは通常営業だ。もともとは年中無休だったのに私が来てからは年末年始と月曜、そしてお盆は休みを取るようになった兄だ。それでも書類調査や張り込みなどの業務を全て1人でこなしているのだから疲れが溜まって当然だろう。


「大丈夫? 私がやるよ」

「いや、いい。今期アニメ全部見てから気になった作品の原作を買ってその最終回までを見届けるまでは絶対死なないから、大丈夫だ。……あぁ、でもやっぱり、手伝ってくれるか」


 死ぬだなんて、大袈裟な。セリフの途中を少し早口で言った兄を見て安心して、兄に続いて台所に立った。


 そういえば、蛍たちはゴールデンウィークをどう過ごしているのかな、と気になったのはお昼の煮込みうどんを食べた後だった。白雪山にいる4人の中で唯一携帯を持っていて、連絡先も交換している雪蛍さんにメッセージを送る。


『雪蛍さん、連休どうお過ごしですか?』

『普通だよ。私は司書の仕事あるし、蛍はいつも通り引きこもってるし、緋鞠と華花はるかは裏手でお花見してる』


 花見。そういえば白雪山の桜は開花が遅いんだった。あの屋敷の近くには大きな桜の木があるから、そこにいるのだろう。

 雪蛍さんはいつもは人間に紛れて図書館司書の仕事をしていて、それを知ってから私の図書館に行く頻度もかなり増えたように思う。


『私も明日見に行きたいです』

『待ってる! あ、あとこの子も元気だよ』

 送られてきたのはカメラ目線の黒猫の写真。出会ってからそろそろ1ヶ月になるけれど、名前はまだ本人(猫)からは教えてもらえない。呼ぶ時ちょっと困る。


『雪蛍さん、その子名前なんていうんですか?』

『今はまだ教えてあげられないかな。何せこの子がダメっていうからさ』

『そうですか。なんか寂しいですが、いつか教えて欲しいです』


 柔らかい毛並みに、凛とした青い目。

 猫好きの葵衣ちゃんが見たら大喜びしそうなくらいに可愛いけれど、普通の猫と違うのは尻尾が2本あるところ。いつか名前を本人(猫)から聞かせて欲しいものだ。


 資料集めに図書館行ってくる、と出て行った忙しそうな兄を見送ってから、窓の外を眺めながら本を読もうかと、紅茶を淹れて自室に籠る準備をした。

 さっきまでは弱かった雨足が、少し大きな音に変わっていることには気付かなかった。




 冬雪が風邪をひいたらしい。今から向かうから鍵開けといて、とだけメッセージを送って傘を片手に家を飛び出した。

 俺と冬雪の家はそう遠くもなく、走れば10分程度で着く。玄関の鍵は開いていた。元から閉めてもいなかったのだろうけど。


「入るぞ」

 そう言いながらドアを開ける。ここに来るまで見ていなかった携帯を確認すると、『来なくていいよ』とだけ送られていて、少し罪悪感を覚えた。

 2階の冬雪の部屋の前で、ノックする。返事はない、ので勝手に開ける。

布団を頭まで被っていた冬雪が、顔を少し出して俺を見た。


「……伝染るぞ」

「いいよ別に。授業サボれるし。熱は?」


 黙って体温計を差し出してきた。38度。


「林檎持ってきたけど、食えるか?」

 青林檎を出してみせると、冬雪は静かに首を横に振る。

「……喉痛いから」

「じゃあ水持ってくる」

 そう言い残して、生活感がまるでない冬雪の部屋を出た。

 静かな階段を降りながら、この家に10年ほど帰っていないという、会ったこともない冬雪の親に苛立ちを覚えた。


「昨日からなんか食った?」

 苦痛を強いられているかのような表情で水を飲む冬雪に尋ねると、少し間があった。


「昨日の昼にカップラーメン」

 その時から見て今は明日の昼だ。つまり丸1日何も食べていないことになる。


「台所借りるぞ。寝とけ」

「いや……いいよ」

「そんなんじゃいつまで経っても良くならないからな。諦めてくれ」

 その言葉に従うようにベッドに倒れ込んだのを見届けて、再び階下へ。


 お粥を作ろうと思ったが米がない。冷蔵庫を開けたらうどんと少しの具材があったので、煮込みうどんを作ろうという考えに至った。

 レシピを調べたら色々出てきそうだが、それよりも美味しい煮込みうどんを作る人物が浮かんだので、電話をかけてみる。


「あ、南雲さん? ちょっと悪いんだけどさ」


『……藤原君? どうしたの』


 いつかどこかで、煮込みうどんなら誰よりも美味しく作れると本人が豪語していたのを思い出したからだ。

 冷蔵庫と戸棚にあるものを言ってそこから美味しい煮込みうどんの最適解を教えてもらう。


 しかし、何かの邪魔をしてしまったらしく珍しく南雲さんの声が少し不機嫌に聞こえた。


「お待たせー」

 お盆に鍋を乗せてそっとドアを開けると、冬雪は眠っていた。机にお盆を置いて、部屋を見回す。

 シンプルな部屋だ。机とエアコン、部屋の隅にはベッドとコンセントに繋がった充電器。それから雑に積み上げられた教科書とノート。それしかない。

 冬雪の趣味を表すものが、ここには何もない。そもそも冬雪に趣味はない。

 暇で死にそうな部屋だ。そんな死に方すら、冬雪は受け入れてしまいそうだけれど。


「寒い……」

 寝言のように、冬雪が目を閉じたまま聞き逃してしまいそうな声で呟く。暖まるか分からないけど、持ってきた上着をかけた。

 水に濡らしたタオルとかも持ってきた方がいいと今更気付き、慌てて用意する。絞って額に載せながら考えた。気まぐれに、上気した頬に手を添えてみる。

 首にネギを巻くのって本当に効くんだろうか? 少し試してみたくなったがネギがないので諦めた。


 それより、このままでは南雲さん直伝の美味しい煮込みうどんが冷めてしまう。起こした方がいいかなと思った時だった。


「……寝てたわ、悪い」

「寝てろって言ったのは俺だよ。煮込みうどん、出来たよ。林檎も切った」


 冬雪はその言葉に、俺と煮込みうどんを交互に見つめながらも今度こそは食べてくれるようだった。



「……僕はうどんの食べ方を間違っていたのか」

「それな、南雲さんに教えてもらった煮込みうどんの作り方の通りにやったんだ。だから美味いんだよ」


 そっか、と再び無言でうどんを味わう冬雪。その普段の食生活はかなり酷いらしく、基本的にはほとんどカップラーメンで済ませてしまうとの事だった。

 それにしても病人だからか、今日は妙に素直だ。いつもの暗い雰囲気も、少し和らいで見える。


「初めてなんだよ。人の手料理とか」


 驚くようなセリフに、は、と声が出た。

 なら、これが人生初手料理? 少し嬉しくもあった一方、やっぱり冬雪の親に苛立ってしまう。

 冬雪の顔を覗き込むと、身体を壊してもなお氷のような表情を崩さない彼の、虚のような瞳に勘違いかもしれないが一瞬、少し光が入っていたような気がした。


「そっかー、いいぞいっぱい食え。林檎もあるぞ。なんならまた作りに来ても」

「日向は、なんでここまでしてくれるわけ」


 俺のセリフを遮って冬雪が困ったような顔で聞いてきた。


「聞きたいか」


 自分でも、どんな顔をしているか分からなかった。

 少しの間を置いて、返事があった。


「……聞きたくない」



 その後再度眠りについた冬雪を少し見守って、諸々の後片付けをした後帰ることにした。最後に1度振り返る。聞きたいか、なんて訊かなければ今頃どうなっていたのだろう。

 滝のように降っていた雨は、もうすっかりやんでいて、群青色に覆われた空に浮かんだ月が綺麗だった。

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